人類が滅亡するという今年、2012年。
それは、世界がインターネットという目に見えない世界でつながり、そのネットの世界が人類の生きる居場所になってしまう。というそういう意味ともとれる。
そういう意味では、人類の現実の世界というのは、すでに崩壊しかかっている。
つまり、パソコンに向かっているその時間は、現実には何もしていないわけであって、ネットにいる時間が長ければ長いほど、現実の世界に身を置いていないんである。
であって、大抵の人がそういう風にし出すと、いったい誰が現実の世界にいるんだろう?というそういう疑問がわいてくる。
であるので、人類は現実の世界から消え失せて、地球上には人類以外の動物しかいなくなる。
つまり、まともな人はネットの世界に生き、まともでない人は、人間でなくなる。というほんとうに人類が地球上から消え失せるという危機であるね。
が、人間でない人が現実世界に蔓延してきたら、そこで自分がまともであることがばかばかしく思えるので、まともである人は、ネットに逃げ込むかもしれない。確かに。
ノーベル平和賞という賞が、重くのしかかってくるね。
人間が人間らしく、地球という星で、現実を生きていく。
これが、人類が平和であるということだろうな。
ただ、命がある人が執着する幸せというのは、やっぱり人間であるということだと思うね。
虐待によって脳に障害の出た人は、これは治療によって治る可能性があるらしい。
人間外社会にいきているいきものも、ぜんぶ同じ状況にあるわけじゃない。
ただ部落の出身というだけで、人間としてはまともである人も、ここにまじらされていたりする。
ここも小骨の園と同じように、出たくても自分だけ出ていくわけにはいかない、という人もいたりするんだろう。
まずは、そういう人たちを引っ張り出して、きちんと人間社会で生きられるようにするべきである。
そして、ネットに逃げている人たちも、現実で生きるということが、やはり人の幸せであるから、現実の社会に引っ張り出して、ここでたとえば自分を表現できたりするような場を与えるべきである。
そうやって、まともな人間社会を継続していかないことには、人類の未来はない。
つまり、現実の人間社会から、まともでない人にも出て行ってもらわなくては、まともな人が現実の人間社会から出て行ってしまう。
憎まれっ子世にはばかる。とは、まさにこのことである。
気が付いたら、自分ひとりでした。地球上に。みたいに…
そして、人類の頂点に立つような優れた人も、それは自分ひとりしかいなくて孤独である。
右に出る者がいない。自分と同じような優れた人間は、他にはいない。
それも受け入れなくては、いつまでもゴミにまみれようとしてしまう。
天才とバカは紙一重。というやつですね。
孤独な天才が、バカと張り合いたがる。
同じ位、普通の人にはどちらも理解できないから…
バカ相手に好き放題やりながら、自分の寂しさを紛らわせる。
大人になれよ。いい加減…