つまり、この地域の部落の統領の家。



この家は、はっきりいって統領の資格のない家である。




部落を統治することも愚か、人として誰かと付き合っていくことすらできない家族である。




であって、長男はその友達を裏切り続け、次男は縁談のあったお嬢さんをもらうことすらできなかった。





部落の統領。この人たちぐらいは、せめて人間として人間社会と関わっていける器がなくてはいけないだろう。



この人たちにその器がなくして、下々の部落民が人間であれるわけがない。





奥さんは、京都の部落の統領の息子を知っているだけに、ここの部落のいろいろが信じられないだろう。



この地域に、まともに人間である人はいったい何人いるのか…?





現実的に、まともに人間同士の関わりがしたいんですけど。




人間同士のやりとりをすることが、これほどに困難であるということすら、知らなかっただろうね。奥さんは。



なんせ、ご自分も立派な人間であるわけだから、周りも立派な人間である人に取り囲まれていただろうし。






が、地球は人間を始めとする動物が生きている場所であって、自分たちは人間であるべきであるので、当然人間社会を維持していくことを最優先に考える必要がある。



が、奇しくも人間社会からはずれてしまった人たち、さらには地球上の生き物のルールからもはみでてしまった人たち。この人たちを、人間社会および、他の動物の社会を守るために、管理していかなくてはいけない。


人間のルールはおろか、この人たちは、野生に住む動物たちの社会のルールも侵していくだろう。



そういう意味で、管理していかなくてはいけないというだけで、自分らは人間であって、人間社会の維持・貢献に当然尽力すべきである。


とりいそぎ、人間社会の中産階級という立場の人々。


この人たちがいろいろから抜け落ちているらしい。





そして、多くの人が外れ堕ちてしまう人間社会というもののあり方も、もう一度見直していかなくてはいけない。