9月21日(水)11:15
久しぶりに、すっきりとした空
気温も上がってきた模様
「岩瀬若者一同」の曳山
人形の場面『壇ノ浦の戦い 義経八艘飛び』
人物は「源義経」 「平教経(たいらの のりつね)」
1185年4月
(今朝の「讀賣新聞」に歴史の出来事を西暦で
表示しようっていう文章が載ってました。賛成
「関が原」とか「討ち入り」の日も変わるネ)
それは、さておき、
壇ノ浦(山口県下関市)で行われた源平の海戦。
これにより平家は滅亡する。
開戦時は平氏が優勢だったが、潮目が変わると
形勢逆転、平氏は壊滅状態となり、一門は次々と
海中に身を投じた。
一人、平 教経(のりつね)だけは、孤軍奮闘、
大将、源 義経だけでも道連れにしようとするが、
義経は船から船へとひらりひらり、飛び移り、
あっという間に八艘ほどの向こうへ行ってしまった。
教経は、自分を捕らえて手柄にしようと挑みかかってきた、
安芸太郎・次郎を逆に捕まえ、両脇に抱え、
「死出の旅の供にしてやる」と言って海に没した。