人間社会に根を張れずに生きている部落民。



それは、人間社会の外にいて、ただ都合よく使われるだけの人々である。



が、この部落の成り立ちを考えたとき、この人たちが人の道をはずしたものの集団であるとするなら、現在まで、血の継続によって、部落民という人々をひとくくりにすることは間違っている。



つまり、現在の部落民の中には、立派に人として生きている人もいるわけで、彼らは当然人間社会に根を張って、普通に生きていくことができる。



つまり、もはや部落民というくくりそのものが、ふさわしくない。



それは、明らかに人種が違う黒人の問題とは、やはり微妙に違う。




そして、今、部落民というくくりの中で生きている人で、人間社会でまともに生きていける人は、人間社会の中に根を張れるような支援をしていく必要がある。



が、それは、育った環境もあるし、本人の資質もあるし、そんなに多くはいないかもしれない。


けれど、部落民というくくりをはずすことは、何かの呪縛を解くことになるだろう。



すでに戸籍にはそういう記載もなく、たとえば住んでいる場所で判断されたりする。




そして、社会保障の中で、彼らの健康や生活の改善を試みようとしたとき、つまり彼らは社会的弱者になるわけであるがどういう位置づけの弱者であるのか?



高齢者、障害者、母子家庭・・・



こういった弱者の中にまじって、どういう位置付けの人たちであるのか?



たとえば他にも、失業者、精神疾患患者、生活困窮者…




つまり、劣悪な環境に住んでる人。だよね。



劣悪な環境に住んでいて、健康で文化的な生活が送れていない人。




こういう位置づけですね。




確かに、再開発事業によって、住環境は整備されたかもしれないが、そこに住んでいる住人の生活改善等の支援はこれまでされなかった。



つまり、物理的な住環境だけ整備したところで、そこの住人の生活が改善されなければ、また元のスラム環境に戻ってしまう。



で、こういうところに住んでいる住人をひとくくりでなんと呼ぶか?




普通に、劣悪環境居住者。



再開発事業による劣悪な住環境の整備と、そこに住む劣悪環境居住者の生活改善。



これを、国交省と厚労省の共同事業としてやっていく。



つまり、再開発事業には、そこに住む住人の生活改善事業もともなう。




で、これがともないますよ、と言えば、再開発にそれほど反対することもなくなるんでは?


再開発で環境が整備されたら、そこから追い出されて住めなくなる可能性がある。


であるので、再開発に必死で抵抗する。



が、現実的に火災が起こったらかなりの広範囲で延焼が予想される地域とか、犯罪が多発している地域とか、たくさんあったりする。




が、住民が環境整備に必死で反対するので手が出せない。



環境の整備とともに、生活の改善もやっていく。





消費税引き上げてもいいから、さっさとこういう社会保障の制度を組み上げてほしいね。




そして、劣悪な住環境に住む人の生活改善。というよく考えれば当たり前の結論を導き出すのに、どれだけ多くの調査研究が必要であるのか?



そんなこともわかったね。