白山台地と小石川台地の間を流れていた千川上水。かつてそこに架かっていた橋のひとつに猫又橋があった。その下流一体は氷川下と呼ばれ、旧町名にも氷川下町があった。今は文京区・大塚や千石と町名変更されている。その辺りの町会で“氷川下”を名乗るのが「氷川下町会」。文京区に町会は154ほどあるそうだが、その一つで、小石川植物園すぐ傍と書いた方が地理的にイメージしやすいかも知れない。『太陽のない街』の舞台ともなった。
 さて私とまるで関係のない氷川下町会について書き始めている経緯から綴ろう。

 千川上水は昭和9年に暗渠化され千川通りが造られた。私は週に1度か2度の通勤途上で小石川植物園脇の網干坂を下り、千川通りを横断する。その交差点角に窪町東公園があり今改築中だ。その囲いの外壁に右のような写真が4枚掲示されていた。「千石3丁目交差点」に登場する都電や「興真牛乳」の牛舎は特に興味を惹かれた。そしてそれは『氷川下町会史』に載っているものだと推測出来た。読んでみようと文京区の図書館にオンライン予約し、借りてきて読み始めたという次第。
 最初に現町会長の挨拶などがあり、応永29年から令和2年までの「氷川下町会の出来事」が続く。その出来事の詳細部分は実に面白い記事が書かれていた。「太田胃散」・「興真舎牛乳店」・「簸川神社」・「猫又橋と千川」等々が登場していた。(写真:千石3丁目交差点付近の都電。上野広小路行)
 この書物に導かれるかのように9日(水)朝、簸川神社へ出かけた。(次回へ続く)