自分にできるなにかのことで、社会の役に立ちたい。
成熟した社会において、そう思う人は少なくない。
しかし、個人が社会の役に立つということは並大抵のことではない。
多くの人は、社会からはずされないように、社会にい置いていかれないように、必死でしがみつくしかない。
それが成熟した社会であるならなおさら、社会の一員として認められる条件が高い。
社会の一員からはずれないように、必死でがんばるのが普通の人である。
ボランティア活動に参加して社会の役に立ちたい。
それは、ボランティア活動を提供している人が、その人に対してボランティアを施しているだけである。
つまり、会社に勤めたりしてお金を稼ぐこともできない人に対して、結果も利益も何も求めずに、何か社会と関わるすべを、提供してあげているだけである。
そういうことができる人がいることが、社会が成熟している証である。
消費税が上がって、庶民の暮らしはやはり苦しくなっている。
が、消費税が数パーセントあがったからといって、別に普段の暮らしは痛くもかゆくもない人も中にはいる。
消費税が上がって、自分の生活は明らかに苦しくなったと思う人は、ただの庶民である。
社会からとりこぼされないように、必死で喰らいついて生きていかなくてはいけない人なんである。
消費税増税は、そういった庶民の感覚を再認識させる政治的手法だったのかもしれない。
ときどき増税して、勘違いした庶民をこらしめないといけない。みたいな・・・