部落を背負っている、奥さんの妹さんが持っている残酷さ。



これはつまり、部落に転落してくるどうしようもない人々から自分を守るためのものだった。




部落に転落してくるどうしようもない人々。



これは、たとえば旦那の父親のような暴力的な男、であったかもしれない。




そして、こういう暴力的な男から身を守るために、言ってはいけないことを口にし、男を攻撃した。




つまり、こういった人々が、部落に転落していかないように、別の受け皿を作らなくてはいけない。



そもそも、部落民に、こういう人々を受け止めるような力はないんである。





こういう人々を受け止める。というのは、彼らの苦しみや辛さを受け止め、それを理解してやり、そこから立ち直れたり、救い出してやる度量がなくてはできないことである。



が、こういう人々を引き受ける代わりに、何かを引き換えに望んだり、そんなことをしていたんだろう。


そして、転落してきた人々を、当然受け止められないわけであるから、それらの人々の状態をさらに悪化させていった。




何度も言うけれど、部落民のできることには限界がある。



それは、日本の長い歴史の中で、自分たちがどんな環境で、どんな風に扱われ、どんな生活を積み重ねてきたか。これを振り返れば、わかるだろう。



財力もない。身体能力も劣る。教育もままならない。そうである部落民が、いったい将軍や学者がやるのと同じようなことができるわけがないんである。




アメリカでは、黒人初の大統領が立った。



が、それはまだ早すぎた。




おそらくオバマ大統領は、黒人初と褒めたたえられながらも、白人の中に身を置き、また、国際社会の中に身を置き、黒人である自分のいろいろに、きっと気付かされただろう。



それは、部落民であって、それに近いところに登りつめた人なども、おそらくそうである。



そして、マイケル・ジャクソンもしかり、部落民もしかり、そうである人はそのうち、自分が黒人であったり、部落民であったりすることを否定していくんである。



それをしっかりと受け止めつつ、頂点に登りつめるには、まだまだ時間がかかるだろう。