宙組さん再開しました。


初日公演に関しては、

いくつかの新聞社の記事を読んだのと

Xに流れてくるツイートを流し読んだのと

アメブロの感想もちょっとだけ読んだかな。


なので、舞台から何かを感じたりしたわけでは

ないのですが、思ったことをまた少し。


お悔やみの言葉がなかったことについて。


私も最初、なかったんだぁ。。って思ったけど

ぐるぐる考えてるうちに、

なくて良かったんじゃないかと

考え直しました。

想像ですけど、黙祷とか、追悼とか、

宙組再開にあたり、組内で

やってるのではないかと思うんですよね。

それをわざわざ、これからショーが始まる

という公の舞台の上でさらに何かをするって、

単なるパフォーマンス

にしか思えない。


悔やむ気持ちって、誰に対してか?というと

故人に対してです。

観客の多くは、ぶっちゃけ無関係者です。

仮に観客席に、悔やみを述べるに値する

故人の親族とかいるならまだしも。。


お悔やみって

言葉ではなく気持ち

だと思います。


だからその言葉がなかったとしても

批難されるものではないと、私は思う。


劇団が通常運転始めたときに、

まだ一周忌にもなってないのに!とか

言ってる人がいました。


人が亡くなった後、気持ちが整理される期間って

人それぞれで、誰かが長いとか短いとか

決めるものじゃなないんですよ。

それに、故人の御宅は仏教徒かどうかも

わからんのに、やれ供養しろとか、

自分の宗教押し付けるなとも、思ってました。

他人の年忌気にするなら

自分の先祖の墓参りでもしとけ!です。


宙組組長さんや芹香斗亜のご挨拶は

シンプルに謝意だけだった模様。


ここでも謝罪の言葉はないのか!

と息巻く人多数。


謝罪に関してもいろんな意見があって

故人に対してのハラスメント認めて謝れ、

組織の代表として謝れ、

公演中止になったことを謝れ、


まあ人によって謝る対象それぞれかと思います。


でも、謝罪ってきりが無いですよね。

謝罪の言葉を述べたら、述べたで

誠意が足りないとか、土下座しろとか

なんなら、極端な話、頭を地べたにつけて、

頭踏みつけても、もう十分って思えない人も

いるわけです。

しかも舞台の上で謝罪って、

いったい誰に対して?でしょうか。


舞台を観に来る「お客様」に対しては

舞台が長らく中止されていたことを

理事長が謝ったわけだし、

それで良いのじゃないかと。



その点、ありがとうございました

という言葉は当たり障りなく無害だな、と。

誰しも、ありがとう、と言われて

悪い気する人はいません。

軽い謝意だろうが、心からの謝意だろうが

受け取る人は、その言葉に対して

文句言う人はいないはず。


だから、今回の宙組の初日開幕にあたり

必要最低限の考えられた

ご挨拶だったんじゃないかと想像します。

あとは、舞台から個人個人

何かを感じ取ればいい。


言葉って独り歩きします。

仮に芹香斗亜や組長さんが本件に関して

何かを公の場で話したとしても、

人って自分の都合のよいように解釈したがるから

本人の意向とは違うように誤解されることもある。


沈黙は金なり


ということもあるかと思います。