自分の周りにいる不幸な女。
何もわからずこれらの女の面倒をみていたつもりであったけれど、これらの女の不幸。
これは、自分が想像だにしないものだった。
アダルトチルドレンとか、主婦とか、ギャルとかに限らず、ゴミになった女。
彼女たちを面倒みていくときに、共通して見せてはいけないもの。それは何か?
それは、男に愛されている女の姿である。
これを決して見せてはいけない。
そして、与えてはいけないもの。
女を食いものにする男。これを与えてはいけない。
が、これらの女に見せていいもの。
それは、女として幸せであると実感できるもの。それは、かわいい小物であったり、素敵な服であったり、おいしそうなお菓子であったり。
が、それを与えていいか。といえばそうではない。
それを与えることによって、さらなる不幸を引き寄せることになる。
であるので、見せていいけれど、与えてはいけない。
そして、彼女たちに与えるもの。それはやはり、労働なんである。
不幸な女に与えるもの。これは、労働である。
が、それは女に限ったことではない。
不幸な男に与えるもの。これも、やはり労働である。
が、労働を与えるということが、これは男性的な愛であるとするなら、不幸な男には女性的な愛を与えなくてはいけない。
それはなにか?
男を立ててやる。ということである。
そして、不幸である女に、幸せな女の姿を見せてはいけない。
つまり、自分に愛されて幸せである奥さんの姿を見せてはいけない。
まず、これを見せない努力をしてくれる?
じゃなかったら、全部こっちに嫌がらせが来る。
そして、自分がいなかったら、旦那は不幸な人々の面倒なんかみないんである。
そんな不幸な人に嫌がらせされてまで、旦那に不幸な人々の面倒を見させようという気も失せる。
何が気に入らないのか知らないけど、奥さんの機嫌を損ねると、旦那に面倒見てもらえなくなるよ。
奥さんの機嫌とる → 奥さんが旦那にやらせてくれる → 旦那が嫌なことをやってくれる → もっと奥さんの機嫌とる
まあ、そういうしくみなんである。
奥さんの機嫌を損ねる → 旦那の面倒みなくなる → 旦那が嫌なことやらなくなる → 自分らがただひたすら不幸になる
つまり、奥さんに嫌がらせをし続けている彼の周りの不幸な人たちは、それによって奥さんが旦那のある部分のサポートをすることを放棄したので、それを旦那自身もやらなくなった。で、結局自分らがさらに不幸になっている。
というこういう悪循環ですね。
つまり、その不幸な人々は、奥さんが嫌がらせされるのが嫌だから、旦那にやらせて、さらに旦那がやってくれると勘違いしているのかもしれないけれど、逆である。
奥さんは嫌がらせを弾圧できる巨大な力を持っている。
ほんとに勘忍袋の緒が切れたら、巨大な力でもって、嫌がらせを弾圧してしまう。
プチ。と潰せば跡形もなく消え去る自分らであることをお忘れなく。
助けてあげようっていってんのに、なんで嫌がらせするわけ?
殺してほしいのかな…?
いっそ、殺してこの不幸から解き放たれたい。と思っているのかな…?
不幸な人々の思考は、いまいちわからない。
というお嬢様な奥さんである。
しかも、旦那に愛されて幸せにしている姿をわざわざ覗き見しに来るっているのも、自虐?
どう考えてもこの人たちは死にたがっているとしか思えない。
死にたいんだけど、生命力ありすぎて死ねないから殺してほしいのかな?
と、最近真剣にそう思っている奥さまであります。