住む家にも、一緒に居れる家族があって
当たり前と思ってしまう…

でも住む所も一緒の人も居ない…

そんな寂しさを分かってもらえない人も居る

そんな人にも家族の温かみを分けて
あげたい

きょうは分かっている様で分からない人
いっぽうで知らずのまま分からない人

いずれも家族のありがたみってこんなに幸せなこと
なのかについて分かってもらえたらと

いつものパターンから新約聖書から
(ルカの福音書15章29〜31節)

ある放蕩息子が凌ぎ難くそうに帰ってきます

対照的に家を継ぐ事が決まっている長男からは

「なんで?父さんはあんな奴の為に出戻りを許し
そしてお祝いまでしてあげるのですか」

これにに一家の父さんは
「おまえは家を継ぐ事が身でありながら
家族の温かみが分かっていないのか?」

…対して家族のありがたみに初めて
気がついたもう1人の息子の寂しさを
兄弟として分かってあげられないのか」


言い方は悪いけど腐れ縁に飽きているほど
家族がウザいと思ってしまう人

そう言う私自身もですが、放蕩息子の
例え話しを聞くと誰でもそう思ってしまう人
少なくないと想います。

そう!つい?!
当たり前とスルーしてしまう

誰でもそういう所を見失いがちです

家族のありがたみに飽きて家を独り
出て行く

でも世間では思ったようにはならない

家族の温かさが身に沁みて分かるのです

ここで大切なのは

普段から飽きるまで与えられた事で
恵まれている事が分からない

逆を言えば?

まだ恵まれるありがたみを知らずして
いつも独り寂しさを顧みた事がない

私自身から言わせると

どちらが正しいか?悪いか?ではなく

どちらも可哀想なケースなのだという
ことです。

「父さんごめんなさい?!…
私は家を勝手に出た私はなんて
バカだったのか」

「いや、そんな素直な弟を
知らずに馬鹿にした兄の私の方が
どれだけバカだったか?!…」

お互いに我を知ってはじめて
本当のありがたみが分かるもの

それが人間なのですから
持って生まれた運命と言えましょう。

今回もさいごまで読んで
いただけたみなさん?

いま一度!幸せとは何か

何で?いま満たされるのか

今月から始める子どもの日〜母の日〜
父の日をむかえるにあたって

家族ってこんなに幸せな事なのか

まだ知らない人へも分けてあげよう

そんな広い心を見直してみませんか