桜も開花してまもなく見頃も楽しみですね
いつものお題・キリスト教でも
(ヨハネの福音書7章1~8節)
「先生(イエスキリスト)は、過越の祭りに
行かれないのですか?」(3節)
と弟子たちからお誘いを受けて
「今それどころではない…
あなた方だけで行けばいい…」(8節)と
自己満足できる人と叶ならずしも
同じ気持ちではないことを
取りあげています。
お花見で心を潤す暇があったら
少しでもゆとりのある暮らしをしてみたい
誘ってもらう気持ちは嬉しいけど
その分!
独りつらく寂しくおくるしかない
その気持ちも分かってほしい
キリスト教の聖書でも
そんな独り寂しい気持ちで居る
見えない人の事も分かってほしい
ことからそんな例え話をあげたのだと
私自身もそんなある友人を観て日頃から
思うのです。
小学1年の頃… 半世紀以上も前ですが
「給食でおかわりをする事は悪い事では
ないですよ…だけど?
後から欲しい人の事も考えてください」
そんな説得力ある教頭先生の一言を
思い出します。
貴方にとっては楽しそうだけど
わたしは今それ何処ではないわ」…
いつもご自慢を披露する友人に黙って聞いて
あげる友人のトーク反応を観て
僅かに残された人の事を考えると
いま?
自分だけ楽しんでいる場合ではない
と思えてしまうのが傍観してる
私自身の気持ちです
自分だけで楽しむゆとりがあるなら
そのお金を少しでも貯めておく
そして仲間同士で分け合う時に
「今が嬉しい…
今が幸せなんだ」
初めて喜びを共感し合える仲間つくりが
私たちには唯一の潤いでありオアシス
なのです

