さまざまな事情によって、家庭の中に虐待が発生する。


幼児虐待。親が子どもを虐待する。


いつも家の中から、子どもが泣き叫ぶ声が聞こえたりする。近所の人が心配して児童相談所に連絡したりする。


しかし、こういったところの職員は、虐待の情報を得ながらも、なかなか家庭の中に入っていくことは難しい。


児童相談所のものですが、お宅の家から子どもが泣き叫ぶ声がしょっちゅう聞こえると連絡があったのですが、もしかしてお子さんを虐待してますか?


とか聞いても、親は、はいそうです、なんていうわけがない。


結局、そういう情報を得ながらも何年もただ様子を見続けるだけになる。そして、そのうち子どもが死ぬ。



現在の親子関係における虐待の問題というのは、親が死ぬか子どもが死ぬか、どちらかが死ななくては根本的には解決しない。


子どもが生きているうちは、親はどんな状況になっても子どもを虐待し続けるし、親が生きているうちは、子どもはどんな状況になっても親から虐待され続ける。



親が死ぬか、子どもが死ぬか。このどちらかでない限り、現時点では、虐待からは解放されない。



虐待され続ける子どもは、ひたすらに親が死ぬのを待つしかない。それか、耐えられずに自分が死ぬしかない。



親子の虐待の根底に潜む、恨みや憎しみ。


これは、とうてい他人には理解できない。



親に虐待され続ける子ども。ある時点からこの力関係が逆転し、子どもが親を虐待するようになる。


高齢者の虐待なんかは、そういった理由なのかもしれない。



また、親に虐待された子どもは、自分の子どもを虐待するようになる。


そうして、親子関係に横たわる憎しみが連鎖していく。


この連鎖を断ち切りたいために、自分は子どもを作らない。



そういった夫婦の選択も、近年では多いという。