絹の道を歩いてみた! | 東京散歩日和

東京散歩日和

日々の散歩の様子、小さな出来事を綴っていきます。

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者シュリーマン。

彼は実は日本好きで 江戸時代、世界周遊中に日本を訪れていたそうです。



町田コンベンション協会主催で、

「シュリーマンが歩いた辿った絹の道を歩く」という企画があったので、

久しぶりに平日ですが参加してみました。





この企画は全4回、今回は2回目。





集合場所はJR横浜線淵野辺駅

駅に隣接して桜美林大学淵野辺キャンパスがあります。

ほどなく歩いていくと





ここはパイロット養成コースの寮だそうです。



そういえばちょっと前に管理がずさんだとかで

国の養成施設指定を取り消されていましたね~



娘がここの幼稚園に通っていたので、

家の寄付金もどこかで使われているはずです(笑)





さて、本当のスタートはここからです





箭幹(やがら)八幡宮



1回目のゴールが今回のスタート。





木造の二の鳥居。

「両部鳥居」といい、神仏混淆時代の名残りです。



2本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設け、

貫(ぬき) で連結してあります。

宮島の厳島神社が代表例ですね。





不思議ですね、彼はなぜ町田街道だったのでしょう?





シュリーマンが訪れた1865年は幕末の動乱期でした。



ペリー来航から12年、

貿易は推奨されていたものの

東京湾の海域に外国船は入ることができず

シュリーマンは、横浜港に上陸します。



その頃、横浜の開港で八王子が養蚕業が活発になり、

横浜~八王子間は浜街道(現町田街道)として行き来が盛んでした。



その中継点で栄えたのが今の町田駅付近ということでしょうか。



当時は視察したくなるほどにぎわっていたのでしょうね

今は 通称「町街」  ただの自動車道ですが・・・





この日は朝からの雨、降ったりやんだりですが、

シュリーマンも横浜を馬で出発、

その日は原町田(町田駅前辺り)に泊まり、

次の日はひどい土砂降りだったそうです。







歩いてみて見つけたものはありました。



石仏を挟んで現町田街道と旧町田街道



石仏は昭和40年代のもののため現町田街道の方向に向いています。

整備された町田街道に沿って、旧町田街道の名残が見え隠れします。



かつて境川の流れに沿って歩いていた道も

自動車で移動する今は整備されてしまいました。



境川本流だったところも形が変わり





町田街道の変な横道が実は旧街道の名残だとして改めて歩いてみると、

妙に納得させられたりしました。





日枝神社内の蚕影神社





札次神社内蚕種石





こちらは、養蚕業が盛んなころの養蚕信仰が伺えます。



余談ですが、娘が小学校低学年の時、

家で蚕を飼うという課題がありましたが、

こちらも名残でしょう(笑)

指定された桑畑にえさの桑の葉っぱをいただきに行ったことを覚えています。





因みに日枝神社も札付き神社も両部鳥居でした。

こちらは札次神社の鳥居









普段生活に使っている道も、

歴史を考えながら歩いてみると面白いし、

その当時の生活や信仰も見えてきます。



今回は触れなかったのですが、

境川の氾濫と付近の人たちの歴史も興味深いところがありました。







この後、シュリーマンはその経済力を使ったためか、

苦労はするものの、

イギリスの領事館やアメリカの高官を頼りに江戸に向かったそうです。

浅草の浅草寺が大のお気に入りで何度も訪れたそうですが、

彼の著書「シュリーマン旅行記 清国・日本」ではその豪遊ぶりが伺えるようですね。



1871年のトロイ遺跡発掘が始まるかなり前の話です。







次回3回目 すでに満員御礼になっていましたが、

声をかけていただきました。

平日なのでちょっと無理です



だけどまた機会があれば参加したいですね~









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