子育てを放棄した母親。
が、自分が子どもを育てられないということに気が付かない、それが受け入れられない。
なので、子育てを放棄したにもかかわらず、自分の手元から子どもを離さない。
が、実際には子育てを放棄しているので、当然、子どもに愛情をもって接し、子どもを慈しむように育てることなんかできない。
無意識に子どもをゴミ扱いしたりする。無意識に子どもを虐待するような言動をとったりする。
が、母親本人は、子どもを守っているつもりであり、大事にしているつもりなんである。
が、その母親が子どもに対する接し方は、まるでゴミやクズを扱うような接し方なので、他人に対しても無意識に同じように接するようになる。
が、まともな人はこういう風に接せられると、激しく自尊心を傷つけられ、神経を逆なでられる。
すっと嫌がらせをされていると思っていたけれど、それは無意識の言動だった。
で、そういう扱いをされた人は、怒り狂って、母親を虐げるようになる。
で、母親に子育てを放棄された子どもは、当然母親にゴミ扱いされ、自尊心を失っていき、自分がゴミであることが当たり前のようになってくる。
なので、他人にもゴミ扱いされるようになり、それに対してなんとも思わなくなる。
というように、子育てを放棄した母親とその子どもは、共に他人に虐げられ、自尊心を失っていくんである。
子どもに愛情を持って、子どもを慈しむように育てることができない。
つまり、子どもを虐待してしまう。
が、子どもを手離すということこそ、親がその役割を放棄することであると思い込んでいるので、虐待をし続けているにもかかわらず、いつまでも手離さない。
いっそ、子どもを見捨ててくれた方が良いんである。
この子を育てる器量が自分にはないと思ったら、見捨ててくれた方がいいんである。
中途半端につながれることのほうが、子どもにとっては不幸である。
それは実の親でもしかり、虐待された子どもを引き受けた里親でもしかり、この子は自分にはムリである、と思ったら、さっぱりと手離してくれたほうが良い。
が、捨てられたことのほうに子どもは傷ついたりする。
自分が虐待されていると気が付かなければ、親がずっとそばにいてくれることは、自分を守ってくれているんだと勘違いできる。
で、捨てられたことに傷ついた子どもであっても、拾ってくれた誰かが自分をまともに育ててくれていたとするなら、あのまま実母に育てられていたら、自分はまともに成長できなかったかもしれないとそのうち気が付いたりもする。
どっちにしても子どもは傷つくんであるが、これは、別に親のせいとかでもなく、どうにもならないことである。
自分の産んだ子どもを育てられない母親。
一つの命がこの世に生まれ出ることは、もう奇跡に近いという思いが湧いてしまったので、この奇跡の誕生を放棄しなくてはいけない現実。
これをなんとかしたい。と、自分は思ったりする。
最近、自分の子どもが赤ちゃんを産んだら、親は、子どもがその赤ちゃんを虐待しないかどうかを心配するらしい。
それぐらい、昨今の母親になった女性は、当たり前に子どもを虐待するということである。