身体が健康で持病もなく、社会的にも普通に認められ…仕事も順調。
容姿も端麗で、お金にも不自由していない。
そんな人でも、もちろん悩みや思いつめる事はある。
「死ぬしかない」と思ってしまう時もある。
ただ、その「死ぬしかない」と思う気持ちは、既に気持ちが病んでいる状態である。
判断力まで病んでいて、間違った結論に達している。
良く世間で「自殺」を選んだ人に「自殺するなんて馬鹿のする事」とか悪意なく言ってしまう人も多いけど…
慢性的か、はたまた、一時的にでも…
病的な精神状態になってしまった時にそういう判断に至るだけ。
つまりは、本来のその人は死にたいとは思っていなくても、その時だけ、死に至るほんの直前だけとかに「今の自分にとって死ぬことが必然」と思い込んでしまうのだ。
今現在、人生を元気な気持ちで生きてるみんなにも、「死にたい」と思う時は来るかもしれない。
どんな人にも「死ぬしか道がない」と思う時もあると思う。
ただその時に、他の選択肢が見えなくても、「死ぬ」という手段は間違っていると心得て欲しい。
「死」は、強い誘惑で「これしかないよ」とささやいてくるけど…
それは間違いだと、心のどこかで抗う自分の分身も育てておいて欲しい。
実はしろくま・まちゃるも、前職退職の1年ほど前に、「死にたい」「死ぬしかない」「死んだら楽やろうな」「死んだ方がマシかも」という思考のループに陥った事があった。
でも中学時代から周囲の色んな相談に乗ってきて…
高校生以降からは「死にたい」な相談も山ほど聞いてきた。
そうした経験の蓄積の中で、心の中に自分の分身が育ってきていた。
その分身は「死にたい」「死んだ方が楽や」としろくま・まちゃるが思う度に「それは違う」「生きていれば何とかなる」と反論してくれた。
本人がいくら「死」が正しい道であると主張しても、心の中の分身は、「結論としての死」は、間違いであると説いた。
しろくま・まちゃるのこの経験は、ある意味、特異。
みんなには、周囲の人からの意見や助言が大切。
親でも子でも、友人でも知り合いでも、腹を割ってさらけ出す勇気が必要になる。
もしも顔見知りにさらけ出す勇気がないなら、ネットなどで、自分を知らない誰かにさらけても良い。
第三者に率直に意見をもらい、客観的に自分の悩みや思い煩いを評価する事で、改めて自分の判断を見直せたりもする。
人とはなそう。
人に聞いてもらおう。
今すぐ解決はしないかもしれないけど、それなら時間をかけたらいい。
「死」が最終的な答えではない事だけは確かなのだから。
しろくま・まちゃるは、持病もあるし、
50を越えてもなおバイト暮らしで貧乏だ。
将来の不安も山積みだ。
でも生きてる。
日々の小さな幸せを繋ぎ合わせて生きてる。
日々を生きよう!
皆、人は不安や悩みを抱えてる。
皆、同じやから。