入院中

「オエッ・・・オエッ・・」えずきながらも考えていたのは

義両親との別居を続けるか

同居生活を再スタートさせるかでした

義両親は夫の収入で生活していて

別居してもその状態は続いていました

私の収入だけで二人の子供を保育園に入所させて

アパートの家賃や生活費を支払うのは

ちょっと難しいなと感じていました

帝王だった姑は認知症が進行し

相手を支配するかの如くふるまう様子はなくなり

排泄もままならない状態となっていました

姑より高齢の舅に面倒見切れるわけもなく

その現実に夫が心を痛めていることも知っていました

 

ある日を境に

霧が晴れたようにつわりが楽になり退院

職場復帰も叶い

長男の時のように切迫早産で入院することもなく

産休まで勤務できそうだなと確信したころ

「戻ろう」

夫にそう伝えました

「いいのか?」

「だって爺ちゃんだけじゃ無理でしょ・・・だから戻ろう」

「悪いな・・・ありがとう」

産休に入ったタイミングで引っ越しの準備をはじめ

出産は嫁ぎ先から向かう段取りにしました

産後、体が回復するまでは実家で預かるという

実家からの希望を尊重してもらい

退院後は子供達と実家で過ごせることになりました

 

認知症の家族と同居するということ

小さな子どもたちを育てながら

仕事を持ちながら介護するとはどういうことか

家族の誰か一人が極端に頑張らなければならないなら

自宅介護は成り立たないこと

夫は私たちが同居することで

姑の介護や家の中の問題は

私に任せることができると思っていました

私よりもずっとずーーーーっと簡単に考えていましたから

私の1ヶ月あまりの里帰り期間は

夫にとって良い体験期間になると思いました

 

そして産休突入

 

嫁ぎ先に戻った私は

家事と長男の育児に追われながら

出産の準備と里帰りの準備を整えつつ

姑の介護も担当

覚悟はしてたけど疲れたな~~身重だったし・・

姑は1日中リビングのテレビの前に座って

ボーっと過ごすことが多く

やはり排泄機能は正常を失って

尿も便もトイレでできなくなっていました

それでも元気だったころの性格の影響か

失禁後オムツ交換に誘っても

すんなり応じてくれないことがあり

しつこくすると激昂して声を荒らげることもありました

お腹の子はあまりの環境の変化にびっくりしたことでしょう

引っ越し当日

移動の車中で眠ってしまった長男が

「仲良くしてね・・」といった不思議な寝言

見えない何かが影響したのか

長男は割とフラットですんなり環境の変化に適応してくれました

立て込んで疲れたけど

子どもが安定していたのが救いでした

 

そして迎えた入院当日(出産前日)

長男を緊急帝王切開で出産した関係で

次男も帝王切開で出産することになっていました

舅に行ってきますと伝えると返ってきたのは

「気をつけてな」でも「無事に終わるといいな」でも

「こっちのことは心配しないで」でもなく

 

「今晩からの食事がどうなるかそれだけが心配だ」

 

へえーーーーーーっ!!ですよね

すごーく譲って更に深読みしてみますよーー!

「また手術するなんて不安だろうけど

心配なのは食事のことくらいなんだから何も心配しないで

行ってきなさい」という風にもとれますか?とれる?どう?

 

病院に向かう車中で

「心配しなくてもいいようにうまいもの買ってやってねぇ」と

冷ややかに夫に伝えました