虚飾に満ちた家庭に育った子ども。


中身はからっぽではなく変なものが詰め込まれている。


それを詰め込んだのは、もちろん親である。



なので、親は子どもを育てなかった。とか何もしてやっていない。とかこれっぽっちも思っていない。


自分たちは親として、出来る限りのことを子どもにしてやったと思っている。



それが、これっぽっちもまともな親の愛に基づくものではなかったのに。



子どもがそれに気付き、親に詰め込まれたものすべてを捨て去りたいと思っている。


が、親がそれを捨てさせない。


捨てようとしているのに、それを拒む。




ならば、親に気付かせるしかない。


自分らが子どもに詰め込んだものは、すべて子どもにとって有害なものばかりだったと。


子どもはそれをすべて捨て去らなければ、幸せになれないと。


そして、子どもはどうしようもなくそれを捨てたがっていると。




それを捨てずに何かまともなものを入れたところで、何の意味もない。




自分の中に入っているものが、おかしなものである。


子ども本人が、まずこのことに気付かなくてはいけない。


そのためには、まともなものを入れなくてはいけない。



まともなものが中に入ったときの自分。


これがこの上もなく幸せ感を感じる自分であったなら、それをどんどん入れたくなる。


ので、普通は要らないものはどんどん自分で捨てていく。



が、捨てていくのを誰かが阻む。


親が良かれと思ってやってきたすべてのことを、子どもが捨てようとする。




しょうもないものを詰め込んだ子どもと、宝のようなものがぎっしりと詰まった子ども。


この二人が結婚して、しょうもないものを捨てさせて宝を詰めるか、宝を捨てさせてしょうもないものを詰めるか。


そんなせめぎ合いだったかもしれない。




どちらの親も同じように、親として精一杯のことを子どもにしてやったと思い、どちらの親も自分の詰め込んだものを子どもに捨てさせたくない。




これも、結婚ではよくある話のように思える。


いったいどちらがゴミでどちらが宝か。そんなことの争いかもしれない。



豚に真珠。猫に小判。


真珠や小判は宝でも、豚や猫に与えては、ただのゴミである。



自分が自分の子どもに与えたものは、自分の子どもにとっては宝である。


親はそう思っているんだろう。




そう言われれば、それを捨てさせるのは、なんか後ろめたいような気もする。


親が与えてくれたしょうもないものでも、それを詰め込んだまま、子どもはそれに甘んじて生きてはいけないのか。


子どもが自分の与えたものを捨てようとする辛さを、少しはわかってもらえないか。




別に、なんかの使命がある特別な子どもでもなんでもない。


親以外、誰も関心も持たない子どもである。


どう生きようがこちらになんの支障もない。


それを、人が自分の子どもをなんかしようとしている、みたいな被害妄想を炸裂させんのを、いい加減やめてくれ。




誰があんたの子どもをなんとかしようと思うか。


勝手に生きて、勝手に死んでいけ。




まあ、たいていそう思わざるを得ないね。ここの親に対しては。




そして、そうやってみんな自分らを見放していったんである。



ヤクザに面倒をみてもらっている貧しい家の親が、いったい子どもに何を詰め込めたと思ってるんだ?


恨み、憎しみ、汚物、犯罪。


そんなものしか入っていないといい加減気付け。




それを捨てることが、そんなに悪いことか?


自分らが詰め込んだ恨みや憎しみを抱えたまま、そんなに子どもに生きていってもらいたいか?



そういうものは、そのまま自分ら親に向かっているとは思わないのか。


その恨みや憎しみは、そういったものを詰め込んだ親に、向かっているとは思えないのか。



それをすべて捨て去ったら、また親に接する子どもの態度も変わってくるんじゃないのか。



それでも子どもに捨てさせたくない。


ならば、親が子どもを抱えて生きていけよ。


子どもを拒否るな。子どもを受け入れろ。



妹を拒んでんのは、てめえらだろーが。



自分らが詰め込んだ恨みや憎しみが、自分たち自身に向いている。


だから、妹を拒む。受け入れたくない。




だったら、詰め込んだものを、全部捨てさせるしかない。



子どもの行いのすべては、親に責任がある。


子どもがまともに育っていない。それは自分らがまともに育てなかったからだ。



その子どもを拒否する。


それは、自分自身を拒否することである。




子どもに何を詰め込むか。そして、何を詰め込んでしまったか。



親はときどきそんなことを振り返りながら、子育てしていくべきだろう。





これでもまだ納得できない。



いったい、どんな親だ。子どもに何をしてほしいんだ。



自分らが詰め込んだ恨みつらみを抱えながら生きていき、その恨みをはらしてほしいのか?



そんなうまくいくか。その恨みは親自身に向かっていると言ってるだろうが。


放っておくと、子どもが親を殺す。


そういう危険性があったことにも、さっさと気付け。




それとも、子どもに殺されるまでわからねえか。



わからねえんだろうな。



あんたの子どもは、もうちょっとで、あんたらを殺すところだった。



そして、いつも周りがちやほやしてくれたのは、いつ何時、子どもがあんたらを殺すかわからなかったからだ。



現実を突きつけられてその憎しみを子どもに詰め込み、子どもがそれを親に向ける。


子どもには何の罪もない。


あんたらは、子どもをせっせと犯罪者にしようと育てていた。




わかったか。



昨今、子どもが親や家族を殺す事件が多いケド、まあ、だいたいこういう事情なんだろうな。


自分が詰め込んだ憎しみの刃が、自分に向いた。



子どもが無意味に反抗してきたり、親を傷つけたりするような家庭は、このことをよく振り返ることだな。




もう、うんざりだ。