地域の風通しをよくする。


それは、絡み合ったコミュニティを解散させることであり、密集した建物を倒壊させることである。



こういったことを実際にやろうとすると、やはり時間がかかる。


そうはいっても、はい、明日みんな出ていって。というわけにもいかないし、密集した住宅を、一気に一掃することもできない。



それは、一気にそういうことをやってしまうと、喪失感。というものに覆われる。



すべてを失ってしまった喪失感。



それがあると、その先に進むことはなかなかにできない。




で、時間をかけて、徐々に手放していってもらうわけであるが、これも男女の別れと同じく、共に過ごした時間が長ければ長いほど、手放すのに時間もかかる。



そして、男女の情の深い人であれば、必要以上に深い情でつながっていたりするので、それを解消するのに時間がかかる。



いつのまに、そんなに深い情でつながったわけ?みたいな。



そして、いずれ解消するとわかっているのに、そんな深い情でつながるということは、逆に酷である。


そして、その深い情というのは、実は偽りではないかと思ったり…



そういえば、お父さんがそんな風だったから、自分も当たり前にそうしていた。とか。


が、なぜか自分はその情が続かず、最後はいつもトラぶった。とか。



情けないオジサンに、半ば好奇心で情を寄せ、その人の情けなさを知り尽くす。みたいな。


で、結局ただ情けないだけだから、嫌になる。



ほんとうに情の深い男は、この情けなさを知れば知るほど捨てたりできない。


が、知れば知るほど嫌になる。というのは、別に情が深いわけでも何でもない。




で、あるので、自分は情の深い男ではない。


それは、女に対しても、男に対しても、まったく情のない男なんである。




つまり、彼女と同じである。




そうだったのか。自分…



今まで、情の深い男だと思っていた。


が、彼の情もまた、人情である。



それは、男の情ではなく、人情である。



義理と人情の任侠の世界。



ここに男の情が混じるというのは、これが泥沼化する。


であるので、この世界に男の情は御法度である。




であるので、つまり、彼女のお父さんとか、旦那さんとかは、任侠の世界に生きていくというよりも、それは下層の世界である。


下々のドロドロした世界。これが、男の情の世界である。




であるから、ヤクザの大親分なんかは、こういった男の情は持ち合わせておらず、また持ち合わせていてはいけない。



義理と人情で仕切っていく。



これが、任侠の世界。




が、昨今勘違いしている若者が、この世界に男の情を持ち込んだりするので、ややこしくなる。



任侠が男の世界っていうのは、いったい何が男なんだ?




少なくとも、男の情とは一切関係ありません…