逆に、家庭や子供をもつことをあきらめ、社会の中で自己実現していくという選択をとる。



つまり、独身者であり続けるという覚悟が当然必要になる。


独身者が歳をとっていって、社会の中でよく思われない理由は、たとえば私生活が乱れているとか、配偶者や子供がいるということの苦労がわからない、などというものがある。



ひとりで生活していると、だんだんと生活が偏っていって集団にいるということが苦痛になってきたり、また誰かに歩み寄るというような感覚も薄れてくる。


また、いくら仕事ができたとしても、家族がわからないために家族が関わってくるようなプロジェクトからははずされ、結局仕事に挫折していく。



仕事は裏切らない、というのもウソである。



ひとりで生活していても、社会の集団の中にいて違和感のない独身者であり続けるには。


また、家族というもの家庭というものがなくても、家庭のある人たちと同じように仕事をしていくには。



どうすればいいのか。






生活が清潔であるというのは、家庭を持っていても持っていなくても人から受け入れられやすい条件である。



しかし、いくら生活が清潔であっても、ひとり暮らしは他人に配慮することが欠けていく。


食事もひとりで食べているし、寝るのもひとりであるわけで、そこに他の人が入ってくるということが苦痛になってくる。


そうなると、自分自身がやれる仕事を制限してしまう傾向があるんである。



あまり人と関わらずにすむ仕事、集団の中に長時間いなくてもいい仕事など。



家庭を持つということよりも、仕事に生きるということを選択した時点で、その人はもともとがそういう性質である。


つまり、家庭があろうがなかろうが、もともと人と関わることがあまり好きではない人である。


であって、そういう人が独身だからといって、無理にいろんな人と関わろうとしたり、付き合おうとしたりして、独り身の欠点を補おうとするからおかしくなるんである。



せっかく独り身なんであるから、他人に気を使わずにすむ仕事に素直に没頭すればいい。



誰にも会わない日があったっていいんである。



そして、家族を知らなくても、家庭を知らなくてもできる仕事など山のようにある。


そういう人が、家族で住む家の設計とかそういう仕事をするから仕事に挫折するんである。




たとえば、製造機器のエンジニアとか、アート的な仕事とか、そういった仕事はむしろ家庭がある人のほうが向いていない。


家庭の所帯じみた感覚などが自然に仕事の邪魔になっていくんである。




独り身であって、公務員であるとか、家族向け商品を扱っている会社の社員とか、そういうところの一員になるというのは非常に肩身のせまい話である。





独り身に向いている仕事を選べばいいんである。