『コロナの時代の僕ら』は実に解りやすく、示唆に富んだエッセイ集で、大きな感銘を受けた。手元に置いておいて何度か読み直したいと思っている。
 本書はイタリア人作家パオロ・ジョルダーノの著作の邦訳である。世界的に大流行している新型コロナウイルス感染症に襲われたイタリアで、ローマに暮らす著者が、2月29日から3月4日まで5日間に考え、感じた記録を、感染症にまつわるエッセイ27本としてまとめたのが本書である。
 更に、日本語版には、2020年3月20日付のイタリアの日刊新聞に掲載された「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」が著者あとがきとして追加された。
 著者が「双子素数」をモティーフにして書いた『素数たちの孤独』はイタリアでベストセラーになり、日本でも人気を博したことは知っていたが、読んではいなかった。

 書き始められた2月29日(土)、世界で確認された感染者数は8万9千人を超え、中国だけで8万人近く、死者は3千人に迫っていた。10日後の3月9日には外出禁止令がイタリア全土に拡大された。
 多くの人がそうだったように彼の予定も全てキャンセルか延期され、空白の時間が生じた。その時間にこれらの文章を書いた狙いは2つあった。今後の予兆を見守り、「今回のすべてを考える理想的な方法を見つけること」と、感染症が「人類の何を明らかにしつつあるか」を見逃さないこと。その思索を綴ったのがこのエッセイだった。

 著者の専門は感染症ではなく、素粒子物理学を専攻したからか、「感染症の数学(=SIRモデル)」がビリヤードの球に例えて語られる。ここは非常に面白かった。招かれたパーティーに参加するか否か悩んだ末に参加を次回にお預けする心の動きが綴られる。招かれていったパーティーでは自分が弱気でいるのに回りの人々が楽観的であるの驚かされたりする、などなど・・・。この感染症の危険性を、様々な例を挙げて数学的に解説する前半が特に興味深かった。
 
 著者あとがきの文章は詩を読むようにリズミカルだ。
 大事なことは、コロナ禍終息後に、元どおりになって欲しくない、忘れたくないリストを書いておこうとして、“僕は忘れたくない”が何度も繰り返される。2つだけ挙げてみよう。
 “僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルな情報が、流行の初期にやたらと伝播されたことを”
 “僕は忘れたくない。今回のパンデミックスそのものの原因が、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にあることを”
 読み終えると、押しつけがましくない“家にいよう”に共鳴し、気分がより落ち着いている自分がいた。