結婚して子供を育てるか、独身のまま親の面倒をみるか。


現代の若者の人生は、その二択である。



そして、どちらであっても日本社会に貢献できる人生である。


1人で好きなことをしながら気ままに生きる人生というのは、残念ながら許されない。


独身でいること = 親の面倒をみること



たとえば、きょうだいが2人いて、1人は結婚して子供をつくり子育てをする。1人は結婚せずに家に残って親の面倒をみる。


そうであるなら、家としては、子孫も残し、また親の面倒もみることができるので理想である。


実際に子育てしながら年老いていく親の面倒をみるというのはかなり大変である。



結婚しないきょうだいがいるのなら、その子に親の面倒をみてもらえると実に助かる。


そういうきょうだいがいない場合は、いずれは親を施設にいれるしかない。



きょうだいの誰かが家族を連れて親と同居し、その家族が家を継ぐというのが少し前までの家のあり方だったけれど、親と同居して子供を育てるというのも、現代ではなかなかに難しい。


それは、多分に親世代に問題がある。



少し前までは、隠居した高齢者は後を継いだ若者世代の言うままに、なにも言わずに暮らしていくのが当たり前であったけれど、昨今の高齢者はそんなことができない。


高齢期になっても自分たちの生活のいろいろを貫きたいし、子供世代に振り回されるのを嫌がる。


特に、最近の高齢者は経済的に豊かであるために、子供に養ってもらう必要がないということもある。




つまり、高齢者も自身で自立した生活を送ることができる。


であるために、親の自立した生活に子供が寄り添えることが大事であり、子供がいて家庭のある人の場合は、そういったことができにくい。


自分の生活のほうが大事だからである。




しかしながら、この場合、親が亡くなったあと、親の面倒をみていたその独身の人を誰が面倒みるのかという問題がある。


その人には当然子供がいない。



その問題は、さらに先送りにするしかない。


明らかに子供が減っている社会で、親世代を子供が面倒みていくには限界がある。




移民や難民を受け入れるとか、そういうことになっていくのかもしれない。




結婚せずに独身のまま生きていこうとする人は、親の老後の生活に寄り添うつもりで自分の生活を見直す必要がある。


しかし、結婚というものはいつどこで縁があるかわからないので、そうはいっても結婚して子供を授かるかもしれない。


が、婚期というものは確実にあって、それを逃したと本人が感じる場合、それは一生結婚というライフイベントを逃してしまったんである。





就活、婚活、最近は妊娠をするための活動期を妊活と呼ぶらしいし、そういったライフイベントを手に入れる活動期というものが誰しもにも訪れる。



結婚、出産して家庭にいる主婦も、もう一度社会で働くチャンスを得る再就活という時期があるかもしれない。


そういった活動期を棒に振らずにチャンスを手に入れるか、それを自ら逃してしまうかの違いかもしれない。





現代の若者の人生の二択についてである。