第十三話

~汝等は吾が実を結ぶぶどうの樹の枝なり~ 

わたしはわたしの愛、わたしの平安をあなたたちにもたらす。

1 神の生命を自分の裡なる「キリスト意識」として観よ、そうすれば「わたしは生命である」ということがよく解る。

2 生命は意識である。それは御自身を表現しておられる神である。それ以外には何もないのである。神我(キリスト)が父の一人子である。

3 あらゆるものが存在している世界を支配する神我こそが偉人なのである。このキリスト人は又あらゆる一人々々の人間の中にもある。分離など何処にもないのである。このことが会得されれば、実在の世界にはいかなる分離も差別もなく、全体が斉(ひと)しく一つで完全である、との悟りがどんなに妙(たえ)なるものであるかが解るであろう。

4 聖なる種子の生長があなたたちの中に顕現(あらわ)れつつある。秘められたる営みが進行している。辛胞強く待つがよい。季節になれば果実(み)の成るように、裡なる神我が神の果実(かじつ)、すなわち完成品として咲き出るであろう。

5 たとえあなたたちは解っていなくてもあなたたち一人々々の中で不断の営みが続けられている。〔およそ宇宙には〕停止はないのである。このことは大いなる真理である。人類全体の、到る処、不断に、そして上に向って、動いているものがある。これがあなたたちの中で働いている神我である。

6 然り、あなたたちの質問に答えて、この一連の講話は、完結次第世の人々にも入手できるように、印刷に附せられるであろう。

7 数千年前に使用されたように、高度の智識と英智とを世にもたらすため、今、もろもろの霊的力が使用されつつある。分離や差別の見られるのは人間の心の中のことである。しかし、神のみ霊(たま)たる神我は恒常不変であり、それは人間心の闇の中を貫き通す種子である。

8 土は植物の種子を囲む質料(サブスタンス)である。そのように又人間は神のみ霊を取り巻く質料である。人類は次第に生長して円熟し、内在のみ霊を唯一の実在として意識するようになる。

9 この大事業を助長する最善の道は感官という扉(ドアー)を閉じることである。目(まなこ)がひとつになれば全身が光に満たされるからである。

10 この巨大なる力がその美と智慧とを展開し、それは普遍にして自己自身を完全に余すところなく表現し、しかも全体から分離することなく、全体は多の中に自己自身を表現し、多は全体の中に存在する――このことを見るのが内的視力(イナー・ヴイジョン)である。何処にも分離はないのである。どうかこのことを銘記して貰いたい。それはあなたたちの心の中に根づくようにならなければならない。それは真理という柱の立つ岩である。

11 神の意識はあらゆるものを包んでおり、あらゆるものはその中に在る。故にあなたたちの裡にある神の意識は神の肖像(にすがた)を現すようになるのである。

12 自分の心臓の脈膊を聞き、心臓を通して膊動している神の生命の全き流れを知るがよい。実在においてあなたたちは父の中にあるキリストの心臓と一つなのである。

13 神はあらかじめ備え給うたもろもろの径路を通じて神御自身を歓んで注ぎ給う。

14 あなたたちは神が備え給いつつある経路であり、そのうちにあなたたちはその衝動を感ずるであろう。わたしがあなたたちのもとにやってきたのは、決して単なる偶然ではなく、人類全体の底にあるみ霊(たま)の展開〔によるの〕である。呼び声が答えられずに終わることは決してない。それは、あなたたちの中に宿り、あなたたちの意識の中に押し入りつつある神我(キリスト)の十字軍である。内なるものは外なるものの中に表現(あらわ)れ、外なるものは内なるものとなる。かくて人はキリストのみ霊によって成熟する。

15 彼が〔神の〕生命を生きるに従って世は彼を知るようになり、羊とライオンとが共に臥すようになる。神の羊とは人の裡なる大いなる力である。ライオンとは、己(おのれ)自信を知らざるがための、無法なる、感覚人間である。しかしその彼も神の羊、裡なる神我(キリスト)によって静められる。愛はすべてに勝つ。愛は神であり、神は愛である。

16 あなたたちがこの脈動する生命の中にあって歓べば、生命も又あなたたちの中にあって歓ぶ。

17 神は遍在し久遠であり給う。あなたたちはその神と偕(とも)にある。神に肖(に)るためには、あなたたちはいかなる分離も、いかなる差別もないことを知らなければならない。

18 わたしが「いかなる分離も差別もない」と云えば、恐らくあなたたちにはその意味が十分には分かりかねるであろう。差別を見ている時は分離の中に生きており、感覚人間として生きているのである。差別を見るのは分離に生きている時であり、差別を見れば分離を感ずる。これは大いなる迷いである。

19 差別は心の産物である。しかしあなたたちは神の分霊(キリスト)の中には何ら差別のないことに気づくであろう。あなたたちの裡なる神のみ霊(たま)には差別はないのである。あなたたち一人々々そして全員の中にこの同一のみ霊がある。このみ霊の中において始めてあなたたちには力があるのである。なぜなら、何ものもそれを攻撃することはできないからである。自分の生活において、今、それを自覚し、無礙自在となるがよい。これが真理という自由、あなたたちを自由ならしめる真理である。

20 分離信仰の中にのみ差別があり、そのために分離を感ずるのである。従ってあなたたちは、分離を惹(ひ)き起こすあらゆるものをよく見分けなければならない。そうして始めてわたしを知ることができるのである。

21 目をよく開いて至るところに神を見るがよい。神のこの意識は、男女各人が、愛を以て膊動している「唯一無二」の心臓(ハート)と自分自身とが一体であると感ずるにつれて、地上に隈なく拡がって行く。

22 神の心臓の中に久遠の愛があり、神我(キリスト)は神の心臓と一体であり、このキリストが人類の救い主である。

23 世界の創造にあたってただ一人のキリスト(43)がおられ、すべては彼によって存在し、およそ造られたもので彼なくして造られ得るものはなく、彼によってあなたたちは存在するようになったのである。これが大いなる子、神の一人子、唯一の神我(キリスト)、大いなる神人であり、その中にあなたたちはすべて動き、存在を得ているのである。しかも彼はあなたたち一人々々そして全員の中において働いておられるのである。

24 この聖なるキリストは父の意識的な顕現(あらわ)れである。彼はすべてのものを意識し、創造力を自覚し、世界におけるありとしあらゆるものを意識し、一人々々のそしてすべての個人に内在する彼自身を意識しており、彼の中には何らの分離もない。

25 では、あなたたち一人々々そしてみんなに内在するこの聖なる神人についてよく考えるがよい。彼は男女両性であり、彼自身のみで完全である。

26 彼のことを知る前に、あなたたちは誤れる分離信仰、憎悪を生じさせる信仰、何らわたしに基礎を置かぬ信仰を自分自身から除き去らなければならない。

27 あなたたちが、今の今あなたたちやわたしの中に顕現れつつある唯一久遠の生けるみ霊(たま)についての真理を把握するならば、分離した信仰など持てるものではない。それなら、あなたたちは、自分の兄弟姉妹より自分を引き離す信仰について行くことができるだろうか。

28 地上生活にあまり強くしがみついてはならない。なぜならそれは裡なる神我の生長する上での一準備楷梯にすぎないからである。

29 地上生活とその中に在るものに余りにも執着しすぎる人が多い。

30 これら地上のものは賢明な用い方をすべきであって、それにしがみついてはならないし、しがみつかれてもならない。それを活用して、更に一層〔神我を〕展開してより大いなる強さと、力と、栄光とを得させるべくあなたたちを備えるために、それは在るのである。

31 恐れてはならぬ。本物は何ひとつ失われはしないのである。キリストがあなたたちの唯一の実在であり、久遠なる神の子である。

32 いかなる愛も失われることはない。愛は神の表現(あらわれ)であり、それを包む衣裳(いしょう)を通して注がれる。

33 このことが解り始めると、実は神の愛が〔個々の〕魂を通じて御自身を表現しつつあることを、地上のすべてのものが知るようになる。身体は生命が物質界に顕現(あらわ)れる媒体としての衣裳である。

34 この衣裳を軽蔑してはならない。その中にある巨(おお)いなるこの力を知った上で、それをキリストに献(ささ)げるがよい。この衣裳を神我に献げれば、それは内なるものの如くとなり、内なるものは外なるものとなる。かくしてあなたたちは生れ変るのである。今度は肉によるのではなく、人間の意志によるのでもなく、神のみ霊によって生れ変るのである。なぜならば、「地上のいかなる人をも父と呼んではならない。天にいます方があなたたちの父だからである」とわたしは云っておいたからである。

35 歓喜(よろこ)べ、恐れるな。恐れとは明確に視ることを妨げる視力の曇りである。それはあなたたちの霊的未来像(ヴイジョン)を曇らす、しかしそれも一時(いちじ)である。なぜなら、あなたたちの裡なる久遠の神我(キリスト)を通して自由がやってくるからである。

36 すべての恐れは愛によって駆除される、愛は恐れを追放するからである。悪に対する恐れ、人に対する恐れ、神に対する恐れはすべて物質感覚の産物であって、何ら実在に基礎をおくものではない。

37 神の愛は、その聖なる臨在よりあなたたちを引き離すこれらすべての恐れより、あなたたちを解放する。

38 この故に人をも獣(けもの)をも恐れてはならぬ。又、神を恐れてもならぬ。神を愛せよ。神我のこの真理があなたたち自身の意識の中に啓示されると、そこにはダニエルが獅子(複数)の穴の中で発揮した力〔ダニエル書六章十二節以降〕がある。この力は又あなたたちのものでもあるのである。

39 この神我、内在の神のみ霊(たま)、はそれ自身だけであらゆる力であり、天上天下に存在するあらゆるものの背後にある創造力であるという事実を認識しているならば、地上又は天上におけるいかなるものもあなたたちに打ち勝つことはできぬ。

40 最も低き者たちはアレコレと色々は方法で神を求めている。彼らに、わたしの弟子(複数)として愛と垂範とによって真の道を示すのが、あなたたちの使命である。単なる口先だけの言葉ではなく、親切により、愛により、理解によってである。

41 たいていの人々は死といわれる体験を恐れている。しかしこの体験を通過してしまえば、自分自身がこれまで以上に、生々とした、生ける、呼吸(いき)する魂であることに気づく。呼吸をするのは肉体ではなく、魂だからである。

42 死は、神我すなわち神の中において生長しかつ咲き出(い)でる花の、より大いなる拡大への関門にすぎぬ。自分自身がそれまで以上の生ける、生々とした、呼吸する魂であることに気付くと、圧倒される程の感銘を受ける。〔その時に思う〕一つの願いは、自分の愛する人々の許に帰り、自分が発見した驚くべき栄光の真理を聞かしてやりたいということである。

43 〔そのような次第で〕多く〔の霊たち〕があなたたちの許に一旦は帰ってきたものの、あなたたちに耳は聞かず、目は盲(し)いていたのである。あらゆる人々がこれと同じ体験を経なければならない。このことは、いわゆる死の体験を通過した人々にとっては歓喜びである。あらゆるものが体験することになっているこの歓喜(よろこび)は肉体感覚では理解しえないものである。

44 〔死後の世界では〕一層生命の自由を意識する。魂が肉体を超えて呼吸(いき)するからである。

45 肉体はみ霊(たま)の神殿である。霊的生命は久遠である。あなたたちは、〔霊界では〕自分が本当だと思うことがすべてその通り実現するのに気付く。

46 心の中で愛する人々との再会を描くと、実際に彼らと面と向かって会うようになる。まことにあなたたちに告げるが、それは現実の出来事なのである。あなたたちを傷つけた人々でさえ、そして又あなたたちが自分の無智から傷つけることになった人々も、あなたたちとの再会を喜ぶのである。

47 このことはみ霊の久遠の法則、神我の展開である。意識がこの内なる生命を自覚するにつれてある変化が意識の中に起こり、これらすべての増悪は消える。故に、あなたたちとしては、地上にいる間にこのことを理解するのが賢明である。

48 無智のままに生れ、無智のままに死ぬ者もいる。しかしこれからはそれがあなたたちの運命であってはいけない。〔無智の〕霧は融け去り、神の分霊(キリスト)の美しさが残る。

49 わたしが神の分霊の話をする時、あなたたちが神我(キリスト)の意味を会得し始めていることがわたしには分る。神我とは神の勝(すぐ)れたる神人である。キリストとは地上における、すべての人々の魂を包容する神人である。一ヶの肉体の中に無数の細胞が生存するように、あなたたち一人々々が神のキリストの中に生存している。神の種子があなたたちの中にあるのであって、それが生長して円熟するのは間違いないのである。

50 あなたたちが矇気(おぼろげ)ながら本当だと考えていたことが現実となることほど大きな歓喜(よろこび)を味うものはない。あなたたちは、失ったものはひとつもなく、新しき悟りによってすべてが獲得されることに、気付く。

51 一切の誤れる信仰が脱落するとともに新しく身に付いた無限感にあなたたちは圧倒されるであろう。

52 どのような形で自分の肉より離れたにせよ、あなたたちは依然として生きた魂なのである。自分は依然として自分なのである。しかもあなたたちが愛した人々みんなの中にこれまで以上の大きな愛と、引きつけるものと、理解とのあることにあなたたちは気づく。愛の中には何ものも失われはしないからである。

53 曹て〔十字架上での刑死後〕わたしは弟子たちにわたしの手と足とを見せたではないか。その時弟子たちは、〔出現した〕わたしが〔ただ単に〕地上時代のわたしと同じであることを知った〔だけである〕。しかしそのわたしは、自分が神の分霊であることを知っていたのである。この真理はあなたたちも又みんな会得しなければならない。この会得によって自覚、無智の破壊しえない明確なる自覚、が生ずるからである。

54 無智はあなたたちの裡なる実在を曇らす。たいていの人々は誤った信仰のために学び取るのがおそい。

56 故に、あらゆる誤謬(あやまり)と無智とを忘れ去り、自分の本質という真理に今没入するがよい。この真理に、全面的に今すぐ、あなたたちは入ることができるか。あなたたちは生きている存在である。あなたたちの中で生きているのは神の生命である。あなたたちは生きた存在として神の中に存在しているのであって、神の外ではないのである。これが本当に分った時、意識の拡大、実在の自覚、終りなき久遠常在の実在の自覚、が生ずる。鳴呼(あゝ)、あなたたちに〔早く〕このことを悟って欲しいものである。それは今すぐにあなたたちを無礙・自在にしてくれるのに。

57 わたしの弟子たちでさえ、わたしが彼らの前に再び現れてみせるまでは、十分には悟らなかったのである。

58 久遠なる、神の分霊(キリスト)は永遠(とこしえ)に生きる。しかし彼ら弟子たちはそのことを十分には悟らなかった。彼らは丁度あなたたちと同じ類(たぐい)の者であったが、神我のみ霊(たま)によってわたしの使徒となったのである。

59 今でさえ、ここに集っているあなたたちの中には、あなたたちに話しているのがわたし(イエス)であることをよくは知っていない人々が多い。

60 トマスも又〔刑死後出現したのがわたしであることを〕信じなかった。彼もわたしの両手両足を見たがり、わたしの脇腹に手をつっこんでみて始めて信じたのである〔ヨハネ伝二〇章二四節以下〕。

61 わたしの弟子一同が集まり、トマスも一緒だったのは〔はりつけの〕八日後だった。わたしはトマスの手を取ってわたしの脇腹に入れ、わたしの両手と両足を見せた。トマスは〔それに〕圧倒されて、「わが主、わが神よ」と叫んだのである。

62 死という体験の後でも人は依然として生きていることを知って彼は圧倒されたのである。このことの中にあらゆるものに内在する力の秘密はあるのに、それを完全に理解しうる者は僅少にすぎない。

63 この悟得(ごとく)の中に、あなたたちの裡なる神我の力がある。それが、わたしの仕事における最大の主眼点(ポイント)とする所以(ゆえん)である。そのことは、この世が裡なる神我の展開における一予備段階にすぎないことを示している。この悟りはあなたたちにも又不可欠である。悟得したとき、一切の力が天にあっても地においてもあなたたちに与えられるであろう。

64 トマスは見たからこそ信じた。しかしわたしはあなたたちに云うが、わたしを見たこともなくして、しかも〔わたしを〕信ずる者は祝福(さいわい)である。

65 神がその生命(いのち)の息(いき)を吹き込んだ者が死ぬことは決してありえない。死を信じる死者のみがその死体を葬(ほうむ)るのである。生ける神我(キリスト)は死なないのである。

66 もしもあなたたちが自分の目を内に向けて、わたしが今この目で見詰めているのを見るならば、あなたたちはこれまでよりも大いなる悟りを得るであろう。

67 然り、生ける、神の分霊(キリスト)に関する新しい悟りを以て、あなたたちの目は見、耳は聞くであろう。

68 倦(うみ)、疲れた者は、これまでにない安息(やすらぎ)を得るであろう。

69 地上にいた間は悩み苦しんで彼らのゲッセマネの園の門〔マタイ伝二六章三六節以下。マルコ伝一四章三二節以下其他〕を通り過ぎて来た人々、その中には恐らく老いたる者、病める者もあり、地上にいた間の状態の記憶を持ち越してきている者もある、そのような人々は、捨て去るべきものが実は〔病・老・貧・苦・その他種々の不幸の状態そのものではなく、そういう状態を描いた〕心の中の像であることに気付くであろう。とは云え、魂には尚しばらくの間は傷痕が残るであろう。やがて彼らは深い睡りの中に移る(40)、魂は睡り、やがて神我という実在の中に目覚める。〔そして〕彼らは若返り、記憶に傷痕を残したあらゆる状態より解説する。

70  しかし一面では又彼らが好むならば、確かに本人の自分であることを地上にいる人々に示すために、或る状態を再現することもできる。しかし内界〔霊界〕に戻るとすぐにその状態をすて、神我(キリスト)の悟りすなわち神の完全さ、の中に生きるのである。

71 各人の中に住(じゅう)している久遠の神我が父御自身であるという真理を、地上で生きている人々に信じさせるのは、難しい場合がある。

72 〔しかし信ずるようになった〕その暁には、倦(う)み疲れている人々も曽(かつ)てない程の安息(やすらぎ)を得るであろう。そして目覚めた時、彼らはおよそこれまでに実現したとされている最善、最高なるものがすべて真実であったことを発見するであろう。

73 あなたたちの愛する人々は遠くに身罷(みまか)っているのではなく、あなたたちの許より一旦去って以来、何時もそうであったように今もあなたたちと偕(とも)にいるのである。しかしあなたたちの物質感覚がそれに対してあなたたちを盲目にしているのである。

74 〔集ってきている霊人たちに対して〕ああ、今後も又あなたたちは自分が愛し、後に残してきた人々をどんなにか助けてやろうと努力していくことか。しかし、それはすべて、〔あなたたち丈でなく〕、あらゆる人々が同様にやっていくことである。〔そうと解れば〕そのことはあなたたちとしても大きな慰めである。しかし又生命の実在についての世の無智ぶりを見ることはあなたたちにとって苦痛である。

75 わたしの言葉は、あなたたちの意識に、実在の真理――あなたたちも又実在の中に生きているのであるから久遠であるという真理――の悟りを、もたらす。あなたたちは、あなたたちを創造(つく)り給うた御方(おかた)の中に生き、動き、かつ存在を得ているのであり、その御方は又あなたたちの中に生きてい給う。

76 その時あなたたちは、〔神我〕の決して止むことなき一層の展開を始め、それとともに又神についての更に大いなる悟り、神に対する更に大いなる愛、あなたたちが生き、動き、存在をえている神の驚嘆すべき宇宙についての更に大いなる知解(ちげ)、が始まる。

77 もしわたしが存在している一切のものをあなたたちの心の中に刻印することができれば(41)、あなたたちはあらゆる恐れと疑いから解放されるであろうに。

78 あらゆるもののうち最大なるものは「愛」――始めなく終わりなき愛――である。それは常に自分自身を外に注ぎ出しており、あなたたちがその豊かなる愛に捉えられるならば、あなたたちは昇天した神の分霊の如くに愛するようになる。

79 父はその愛をあなたたちの中にくり広げ給う。神我とはあなたたちの中にあるこの愛である。

80 自己に内在するこのキリストのことをあなたたちが知ることをわたしは切に望んでやまない。内在のキリストを知れば、あなたたちはお互いの間には何らの分離もないことを理解するであろう。

81 わたしの父の邸(やかた)には多くの家がある。これらの家とは様々な〔発展〕程度の意識のことである。意識が発展するにつれて、意識はその発展〔内容〕を現象化していく。

82 意識が発展するにつれて、それはその展開〔内容〕を現象化する。理解したことが〔単なる抽象的理解にとどまらず、具体的な現象として〕見え、かつ納得(なっとく)されるようになる。あなたたちの意識は神の分霊(キリスト)が顕現し、来るべき更に大いなる世界を展開する媒体である。

83 神の分霊は肉を現じてその裡に宿り、手や足よりも近く、あなたたちが求める以前にすでにそれを聞いている。

84 創造の場は自分の中にあることを悟り、信念を以て求めるならば、わたしの名において父に求めるならば、あなたたちのために父が為(な)し給わぬものとては何ひとつない。故にあなたたちの裡なる神の分霊(キリスト)の名において求めよ。わたしはあなたたちの求めを聞き、あなたたちの求めるものを実現する。

85 なぜならば、あなたたちはわたしの実を結ぶぶどうの技であるからである。豊かなる実が成るのである。わたしによってあなたたちはあらゆることを為すことができ、わたしなくしては何ごとも為すことはできないのである。

86 わたしは自分ひとりでは無(ゼロ)である。語り給うのはわたしの裡(うち)なる父のみ霊(たま)である。これらのことすべて及びそれ以上のことを父は為し給う。

87 あらゆる〔正しい〕想念と話しとの背後にはわたしがいる。わたしは普遍である。わたしの愛があらゆる智識と英智と力とへの鍵である。

88 わたしの愛はあなたたちの意識を内界において発展させる。そしてあなたたちの中で愛が展開するにつれてあなたたちはわたしについて一層多くのことを知るようになる。

89 たとえあなたたちが滔々(とうとう)と懸河(けんが)の弁(べん)を揮(ふる)おうと、胸(ハート)に愛がなければ、あなたたちは喧噪(かしま)しいシンバルにすぎない。

90 たとえあらゆる智識を得、どんなことでも為しうる信仰を行(ぎょう)じようと、胸に愛がなければ、あなたたちの為すことは何らあなたたちの為にはならない。

91 幸(さち)うすき人々に施しをし、貧しき人々に食を与えても、愛がなければ、何もしたことにはならない。

92 愛は理解されなくても親切にし、咎(とが)めることなく、不正に堪え忍ぶ。

93 愛は悪に酬(むく)いるに悪を以てすることなく、悪に対するに善を以て酬いる。愛は柔和のうちに、それら悪を正しく判断して導く。

94 愛はあらゆる力ではあるが、謙譲(へりくだり)りである。愛は空虚な誇示をすることなく、その業蹟を誇ることもない。

95 愛に決して失敗はない、愛は神であり、神は愛であるからである。

96 あなたたちの胸(ハート)が愛の胸とともに膊動するならば、愛の聖なる流れがあなたたちの胸に流れ入る。平安があなたたちの心に入り来り、あなたたちの魂は天にましますわれわれの父の真性を放射するようになる。

97 わたしは愛なる吾が父に語るのが楽しみである。父の愛はあらゆる恐れを駆逐(くちく)する。あなたたちの胸に父の愛があれば、いかなる害も近づくことはできない。では平安なるがよい、そしてわたしがあなたたちと偕(とも)なるを知るがよい。

98 愛は常に裡(うち)にあり、あなたたちを取り囲んでいる親切なる闇の中に住んでいる。

99 この闇を恐れてはならぬ。わたしは闇に打ち勝つ光だからである。しかし闇は光を理解しない。光りのみが理解するからである。

100 闇とは心の中の影である。しかしその影を通しその影によって神我(キリスト)は力と栄光との中に咲き出るのである。この力を自覚せよ、そうすればあらゆる〔悪しき〕状態はあなたたちより過ぎて逝(ゆ)く。もろもろの責任やいかなる仕事からも、たとえそれが十字架であろうとも、尻込みしてはならぬ。克服することによってあなたたちは〔神我を〕展開することに歓喜を見出すであろう、あなたたちは自分が闇に打ち勝つ世の光であることを知るからである。

101 理解するのは光である。闇は理解しない。光あるところ、闇は消える。

102 裡なる神我(キリスト)に栄養を求めるものは強くなる。それは何ものも外部から攻撃することのできない真理という岩の上に建てられた家である。

103 あなたたちの中に宿っているわたしの沈黙の愛を求めよ。すべてのものを愛せよ、すべてのものを愛を以て祝福せよ。そうすればわたしはあなたたちをその百倍も祝福しよう。

104 あなたたちが愛を以て祝福する時、わたしはあなたたちの中にあって歓喜ぶからである。あなたたちが愛する時わたしはあなたたちの中で働いており、あなたたちの傍にいる。わたしは愛だからである。

105 あなたたちの愛に対して利得や報酬を求めてはならない。又あなたたちの愛を人々の前で見せびらかしてはならない。ひそかに愛を為せ。人を喜ばすためではなく、神の愛のために、手の届く限りのことをすべて為せ。

106 あなたたちは未来であり、過去であり、現在である。このことは今すぐ学び知るがよい。そうすればわたしはあなたたちの中で今働くことができる。そうすれば、真実でないものはすべて元の古巣の奈落に急転落下するであろう。

107 〔かくて〕あなたたちはすべて、この業(わざ)を為すのにふさわしい本来の在るべき処に納まったのである。あなたたちが神我と共に活動しておれば神に失敗はありえない、あなたたちはわたしの実を結ぶ葡萄(ぶどう)の樹の枝であるからである。

 では聖所の中に入ろう。わたしに向かっているがよい。

           沈   黙

わたしの平安、わたしの愛をあなたたちの許に留め、永続させる。

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書記のことば
沈黙が続いている間、美しい紫の光が講堂に満ち、主が去り給う時、言葉では云い現しえない愛と平安とが感じられたことであった。