とりあえずビールが美味い♪ | 町亞聖オフィシャルブログ「As I am」Powered by Ameba

とりあえずビールが美味い♪

またひとつ歳を重ねましたが、誕生日は取材のため飛騨高山に前日入りしていておひとりさま!?ラーメンでお祝いでしたおーっ!あせる



日本テレビを辞めてから早14年。ヤングケアラー、介護と仕事の両立、在宅での看取りなど様々なテーマで講演を続けていますが、全て人との〈縁〉が繋がって実現したものばかり。



講演を聴いてくれた方が「実は…」とご自身の介護体験を必ず話してくれます。先日もお母さんの介護のために長年勤めた会社を辞めた女性がこんな風に語ってくれました。



「後悔はありません。今は介護をしながら地域のお節介おばさんとして、誰かの役に立てるように第二の人生を歩んでます」と。



また別の女性はまだ介護は始まっていないけれど「仕事を続けながら、そして自分の人生も大切にしながら親との時間を大切にしたい」と言ってくれました。



介護も人生も答えはひとつではありませんし、大事なのは自分自身が納得して選択したかどうか。私も悩んで迷って考えて考えて自分の道を決めてきました。



車椅子の母と過ごす時間の中で、受け取った〈気づきの種〉をコツコツと蒔いていけたらと思います。そして実はの〈輪〉を広げていきます。



弱音を吐くことが出来ず簡単に人に助けてと言えない自分を自戒しながら、そして自分の〈弱さ〉に向き合いながら2年ぐらいかけて言葉を紡いだ新著「受援力」も去年出版できました。



〈受援力〉とは困った時に誰かに助けを求められる力のこと。私も突然ヤングケアラーになった時に出口のないトンネルから抜け出すことは出来ないのではないかと何度も思いました。



ですが今だからこそ断言できます。「〈絶望〉は永遠には続かない」と。まずは1人で抱え込まずに不安や困り事を言葉にして伝えることから支援は始まります。そしてそれが〈受援力〉の第1歩です。



私が介護に直面した時は当事者が簡単に声を上げられる時代ではありませんでしたが今は違います。当事者の語りが行く道を照らしてくれる希望の光になります。



他の人の語りに耳を傾けることも〈受援力〉を高めます。アナウンサーになって30年になりますが、これからも原点を忘れず生き辛さを抱えた人達の希望の声を掬い上げていきます。



「支えていたつもりが支えられていた」車椅子生活になった時も、末期がんと診断され命の限りが分かった時も、母は私達の前で涙を流すことはありませんでした。



介護は〈映し鏡〉のようなもので、母が自分の運命を受け入れていたからこそ、私達家族も前向きに新しい人生を歩むことが出来ました。



母は本当に〈受援力〉に満ちた人でした。母のためならと家族だけでなく、みんなが自然に手を差しのべてくれました。〈受援力〉は人を動かすきっかけになる…また母に教えられました。



「母さんのそばにいられたのはみんなのおかげです」と私達に頭を下げた不器用な父。母の命の限りを前に慟哭した父が本当は羨ましかった…。



本に父の悪口もいっぱい書きましたが親も完璧ではないこと、人間は脆いということを教えてくれた父の生き様も反面教師ではありましたがひとつの道標です。



そんな父に似てしまった私も未だに人を頼るのが苦手です。「弱さを曝け出して良い」父からの最期のメッセージを噛み締めながら、私自身も〈受援力〉を育んでいきたいと思いますクローバー



「人生は長さではなく深さ」母が余命を告げられた時に弟が言ってくれた言葉です。人間はちっぽけな存在ですが、だからこそ限りある命を精一杯生きたい!とりあえずきょうもビールが美味しいですビール