京都にいた頃の話ですが、京都は部落差別が根深くある地域です。


で、ある部落出身の男性の話。


彼は野球が大好きで、とても上手だった。で、中学生のとき、野球部のキャプテンになった。


が、そのとたん、部員が全員やめてしまった。


つまり、彼が部落の出身者であるためである。



が、そのとき、野球部の顧問の教師が、一人でも毎日練習に来いと言った。


そして、彼は毎日一人でグラウンドをひたすら整備し続けた。


そのうち、その姿を見て、部員が一人、二人と戻ってきた。



その後、彼は野球部の名門校に進学し、そこでも副キャプテンをつとめた。


おそらく彼の人生で、部落出身であるための差別というのは一生つきまとうだろう。


が、中学校のときのその体験が、その後の彼の人生を支えていることは間違いない。


そのとき、顧問の教師が彼をそういう道に導いてくれなければ、当然そういうことにはなっていない。




この教師に、彼は一生を救われたんである。


そののち、この人も教員になって、多くの学生を救っている。



教員も政治家と同じで、子どもの苦しみや辛さを理解できないものが、やったって意味ないんである。



教育も政治も救うことができなかった。


つまり、優れた教員も、優れた政治家も、そこにはいなかった。




まあ、そういうまちである。