自分が背負わなくてはいけない不幸が目に見えているとき、それは、それをなかなか背負おうとしない。そこからひたすら逃げようとする。
であるために、無意識にそれを背負わせる。
が、そうであった場合、不幸が見えていないので、その不幸を救済することができない。
不幸はまず、それを背負わなくては救うことができない。
が、あまりにも酷い不幸が現実に見えていたら、それを背負う勇気がない。
とても背負う気になれない。
であって、無意識にそれを背負わせる。知らない間に背負ってくれているんだけれど、今度はその不幸がまったく見えていないので、不幸を救済しようと思わない。
不幸を背負い、それを救済する。
たとえば、いろんな不幸を背負ってくれているお嬢様。
それは、無意識に彼女が背負わされている。
けれど、彼女にはその不幸はまったく見えない。
その不幸を救済していくのは、不幸が見える周りの男たちである。
そして、この男たちは、彼女が背負ってくれるなら、自分も背負おうと思い、その不幸を引き受けることができる。
つまり、それは、彼女が背負う必要があったわけではなく、男に背負わさせるために、彼女に一緒に背負わせたんである。
そして、そうである今、彼女とともにある男たちは、自分たちが引き受けなくてはいけない不幸が、見えてき始めている。
世の中の不幸は絶えずある。
それはいつの時代にも、変わらず不幸というのはある。
それをいかに背負い、いかにそこから救済していくか。
自分が無意識に背負わされていた不幸。それを彼女が一緒に背負ってくれたことで、その不幸が見えてきた。
いったいこれほどの不幸に、どうやって対応していけばいいのか?
が、いつも彼女がそばにいてくれるそのことで、なんらか慰められ、なんらかの糸口を見出そうという気になる。
が、いつまでも彼女に逃げていてはいけまい。
やるのは、男である。
彼女は慰めてくれるけれども、何もやらない。やるのは自分である。