ありがとうは魔法の言葉 -2ページ目

退院後の出来事




さて、無事に退院を迎えたわけですが…



本当は10日退院予定だったのですが、1日でも早くここあさんに会いたく、先生の許しを得て1日早く退院したのでした。


ここあさんとの再会。
全力で喜ぶここあさん…


しばらくして、ここあさんの様子がなんだか違う。くるくるまわってる…( °д°


くるくるまわらないと前に進まない。
これって…脳になにかある時の症状だ…


昨日までは何でもなかったと。


なんで??
私が入院する前に、心臓の薬をもらいに病院に行った時はあんなに元気だったのに。




↑その時のここあさん




次の日から、今度はここあさんの病院通いが始まるのでした。










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1年ぶりの更新 その3



さて、入院生活ですが…



部屋は6人部屋。
婦人科病棟ですから、私のような筋腫の手術後の人もいれば、通いで抗がん剤の投薬している人もいました。
その中に何故か、完全看護のお婆さんがいました。しかも私のおとなりに…

おそらく全身麻痺してると思われ、食事も排泄も自分でできない状態のようです。

看護士さんが、毎日代わる代わる「○○さーん、歯磨きしよっか」「ごはん食べよっか」「頑張って、エライエライ!」とか、常に声かけ、反応を見て、ちょっとでも変化があれば喜び…

仕事とはいえ、スゴいなー。

もちろん他の人にも私に対しても、嫌な顔ひとつせず感心させられました。
10日間の入院生活も、快適に過ごすことができたのも、看護士さんのおかげと言っても過言ではない。


退院前日の食事には、このようなカードが添えられていました。




※名前消すため加工しています。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


それからお見舞いに来てくれたみなさん。
改めてありがとう。感謝です。


そして…退院。
それからが本当のツラい日々の始まりでした。





                   つづく。



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1年ぶりの更新 その2




こんばんこ。

さて、続きです。




まな板の鯉じゃない、トド…が、麻酔から覚め始めた時、「筋腫でしたよー、癌はみつからなかったので安心して下さい」と先生の声が聞こえました。


朦朧とする中、目を開けたら側に叔母と娘が…。
安心したのか、娘は泣いていました。

「ありがとう、大丈夫だよ。」そう言いながら、娘の手を握っていました。

心配かけて本当に申し訳ない、私は健康でなくちゃ!と改めて反省よ。



その夜は、発熱と痛みでツラい夜でしたが、自分の娘のような若い看護士さんが、一晩中氷枕を変えてくれたり、向きを変えてくれたり、甲斐甲斐しく看病してくれとても助かりました。


夜が明け、カーテン越しに朝日を感じた時にはなんだか嬉しかったなぁ。


朝9時になり、やっとお水が飲めて…生き返ったって感じでした。

そして昼にはおしっこの管が外れましたが、お腹にはまだ管が、背中には痛み止めの薬の管が入ったまま。
でも歩かされる。付き添ってくれたキレイな看護士さん、スパルタでS気たっぷり。
あー、心地よいイジメだわ。目覚めそうw


腸を動かす為にも歩いて、水をたくさん飲まないと…こう見えても真面目なわたし、頑張ったのよ。
先生の目にも動かなそうに見えるのか、やたらと歩くように言われるので、これ見よがしに、ナースステーションの前を行ったり来たり歩いたわよ。
さすがに「歩け」と言われなくなったw


日目の回診の時先生に「そういえば、筋腫取ったの見たっけ?」と言われ、見てない、見たくないって答えると、
「あんな大きいの初めてだよ、4.5キロあったよ。」って。



( ̄□ ̄;)!!うっそーーー



お隣の産婦人科にいる赤子より重いじゃねーの。


ビビる大木よ。



つづく。



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