角館のお祭り;曳山(やま)の人形ⅩⅤ | まちゃぼふの小部屋;掌の上で愛でるもの

まちゃぼふの小部屋;掌の上で愛でるもの

身の回りに集まってきた、いろいろなものをご紹介します
***ロシアもの,紙もの,ミニカー,プラモデルetc***
日常の出来事なども織り交ぜながら

ラストは

七日町

七日町(なのかまち)若者の曳山
場面は「夜討曽我狩場曙 ようち そが かりばの あけぼの」
人物は「曽我五郎 そがのごろう」
     「源頼朝」・・・だったような汗
     「曽我十郎 そがのじゅうろう」・・・真ん中の首・・・祐経(すけつね) 
     じゃないよね汗
                     

昨日の中央通に続いて「曽我物」

頼朝は奥州、藤原秀衡(ひでひら)亡き後、落ち延びた義経を討つ。                その後、藤原泰衡(やすひら)を討ち、藤原氏を滅ぼす。
全国を平定した頼朝は、記念として、富士の裾野で大規模な
狩くらを催すことに。

父の仇、工藤左衛門祐経(くどう ざえもん すけつね)を討つ機会を狙っていた           曽我五郎、十郎兄弟は、狩くら三日目の雨の夜、仮屋に攻め込み
あだ討ちを果たす。

兄弟は逃げもせず、祐経の子や家来に「無念と思えば、相手になるから
勝負せよ」と宣言。結果、兄、十郎は負傷し仁田四郎忠常                     (にたんのしろうただつね)にすすんで討たれる。                            一方、弟、五郎は頼朝の御所に近付くが、女装した五郎丸に捕らえられる。

兄弟の様子から、自らを顧みた頼朝は、うらみの連鎖を断ちきるため
五郎に死罪を宣告。父母の事を心配する五郎に対し頼朝は、
母には、兄弟の回向料(えこうりょう)として領地を与え、生涯、
暮らしには困らせはしない、と慰める。

曽我物語、前半部については、また後で記したいと思います。

※江戸時代中期、宝永年間(1707年12月)に起きた富士山の
宝永大噴火を兄弟の祟りと信じた人もいたそうです。