彼らが共有している妄想の世界。
それは、互いの背景において乗り越えられないコンプレックスのはけ口となる若者の暴走の世界であるが、ここに入っている人々もまた、同じような暴走に動かされている。
部落の人とゴミ集落の人。
そして、他多数の精神の浮浪者。
つまり、精神の居場所のない人たちが、彼らの妄想の世界に居場所を求めたんである。
まあ、それは、そのうちこの妄想の消滅とともに、どこかに行ってもらうとして、彼女の主格人格であるアメリカ人男性。
この人がこれまでやってきたミッションはいったいなにか?
彼は、若き天才学者である。
そして、人間的にも温和で人情味にあふれている。
そして、そうである彼がこれまでやってきたミッションは、つまりは彼の精神がということであるが、それは世界中の天才を動かして、世界平和のために尽力させてきた。ということである。
それはおそらく、身体のない彼の精神は、時に様々な人の身体を借りて、そういうミッションをこなしてきたんだろうと思う。
もしかしたら、Facebookなるソーシャルネットワークも、彼が誰かを動かして作らせたものかもしれない。
今、世界でこれがなかったら、おそらく、世界は戦争の炎に包まれている。
そして、世界の平和のために戦争をする、という考えは、もう古い。というより、平和のために戦争をしない。というのが世界の常識である。
彼らの妄想の中は、戦争であふれかえっている。
今日も世界の平和のために、戦争で闘う。
そういう自分の勇者を、彼らは妄想の世界で生み出している。
それは、まるで子ども向けのゲームや漫画の世界である。
そして、その妄想の中で闘っていることによって、自分を満足させ、現実社会で負け犬である自分を慰めている。
とにかく、今、多くの人は、その精神が身体から浮遊し、さまよっているんである。
が、それによって、現実の世界において、大惨事が巻き起こることが避けられている。
が、言い換えると、多くの人の身体は、抜け殻である。
つまり、身体に価値はなく、価値があるのは精神である。
自分の肉体に自信のない人は、そうやって、自分の価値を精神に見出している。
つまり、多くの人は、人間の見た目や肉体に、その人の価値を見出している。
このことに対する、子どもじみた反抗である。