今、世界的に貧富の格差が広がっている。


豊かな人はより豊かになり、貧しい人はますます貧しくなっている。



この格差が広がっている大きな理由は、人としての自尊心が全体的に失われていっているためである。



つまり、豊かである人も貧しい人もともに自尊心を失っているため、豊かである人はますますお金を稼ぐことだけに執心し、貧しい人はますますなにかを失っていく。




つまり、豊かである人も自尊心の高い人は、お金よりも大切なものがなにかをわかっているし、貧しい人も同じように意地や勝ち負けよりも大事にすることもあると思うだろう。



が、全体的に人として自尊心が欠落していっているために、そういったことがわからなくなっている。




つまり、人類全体として、人としての自尊心を取り戻していかなくてはいけないということである。




なぜ、人類は自尊心が欠落していったのか。



それは、人類の生み出すさまざまな功績の結果、人の命よりもそれを尊ぶ傾向が強くなっていったからである。


つまり、優れた技術や優れた業績、そういったものを大事にするあまり、それが人の命や人の生活よりも大事であるとそういう傾向に人々の思考が向かっていったためである。





人が人として生きていくために一番大事なことは、なによりも人の命が大切であって、人の生活や健康を犠牲にしてまでも、人の生み出すものを守る必要があるかどうか、これを常に自分に問うことである。



それがたとえ偉大な功績の産物であったとしても、人ひとりの命には変えられない。



これを人類は今一度見直していかなくてはいけない。




科学技術の進歩というのは、人類に自尊心の欠落という最悪の結果をもたらした。





それは下賎の世界においても、高貴な世界においても実は同じである。



自尊心が失われているのは下賎の人々に限ったことではなく、国の上層にいるたとえば皇族などの人々においても同様に自尊心が失われている。



それは、しきたりや見栄などを尊重するあまり、自分を偽り自分を犠牲にしていることもあるということである。



ひとりの人間であるということ。これはたとえ皇族や総理大臣であっても当たり前である。




今日、世界は人間である領域をいたるところで逸脱している。



人間であるとはどういうことか。



人間が生み出すものは、人間のためのあらゆるものでなくてはいけない。




人間のための。