彼女が社会でやりたいことは、実に明確である。


片目が見えないのに、そこに支障がでてくる空間設計や絵画の仕事をやりたいと思っているわけではない。


そこは、現実を理解している。



建築や美術の世界が好きなんだろう。もちろん音楽や映画や文学も好きである。


そして、そういう世界で活躍できる才能も十二分にある。


けれど、視力に障害があるので、その才能を生かしきることができない。



もし、両目が見えていたとしたら、もっと早くにその才能と向き合い、開花することができたかもしれない。


自分の才能の重さを、設計士や学芸員という職業についている男たちに、一緒に背負ってほしかったのかもしれない。


が、そういう男とは縁がなかった。


そして、彼女を陰で支えてきたヤクザな男たちは、彼女がそういう道からはずれないように、いろんなことを引き受けながら、励まし、サポートしてきたんである。


それはおそらく、もうずいぶん子どもの頃からそうである。


彼女が義眼をはめて、幼稚園デビューしたときから、そういう男たちがずっと周りにいたんだろうと思う。




そして、もちろん、光の世界でも彼女を指導してきた先生が数多くいることは確かである。


光の世界の様子を、まだ見せてもらっていないけれど、陰になり、日向になり、多くの男が彼女を支援してきているんである。


そこに、ちょっかい出してくるややこしい女が、無残な目に遭っているんである。


つまり、彼女には、女性は関わってはいけないんである。



じゃあ、なぜ女子大に行ったのか。


性同一性障害。こちらの障害を乗り越えさせるためである。


そういう学校であったことは、すでに自覚してもらっている。



これを乗り越えたなら、学校はもう、卒業しなくてはいけない。


京都の芸大で何かに挫折し、また母校に戻って学芸員の資格を取った。


そうしつつ、自分の何かと向き合いたかったのかもしれない。



が、ここで、女性研究者がいろいろちょっかいを出してきて、また、恩師の後始末などもいろいろ押し付け、そういう時間を奪った。


その人たちが、ずるずる彼女につきまとっているんである。


言葉は悪いけれど、この人たちを最終的に駆除できれば、彼女の人生は、社会生活、プライベートともに、本格的にスタートする。




どれだけの男たちが彼女を支援してきたか。おそらく、他人の目にはあまりわからない。


彼女の部屋に男が頻繁に出入りするわけでもなく、ケイタイのアドレスに何百人も登録されているわけでもない。



また、そういう女は、ただの娼婦である。



男たちは、彼女の女性としての美しさもさることながら、その壮大な精神世界に惹かれるんである。