もうすぐ、東京のスカイツリーがオープンする。



これほど大きな建築物であれば、今どき、国際コンペなどをして優れたデザインのものを作るんであるが、このスカイツリーは、いつのまにか建てられていた。



そして、美意識の高い人々から見れば、とても美しい塔とはいえない。



が、日本にできたこの塔は、これはシンボルツリーである。



つまり、ある象徴を表す塔である。




これは、公にそうであると発表されたわけではないし、たとえばこれからもそれが、公にそうであると語られることもないであろうけれど、この塔の表しているのは、つまり部落民の苦悩である。



それは、同じ東京にあって、日本社会の発展を意味した東京タワーよりも、はるかに高い高さで建っている。



つまり、日本社会の発展の陰に、部落民のはかりしれない苦悩があったわけで、それが東京タワーよりもはるかに高い高さのスカイツリーとなって、同じ東京の地に建設された。



それは、京都にある京都タワーも同じような象徴である。



その塔を見ることで、部落民はその苦悩を癒していくことができる。





もうすぐスカイツリーがオープンする。




この塔のオープンとともに、何かを部落民から解放したい。




つまり、新しい受け皿を、この社会に作る。





そうであって部落民という人々は、この日本社会のなかでどうあればいいのか?




そんなことの未来についても、語れるような、そんな風になればいいと思う。