
冒頭のホアキン・フェニックスの顔がデニーロに似ているのにちょっと驚く。
デニーロが特に70年代から80年代にかけて「タクシードライバー」や「キング・オブ・コメディ」で演じた役がかぶっているのだが、顔まで似ているように思えたのは気のせいだろうか。
前に「リバー・ランズ・スルー・イット」のブラット・ピットが監督のロバート・レッドフォードにバカに似ていたのに驚いたものだが、少なくともデニーロが演じた孤独に閉じこもる一種偏執狂的なキャラクターを踏襲しているのは確かだろう。
「タクシードライバー」の公開時、画面がスーパーリアリズムのタッチだと評されたことがあったが、70年代から80年代にかけての荒廃していた、地下鉄が落書きだらけのニューヨーク以上にニューヨークらしい都市イメージとしてゴッサムシティを造形している。
「タクシードライバー」がリアリズムから幻想に入っていくのと逆に、アメコミという虚構そのものの世界からリアリズムに接近している格好。
時代設定が少しずつずらされたアイテムが混在している。白黒テレビにVHSビデオなど。
「タクシードライバー」と同時期に作られた「ネットワーク」の影響も見える。
クライマックスの趣向ばかりでなく演者が自分の実生活をネタにするところ。これなど今ではユーチューバーとして当然の表現になっているのではないか。
リアリズムという点からいうと明らかにおかしなところがはっきり意図的に混ぜられている。
証券会社の富裕層に属するらしい社員たちがあんな時間の地下鉄を使うか、とかアーサーと同じアパートに住む黒人女性(母親を除いて登場する女性はもっぱら黒人だ)の部屋に鍵がかかっておらず勝手に出入りできるとか、デニーロ演じる司会のテレビショーでアーサーの舞台を無断で撮って流すなどということがあるだろうか、など。
おそらくかなりの場面がアーサーの妄想なのではないか思わせる余地を作っている。
チャップリンの映画が上映されている映画館の客が金持ちばかりで、その前でデモしているピエロの格好をしている連中はおそらく貧困層という転倒。
そういえばチャップリンの母親は精神病院で亡くなったのだなと連想した。
アーサーが精神病院に向かうバスの中の窓の外がひどく作り物くさいカットが黒沢清調。偶然だろうか。影響受けていても不思議ない気がする。
THE ENDとエンドマークが出るのは最近珍しい。オープニングのワーナーのタイトルからしてクラシック。それもさまざまな時代を混淆させた。
アーサーが手で口の両端を上げて笑顔を作るのはキートンの「ゴー・ウエスト」にあった。