さっきの問い。


お母さんが家にに知らない男を引き込んで、いやらしいことをしているところを見てしまった。



普通の子なら、


お母さん、いったい何やってるの?大嫌い。とかいって、責めたてる。


しかも、不潔、最悪、今すぐ家から出ていって!とか言う。



そして、お母さんだって女なのよ。とかわけのわからないことを言い出す。


あなただって、大人になればわかるわ。とか。



そこで、普通の子は、そんなんなら、一生大人になんかならない。とか思う。


大人になって、そんなお母さんの恥ずかしい行動を理解したくなんかない。



そして、ちょっと賢い子なら、なぜ、お母さんがそういうことをしたのか、考えたり、探ったりする。


実は、お父さんが外に愛人がいて、まったくお母さんの相手をしなくなった。とか、


お父さんが仕事で家に帰らず、お母さんが寂しい思いをしていた。とか。



そして、お母さんだって女なのよ。という言葉の意味を、女っていうのはそういうものなのか。という風に理解する。



そういう風にして、賢い子は、人間や社会や世の中のいろんなことを理解していくわけですね。


それが、大人になっていく。ということである。



で、その後の行動は、その人の生き方による。ということでしょう。



よその男を引き込んでそういうことするぐらいなら、僕が相手をしよう。と思う子もいれば、すべてを見なかったことにして、やり過ごす子もいるし、その日から、もうこの人は自分の母親じゃない、と思って生きていく子もいるでしょう。



お父さんに言いつけるっていうのはどうなんだろうね。



よっぽど無神経な子どもか、よっぽど親がどうでもいい子どものどっちかだろうね。




その他の選択肢はなんかある?


よその人に相談する。たとえば、親戚の人とか。


これも、お父さんに言いつけるのと同じだな。




主婦はそういう人たちである。今さら思わなくても、実はとっくにわかっていたんである。


が、ずっと目をそむけたかった。


そして、自分は固くなに、貞操観念の強い女性になっていったんである。




生涯独身を通そうとした理由も、その辺にあったりするのかもしれないね。



そして、恋愛相手には、常に心を求める。


そうやって、人の生き方は定まっていくものである。



自分の生き方をわざわざ模索しようとする人。



そういう人こそ、何も考えずに、何も思わずに、ただ生きている人である。