東寺は、京都市南区九条町にある東寺真言宗
総本山で、教王護国寺ともいう。
以下、案内のボランティアさんによると
教王とは、王を教化する=王に良き影響を与え善に
導く、護国は読んで字のごとしで 鎮護国家を
象徴する寺院であれとの願いが込められている。
桓武天皇平安遷都の2年後、延暦15年に京の
入り口である羅城門の東側に官寺として創建された。
西側には、西寺が時を同じくして官寺として建立された。
昔は今のように一般人が気軽に拝観?できず
五重塔を見ることで仏の救い?が
得られるようにとの思いから高いと……
京のどこからも見える。
空海が東寺を拝領するも多くの伽藍工事は進行して
おらず、金堂とわずかな僧坊のみだったという。
そんな中でも空海は造営事業に邁進し、境内全体が
空海の理想の世界が東寺だという。
これだけの規模のお堂を作るために大変な量の材木と労力が
必要で 空海は、朝廷に「東寺塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」
を提出し協力を仰ぎます。
そして勧進の表を提出した結果、多数の人員の確保に成功し、
東山から計24本の材木を調達することが出来ました。
しかし時の天皇淳和天皇が病に臥したのは 誤って稲荷山から神木を
伐り出したことによる祟りとされ、国の事業だからと国側がおれて
稲荷大明神に位を授け、東寺と伏見稲荷大社の間に御旅所を造られている。
五重塔の解説も聞いたがパンフレットなどから以下。
国宝・五重塔 高さ55m 本瓦葺
稲荷山神木事件などがあり 空海が生きている間に
竣工できなかった。
ようやく元慶7年(883年)竣工するも1055年焼亡。
1086年再建、1270年焼亡、1293年再建1563年焼亡
1594年再建、1635年焼亡、1644年再建。
現在五代目の塔である。
内部は、心柱を大日如来にみたて、須弥壇に阿閦、
宝生、阿弥陀、不空成就の3如来と八大菩薩。
扉の左右柱には八大龍王が描かれ
壁には、真言八祖像。
真言密教を伝えたインド・中国・日本の祖師達(龍猛(りゅうみょう)
・龍智(りゅうち)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)
・善無畏(ぜんむい)・一行(いちぎょう)・恵果(けいか)
・空海(くうかい)。
恵果は、空海が自らの正嫡に価する法器であることを見抜き、
翌日に胎蔵界の「受明灌頂」を授け、7月上旬に金剛界の「受明灌頂」を授け、
8月10日には阿闍梨位に上る「伝法灌頂」を行った。
そして宮中の絵師たちに、両界曼荼羅図や密法具の製作を命じ、
不空から授かったものや自分の付嘱物を空海に与え、
「この法をすぐに日本に持ち帰りそれを弘めなさい、
それが私への報恩になる」と諭した。
その後すぐの12月15日、恵果は自坊の東塔院で没した。
五重塔の最下段には像などがあるがその上の段は
空洞となっている。
空海が持ち帰った仏舎利(釈迦の遺骨)は最上階に納めてある。
金堂 入母屋造 本瓦葺
現在の建物は慶長8年(1603年)豊臣秀頼の援助で復興。
空海が東寺を下賜される以前に完成も
文明18年(1486年)土一揆で焼失。
薬師如来、両脇に日光菩薩、月光菩薩
台座の十二神将
講堂 延暦3年(1491年)入母屋造 本瓦葺
金堂と同じ時に焼失するも 重要伽藍だったことから
5年後に再建。
立体曼荼羅(仏像)はみごたえがあり。
なにげにイケメン国宝と高名たかき美男子、帝釈天(たいしゃくてん
ボランティアさんいわく
南大門から入ると 北に向かって
本堂である金堂、道場としての講堂、食堂
金堂で仏を拝み、教えを学ぶ講堂で法を知り
食堂で仏の教えを実践する僧と出会う。
毎月21日「弘法さん」は弘法大師の命日に
催される京の風物詩。
江戸時代末期、五代目当主・笹屋伊兵衛が、
京都・東寺のお坊さんから「副食となる菓子を作ってほしい」と
依頼を受け 鉄板の代わりに、
お寺の銅鑼(どら)の上で焼いたことから「どら焼」。
京都駅地下でみつけて求めました。
The next is hot springs.






