とりあえず、今自分が置かれている状況を脱出しなくてはいけない。
いったい自分はどうしたいのか。今自分が置かれている現状を整理する。
父親が経営している会社の社員として働いていて、いずれ自分もそこを継がなくてはいけない。
この現状に対して、自分はいったい本当はどうしたいのか。
父親の会社を継ぐことが大事なのか。
父親と自分のやっている今の職業を続けることが大事なのか。
自分が経営者になって会社を経営していくことが大事なのか。
いったい今の自分にとってどのことが一番大事であるのか。
父親の会社を継ぐことが大事であるのなら、なんとしてもその会社をつぶさないようにして存続させていく方法を考えなくてはいけない。
今の職業を続けたいのなら、父親の会社じゃなくても同業の他の会社で働くこともできる。
自分が会社経営者になりたいのなら、父親の会社を一度つぶして、自分が新しい会社を作ることもできる。
なにが一番自分にとって大切なのかによって、まったく異なる将来の選択肢が浮かび上がってくる。
つまり、今の状況では自分がまったく身動きがとれない。なにをどうしたらいいのかがわからないからである。
客観的にみれば、この現状は書いたような3つの選択肢のどれかを選ばないと、脱却できないと思う。
①父親の会社を継続させていくことを第一に考える。
②自分が今の職業を続けていくことを第一に考える。
③自分が会社を経営することを第一に考える。
つまり、現状は会社の経営がうまくいっていないということが大前提なんであるが、①の場合、会社の方向性を変えてでも存続できる方法を考えなくてはいけない。
新しい職種にするとか、取り扱う商品を替えるなどして。
②の場合、自分がその職業を続けていきたいと思うなら、それを続けられる方法を考えなくてはいけない。
父親の会社を辞めて他の会社に勤務するなどして。
③の場合、とりあえず自分が会社を経営することが大事であるなら、うまくいっていない父親の会社を一度倒産させて、もう一度自分で新しい会社を立ち上げる。
そのとき、現在の職種でなくてもいいなら、なんでもいいからうまくいきそうな会社を立ち上げる。
というように、まったく違った将来になる。
が、これを整理しない限り、現状を打開していくすべはない。
そして、それを決めたあとは、まったく違う方針に向けて動いていかなくてはいけないんである。
それを考えずにいままでやれていたということのほうが、むしろ無理と苦労の蓄積であったと思うし、それを整理することによって、そこから始まる先の苦労のほうが、健全でがんばりやすいことである。
つまり、将来の目標に向かって前向きに進んでいく苦労である。
この労力と、辛く苦しいことにひたすらに耐えていく労力とはまったく異質のものである。
それは使うエネルギーは同じであったとしても、前者はポジティブな雰囲気が漂い、後者にはネガティブな雰囲気が漂う。
どっちがいいとかそういった問題ではなく、ひたすら不幸に耐えていく人生で、それが自分らしいという人もいるわけであるから、そういう違いがあるというだけの話である。
ではこの現状を生きている自分はいったいどっちの人なのか。
いままではこの現状が不幸でありそれにひたすら耐え続けるだけの人生であったけれど、それを整理していずれかの選択肢を選んだならば、そこから先はポジティブな雰囲気の漂う人生に変わっていくのか。
この選択肢の大きな違いは、②と③は自分の希望であるが、①は父親の希望である。
つまり、②と③は、自分がそうしたいという自分の要望を選択するわけであるが、①の場合は、父親の会社を継ぐという父親の要望が主である。
よほどに親の会社を自分が継ぎたいと思っていれば別であるが、今の職業でいずれ自分の会社を持ちたいと思うのであれば、②か③のどっちかを選べばいい。
つまり、自分を主体にするならば、②か③のどちらかを選ぶ。
が、①を選ぶということは、父親がいままでやってきた会社を息子が継ぐという親の希望を汲んだ将来を選ぶということになり、そこにはこれまで自分が耐え続けてきた苦労をも継続させなくてはいけないという現実が横たわる。
つまり、①を選べばこれまでどおりの人生で、②か③を選べば違う人生が待っているということである。
そして、やっぱり自分は②か③は選べない。①を選ぶことが自分らしいと思う人は①を選べばいいんである。
②か③を選んで、未知の世界でなにかクリエイティブなことをやっていかなくてはいけないということを考えただけで、自分はつぶれてしまいそうだと思えば、①を選び、父親が作った会社でそれをそのまま継続させていくことを考えればいい。
人生の選択というのは、つまりはこういうことなんである。
人生には、自分が何かを選択できる機会が何度か訪れる。
そのときに、自分が自分であれる選択をすることが、自分らしい人生を歩んでいける秘訣である。
それがはたからみて、あまりにも破天荒で冒険的だと思われようが、あまりにも不幸で苦労が多いと思われようが、それが自分らしければそれでいいんである。
人生の岐路に、何かを選択せずにきてしまったという人は、それはそのときにいままでの人生を続けることを選択しただけのことである。
というよりも、選択する機会を逃してしまった。つまり、そのときに自分の心がいったいどう感じているのかを考えずに、そこに向き合わずにやり過ごしてしまった。
それは、一生そうである人もいるかもしれない。
一生自分と向き合えずにこの世を去ってしまう人。
自分と向き合えない理由が、そこには何かあるんだろう。
それは自分と向き合うということが、自分の心と対話するということであるのなら、自分の心がどこにあるのか見えない人にとっては、それは一生できないことである。