平成19年(2007年)に旅立った母と父は、共に昭和7年の生まれ75歳だった。
足が不自由になった父を10年ほど介護した母は、末期癌に侵され入所していた
ホスピスで旅立った。 自宅にいた父を気にかけながら、父の旅立ちの翌日に母は逝った。
夜が明ける前にその電話が鳴った。覚悟はしていたのでその時が来たかと軽く身支度をして
まだ明けきれない初冬の暗い道を、いつもより深くアクセルを踏み先を急いだ。
ホスピスに着いたとき母は自ら大きく呼吸をゆっくりとしていて、今にも止まりそうな心臓を何とか動かして
いる状態だった。声をかけても反応はなかった。そして兄弟たちが駆け付け、見守る中で
「フー」っと息を吐いて・・・それから息を吸う力は残っていなかった。
私が母にかけたお別れの言葉は「ごめんね」だった。
あれから10年が過ぎたが、タンスを整理ていたら「母の腕時計」が出てきた。
タイメックスのシンプルな腕時計は、まだ正確な時を刻んでいる・・・10年の時の流れを刻み続けている。
両親との別れは、その後の10年間の自分自身にとっていったい何だったのだろうか。
子供たちは独立してかわいい孫たちも居て、これ以上求めるものはない幸せな人生は
両親が残してくれたものに違いないと感じている。「ありがとう」
殺伐とした世の中だが、自分自身もその殺伐さに慣れてしまわないようと、つくづく思うこの頃だ。