9月28日(月)、かつて常楽院があったとされるABAB上野店から亀戸4丁目にある第6番常光寺を目指した。予想していたより長い道のりで、気温も高く非常に疲れた。進んだ道程は
 ABAB→上野駅→(浅草通り)→吾妻橋→枕橋→(北六間川)→東京スカイツリー→南六間川分岐点→(北六間川)→福神橋→常光寺





 現在、徒歩で常光寺を目指すとしたら浅草通りが最短で一番分かりやすいだろうが、江戸時代の巡拝者は吾妻橋で大川を渡り、北十間川沿いの道を進んで行っただろう。勿論私も北十間川沿いの道を歩いて行ったのだが、ところどころ通行出来ない箇所もあり、川から一時離れる時もあったが、ほぼ川沿いの道を進んだ。(写真:枕橋、すぐ上は東武伊勢崎線)




 このルートのハイライトは東京スカイツリーだ。真下を通過したときに撮影したものが右写真。北十間川はヘドロなどを運ぶ荷船などが運航し、清流からはほど遠い。










 南十間川と丁字に交わる地点まで来て思い出した。確か5・6年前、“水の都大江戸クルーズ”に参加し、その航行の最後にこの北十間川からスカイツリーを眺め、折り返したのだった。この川がこんなに汚れていたという記憶は全くない。その時は小名木川でロックゲートを初体験したこともあった。小名木川も北十間川も隅田川と旧中川を結んでいるのだった。




 そのときの事を思い出したりしているうちに明治通りと交差する福神橋に到着。そこから常光寺は近かった。
 常光寺は開山が行基と伝えられる曹洞宗の寺院。門前に「六阿弥陀道道標 延宝七年在銘」の説明版が建てられ、次の文が見える。





 「・・・、六阿弥陀詣では、明暦大火(1657年)後の江戸市中拡大、江戸町方住民の定着にともなう江戸町民の行楽行動を示すものといえます。」と。右側面の刻銘から、延宝七(1679)年に、江戸新材木町の同行六十人により建立されたもので、六阿弥陀詣に関する最古の道標であるとともに、江東区に現存する最古のものとも記され、区の指定有形民俗文化財となっているとのこと。(写真:掲示板には六阿弥陀詣ででにぎわう常光寺の様子が描かれていた)




 お参りするよりもまずはその道標を探した。本堂脇に道標はあった。今まで見てきた道標より高い立派な道標だった。同行六十人はこの道標をどこに建てたのだろう。後に続く人の道案内にとの思いとともに自分たちの存在の証にと建てたのであろうか。340年ほどを経た現在にその思いは伝わって来る。六阿弥陀行の最後に良いものを見られたの思いで、お参り後常光寺を後にした。(写真:道標には自是右六阿弥陀道と書かれている)


 六阿弥陀には余り木で作られた「末木観音」がある。江戸川柳にも登場してくるし、永井荷風著『放水路』にも書かれているなど、そこから色々な風景が拡がっていくが、それらは今後折に触れて。