第十二話

~かくてキリストは昇天し給う~ 

わたしはわたしの平安、わたしの愛をあなたたちにもたらす。

1 聖なる想念は裡(うち)なる神我(キリスト)の上昇である。

2 裡なる神我の巨大なる力を理解するものは極めて僅少である。それはあなたたち一人々々みんなの中に顕現(あらわ)れている神のみ霊(たま)である。父を意識せよ、神の言葉を意識せよ。外なるものと内なるものとの間の仲介者、それか内在の神我である。

3 自分の裡を索(たず)ねていけば父を見い出す。外を見れば、見えるのは結果だけである。この両者の違いをよく認知し、自分の裡にある偉大なる創造力を自覚しなければならない。それこそが、およそある限りの唯一無二の創造力である。それを意識し、その本源を認め知った上で活用すれば、あなたたちの生命・生活・生涯(ライフ)においてこの創造力が完全に発揮される。

4 故にいろいろと心で理屈を立ててこの創造力を制約することによって、「制約されざるもの」への道を閉じてはならぬ。〔理屈のもとである〕あなたたちの理性なるものは物〔複数〕を理解することに限られている。この故に、あなたたちは他の人々のあらゆる制約された信仰や考えを取り除き、かくしてこの制約されることなき意識状態が個人々々の意識の中に入り、理性を越えた神の力でそれを満たすようにしなければならないのである。

5 この神性それ自身は論理の筋道を立てることなく、又、憶(おも)い起こすことなしに直ちに知ることができる。それは無礙・自在であり、自然法爾(じねんほうに)〔自然に内から催すこと〕である。それはそれ自身の中に創造する力があり、その理解力には限りがないからである。それは理性を越え、それ自身英智に満ちているからである。しかし理性がこの神性について論理をたてだすとそれを制約してしまう。もともとそれは理性を越えたものだからである。理性は〔観念・心象など〕心の中にあるものの上に立脚しているが、実在はその心を超越しているのである。

6 理性を超えたものについて理屈をたてることはできないが、心からいろいろな制約を取り払うことによって受け取る能力を拡げることはできる。

7 あなたたちの信仰が「制約されざるもの」の展開への妨げとなっている。あなたたちを妨げている信仰がなくなれば、再び幼児のようになり、何らの防害もなしに自由に実在を把握するであろうに。

8 多くの人々がその凝(こ)り固(かたま)った信仰のために妨げられている。彼らは他の者から与えられた観念(かんがえ)以上のものは何も受け取ることはできない。かくて彼らは自分自身以外の或る権威に自分自身を引き渡し、とどのつまりが、制約され、束縛され、もはや自由ではなくなるのである。

9 今の今のあなたたちの中に顕現(あらわ)れている神我(キリスト)の巨大なる力を妨げているのは、これらの障礙(しょうげ)、これらの信仰である。神我は天上天下における一切の力を与えられているのである。このことを把握した時、制約されたもろもろの信仰は消える。神我は本来制約されることがないからである。神我力は個別化した父御自身であり、あなたたち一人々々の中で御自身を表現(あらわ)しておられ、――しかも御自身より分離することなく、教えることもできぬ程に種々様々の〔生命形態〕として現じ給い、しかもその本体は同一〔の父御自身〕であり給う。神我はあらゆるものの中において同じであるからである。

10 幼子(おさなご)のようにならなければあなたたちは天国に入ることはできない。他人の考えや信仰による制約より解脱して始めてあなたたちは「制約されざるもの」を受け容れることができるのである。あなたたちの中で働いているのはわたしだからである。

11 あなたたちの意識がわたしの制約されない本性に気付き、この制約されない本性があなたたち自身の中にもあることを自覚した時、始めてあなたたちはわたしと同じ様に心の底より、わたしと父とは一体である。ということができる。実在という根源を認知し、この同一の根源が一切のものの中にあることを知り、父の〔創造り給うた〕自然のこれらの内界に入るが故に、わたしはあなたたちの中で、あなたたちを通して働くのである。

12 わたしの思想、わたしの言葉は実に今あなたたちの魂の奥深くからの傾聴を要求しているのである。これらの言葉はあなたたち自身の一部となり、遂にあなたたちの生命・生活・生涯(ライフ)にそれが具体化して平安と調和と観喜(よろこび)とをもたらす。

13 あなたたちの頑(かた)くなな信仰のために、あまりにも多くの神我(キリスト)力が、自己現実できずに、あなたたちの心の中に閉じ込められてしまっている。

14 心がどんなに縛られているかを知るには、信仰に凝(こ)り固(かた)まった心の中を見詰めさえすればよい。まこと、これが神我が世に顕現すのを妨げている無智であり、分離と闘争との原因である。

15 まことにその通りである。幼児期においてさえ心はもろもろの制約された信仰を詰め込まれており、その後ずっとその子は神我(キリスト)を窒息させるような信仰を持ったまま、成人する。〔しかし〕その魂が自己自身に内在する力に目覚め、これを認知するようになって始めてそれは自由となりうるのである。その時その魂はこれらの制約された信仰や〔今まで影響を受けていた〕他人の考えをかなぐり棄て、その繋縛(けばく)より脱し、太初(はじめ)にあった言葉を顕現(あらわ)すようになる。

16 わたしが世に来たのはこのためである。すべての人々を制約という束縛から解放するためである。父のみに依り頼め。父を通してのみあなたたちは解脱しうるのである。あなたたち自身に内在する父のみが唯一の権威である。他にはないのである。

17 花はその裡(うち)なる秘められた力によって開きかつ咲き出る。人の魂も又その通り裡なる神我(キリスト)生命によって開く。ではあなたたちは制約された心の勝手な働きによってそれが妨げられぬようにするがよい。

18 束縛をかなぐり捨てるということは、理解するには何とた易く、もろもろの信仰によって盲(くら)まされ制約された人々には何と難しいことか。彼らは解脱を求めてもがいてはいるが、彼らの考えや信仰が彼らを縛っている。

19 これらの制約された信仰が全世界の男女の心から除き去られた時、世界は真に神我生命を表現(あら)わすようになるであろう。

20 地上を超えて移ってきたあなたたち、地上での生命、生活、生涯(ライフ)を体験したあなたたち一同は、自分の凝り固まった信仰をかなぐり捨てるのがどんなに難しいかを知っている。中にはそんな信仰にまだしがみついている者もおり、まだ解脱を求めて?いている。しかし次第に〔神我が〕展開するにつれて信仰なるものは本来は無いものであって、ただ「直接知」、神を直接知ること、のみがあり、神の中には分離のないこと、を発見するであろう。

21 人間の心があらゆる物事を判別する点まで到達し、心の裡なる最高所に達した時、始めてそれは心を悉皆(すべて)より引き離していた幕(ヴエール)を貫いて、神我の完全なる悟りの中に入る。そしてわたしがあなたたちに、「あなたが今知っているのは何か」と聞けば、あなたたちは、「わたしの知っているのは神我のみです、神我こそは全ての全てです」と答える。

22 人間の心が神我力の顕現しうる器(うつわ)になった時、人間の心は真に知慧あるものとなる。ありとしあらゆるものに対する智慧に基く理解というものがある。それによってすべては新しく創造(つく)られるのである。すべてのものが新しく創造されるのはこの力による。

23 これがあなたたちの裡に植えつけられた力であり、それは心があらゆる制約された信仰や観念(かんがえ)から解脱した時に出てくる。心より分離観がなくなったとき、真の智慧は働き始める。このことが本当に解ったとき、あなたたちが自分で勝手に造つた牢獄からの解放が実現する。

24 これが、「一切の直接知」からあなたたちを引き離している幕を貫通した結果である。

25 幕を貫通するのには何も難しいことはない。わたしはそれを保証する。それは簡単である、あなたたちの心からあらゆる制約、あらゆる信仰、あらゆる理論を除き去ることである。このことが成就して始めてあなたたちはわたしの方に向き直ることができ、わたしはあなたたちを通して語るようになる。

26 人類を内から観れば、あなたたちのさまざまな信仰により、又あなたたちが?んで離さない観念のために、どんなに多くの力が閉じ込められているかが分かる。

27 あなたたちの、数々の大きな障害の一つは、祈りの時間が他の時間とは違っていなければならないという妄想である。

28 祈りとは神の臨在感である、しかもこの臨在感が四六時中現実のものとして意識されねばならない。

29 あなたたちは一週のうちただの一日だけを祈りにとっておく。一週のうちただの一日だけを祈りにとってあるからといって、週一回の冥想に満足している。

30 断っておくが、それは本当の行き方ではないのである。本当の行き方は、自分の中で働いてい給う父を不断に自覚するということでなければならない。そうすれば分離なるものの存在しないこと、時間、空間の存在しないことが分る。

31 然る後に自分の通常の仕事をするのである、それもただ人間を喜ばすためではなく、できるだけ純粋に神の愛のために、するのである。

32 そうすればあなたたちの仕事に制約を蒙(こうむ)ることは決してなく、あなたたちの仕事は、あなたたちの仕事を導き給う臨在の無限なる御本性の中に拡大して行くであろう。

33 あなたたちは、父があらゆる栄光と力との中に御自身を顕現しうるという真理を認識した上で、全面的にわたしに献身するがよい。そうすれば心はこの巨大なる力を現す器(うつわ)となる。しかしその前に心は崇敬に満ち、愛に満ちていなければならない。するとあなたたちは日常生活より過去、現在ともに無き「臨在」における栄光の中へと昇華する。その時この巨大なる力があなたたちにとって現実のものとなるのである。

34 各惑星がそれぞれの軌道を運行している。天空(複数)におけるあらゆる運行は神の驚嘆すべきみ業である。しかしこの同じ力が、聖なる愛と力即ち各人に内在する神我(キリスト)を顕現することに全面的に没頭しうる心を通して自己自身を表現しようとして待機していることは、あなたたちは殆ど知っていない。

35 あなたたちは自分の働きの結果について思い煩う必要はない。なぜならばあなたたちの天父は天父を愛する人々すべてに豊かに報い給うからである。

36 また明日を思い煩う必要もない。明日は今日(きょう)の愛行(あいぎょう)によってすでに解決ずみだからである。

37 あなたたちの生涯の重要な事柄は記録されており、あなたたちの中に存続し、内界へと引き継がれる(37)。善にして価値あるものはすべて継持され、そうでないものは融け去る、父は何ものもあなたたちに対して含むものがないからである――あなたたちの無智なる同胞のみがそのようなことをする。

38 神我(キリスト)にふさわしいものはすべて維持されるが、本来力の無いもの(38)はすべて融けて消えなければならない。なぜならそのような〔見かけの〕力は五官の迷いによって維持されている丈だからである。

39 あなたたちを取り囲んでいる物事や、あなたたちを取り巻いているいわゆる悪を恐れてはならない。なぜならばそれはあなたたちの裡なる天国に入ることはできないからである。これらのものはその所属する無の中へ融け去ってしまうのである。

40 〔かくして〕あなたたちは、自分の裡(うち)に、父御自身を無限に表現する媒体である神の分霊(キリスト)の力の静かなる、不変の効果を感ずるであろう。

41 これこそが世に生まれ出るすべての人々を照らす真の光である。

42 生まれ出るすべての人々の中に神我が生まれる。このキリスト、この生けるみ霊(たま)が父の創造り給いしものすべての中に御自身を表現し給う父なのである。

43 世は父の御手の下にあるのに、世は父のことを殆ど知らない。

44 しかし父を受け容れる者たちには、神の子キリストが一切に打ち克つように打ち克つ力を与え給う。

45 これが、あなたたちが父の聖名(みな)を知り、父を認め、かつ、あなたたちの存在の制約されることなき本源を自覚した時、父の結び給う聖なる約束である。これこそが真の自由である。

46 真の自由は自分自身の本源を知り、かつ把握することである。本源に到達してそれより飲む者の悦びは大きい。彼らは生命というブドー酒、他のすべてのブドー酒よりも良きブドー酒、を飲むからである。それはすべての生命の根源である。わたしはその生命であり、わたしの父とは一体である。

47 丁度神我、すなわち神のみ霊を認容する人々の〔場合の〕ように、天と地とを愛もて治(おさ)め給う唯一無二の生ける神という真理を証(あか)しするために、神の言葉が肉の中に宿る。

48 あなたたちの裡なるキリストが、天と地とを愛もて統(す)べ給う唯一無二の生ける神という真理を証しするために肉の中に宿り給う神の言葉である。このことをこれ以上あなたたちに説明する必要があるだろうか。それはあなたたちに任せる、そうすればあなたたちはそのことを自分で考え抜き、考え抜くことによってあなたたちの魂に平安がもたらされる。

49 あなたたちはお互いに愛し合うのでない限り、わたしの父の王国に入ることはできない。

50 それはわたしの父の王国が愛の王国、調和の王国であるからであり、あなたたちがわたしの王国に入る時は、わたしの王国〔のありかた〕を身につけなければならないのである。それは何もそれ程むつかしいことではない。第一にあらゆる制約、分離に導くあらゆる考え方、あらゆる嫉妬、あらゆる対立、父御自身の本当の表現の妨げとなるあらゆるものを棄て去らなければならない。

51 もしもあなたたちが自分の心の中を探(さぐ)るならば、様々な想念、心象、考え方、闘争、怨念、意気の沮喪(そそう)等が実は自分で造ったものであることが解り、それら一切の制約が、ただ真理を把握しなかったがために自分自身の心の中で現象化したものであることがわかる。

52 あなたたちを押しひしいでいるこれらすべての制約を直ちに振るい落すがよい、そうして始めてあなたたちは天国に入るのである。こうしてあなたたちが一切の制約を心から除き去った時、あなたたちは天国をもたらすことになる。

53 なぜならば父はあなたたち一人々々を愛してい給うからである。雌鳥(めんどり)がその雛(ひな)を羽根で覆うように、わたしの父はあなたたちみんなをその愛もて蔽い給う。

54 わたしを理解しないがためにわたしを嫌う人もいる。しかしあなたたちはわたしを理解し、わたしとわたしを遣(つかわ)し給うた父の話を聞いている。父よ、貴神のこれらの愛の子らをわたしに与え給い、わたしが貴神のことを彼らに教え、彼らがわたしと同じように自由となりかつ完全となるように仕向け給いしことを感謝致します。

55 あなたたちはわたしの父の家では他の人に対して敵意を抱くことはできない。父の御馳走は互いに愛し合う人々すべての前に並べられる、それはわたしが一人々々の中に宿っているからである。もしあなたたちがあなたたちの同胞を嫌うならば、わたしを嫌うことにもなるのである。

56 神はその聖なる種子を生長、展開させるためにあなたたちの中で働き給うが故に、あなたたちの心、あなたたちの身体(からだ)と環境には大いなる平安がなければならない。神の創造のお働きはあなたたちを通してなされるからである。

57 あなたたちは、わたしを顕現させるために神の創造(つく)り給うた行為の場なのである。

58 故にあなたたちが神の愛のためにものごとを為すならば倦(う)み疲れることはない。何事をなすにも神の愛のために為すがよい。

59 わたしは天と地におけるあらゆる力の秘訣をあなたたちに与えつつある。あなたたちに与えたものをしっかりと掴み、今それを受け容れ、それにもとづいて実行するならば、まこと、あなたたちはそのかずかずの効果を即時の自分の生活の中で実見するであろう。

60 何も明日、或いは一年先まで待つ必要はなく、今、即時に自分の生活の中で、今、その効果(複数)を実感するのである。故にあらゆるものごとを神の愛のためになすがよい。

61 あなたたちの多くが、これまで自分達をお互いに、そして又わたしからも離れた、明らかに別々の個人だと思い、他の人の難儀や苦悩も他所事(よそごと)と見なしてきた。

62 あなたたちの重荷はすべてわたしが運ぶことができる。わたしは、わたしの父がわたしの面倒を見て下さることを知っているからである。また、もしあなたたちが倦み疲れた場合には、わたしの父が、わたしを世話して下さるように、あなたたちを世話して下さる。

63 父はあらゆる状態に打ち克つ力をわたしに与え給うた。その力はあなたたちの中にも又現れているのである。故に他の人々を、自分とはそして又、わたしとは別々の者であるとは思わずに、わたしと共に、人類全体の中で感ずることである。そうすればあなたたちはわたしを知るであろう。他の人々のためにすることはわたしのためにすることである。

64 故に、わたしを知り、わたしの父は又あなたたちの父でもあることを知って神の愛のためにものごとをなすならば、倦み疲れることはないのである。

65 〔どのような事を、どのような人がしたにせよ〕為(な)された業(わざ)を〔見て〕最(い)と大いなるものと思ってはならない。その業をなしとげた〔原動力である〕愛こそが最と大いなるものなのである。

66 大多数の人々は自分のやったことを見てうぬぼれて云う、「わたしがこれを建てた、あれを建てた。わたしがこれを創造(つく)った、あれを創造ったのだ」と。どんな人であっても神から離れて何かを創造りうるものではないのである。なぜならばあなたたちにそうする力を与えられたのは神だからである。神の外には何もないのである、神はその御本性において無限だからである。

67 故に、神の源は愛であり、愛は裡(うち)なる神我(キリスト)を通して来ることを認知するがよい。では業自体ではなく、業をなしとげた愛をこそ最と大いなるものとなすがよい。すべてのものは過ぎ行く、しかし愛は永遠に続く。

68 心は魂の鏡である。苦悩の中にあっても、自分が常に父の臨在の中にあることを知れば、次第に生長してより強くなって行くのである。

69 胸(ハート)と想像とは密接につながっている想像は胸にある通りのものを再生する。

70 わたしが今あなたたちにしているこの話はあなたたちの心をあらゆる生命の本源に一層近づけつつあるのである。

71 この話への来聴を許されなかったというので同胞〔原著者〕に苦情を訴えた人のいることをわたしは知っている。連続講話は特別の条件(39)の下(もと)にのみ為しうるもので、(そのためにわたしがあなたたちを撰んだのであって、あなたたちがわたしを撰んだのではないのである。

72 他の人々をこれらの大いなる真理(複数)より閉め出そうと望んでいるからではない。その事はよく覚えておいて貰いたい。あなたたちが撰ばれている、ということがその理由なのである、今日まで呼ばれた者は多いが撰ばれた者は少ない。曽(かつ)てわたしは弟子達が神の力とその賢明なる活用法をよく会得(えとく)しうるように秘密裡にそれを教えた。そういう風にして又わたしはあなたたちに教えているのである。それはあなたたちがこの力を賢明に活用して一層すぐれた悟りを世にもたらすことができるようにするためである。

73 あなたたちが世に出たら、あなたたちはわたしの弟子となり、久遠の生命に関する真理を拡め、愛のみが統(す)べ治(おさ)める力であり、この力のみが平和と幸福とを世にもたらしうることを説いて貰いたい。

74 人はわたしを見上げなければならない。そうして初めて彼は自分自身を高めることができるのである。荒野において蛇がモーゼによって挙げられた〔ヨハネ伝三章一四節〕ように、人の子もまた挙げられる。

75 では神我(キリスト)をあなたたちの胸(ハート)の裡(うち)に氷住せしめるがよい、そうすればあなたたちは常に神我の鮮(あざや)かな展開を自覚するであろう。あなたたちは、自分の中に神我として人格化した神のみ霊の創造力を見、聞き、かつ直接知るであろう。

76 本当の祈りは真剣さである。そのような祈りには大いなる引力がある。祈りの際真剣であることの重大性を、わたしはあなたたちの心に刻みつけておきたい、その祈りは外の神に対するものではなく、裡なる神の分霊(キリスト)を通しての父との霊交によるものである。書記のことば:深い沈黙が支配し、講堂は大いなる光に満たされた。

77 これがわたしの謂う「祈りにおいて真剣になること」の意味するものである。その答えはすなわち創造力と創造の場とは裡にある。其処にわたしは宿っている。故にあなたたちはわたしをあらゆるものの中に生きているものとして考えることである。

78 あなたたちがわたしを愛している時は、わたしの父をも又愛しているのである。父は父を愛する人々のために大いなるものを用意しておられる。

79 わたしは太初(はじめ)に神と偕(とも)にあった言葉である。あらゆるものはわたしの手によって存在するようになったのであり、ただの一つといえどもわたし無しに存在するようになったものはないのである。

80 わたしを通して創造り給うたのは父であった。その父が今わたしを通して語ってい給う。

81 何人(なんびと)も未(いま)だ曽(かつ)て神を見たことはない。しかしわたしは神なるわたしの父の胸の中にいる。父はわたしのことを宣言し給い、あなたたちは〔わたしを通して〕神の語り給うのを聞いている。

82 わたしは天にましますわたしの父が移植し給うた父の種子である。この種子はあなたたちみんなの中で同じ実を結ぶのである。

83 人間すべて同胞であるという真理が、地上の闇を超えて、生長していくのが見え出してきている。それは人の心を貫きつつある。まこと、今日に至るもなお神の目的を実現するのが神我(キリスト)の目的なのである。

84 この故に、わたしが遣(つかわ)された責務(つとめ)は果たされるであろう。神の目的はすべての者に内在する神の分霊(キリスト)によって遂げられるのである。わたしがあなたたちに説いていることをどうかよく記憶して貰いたい。

85 わたしは人類と一体である――人類という花園における最初の花々のひとつである。わたしは世の終り迄もさえ、常にあなたたちと偕にいる。

86 われわれの間には分離はない。あなたたちが地上の住居〔肉体〕を出て意識の内界(複数)〔の界層〕に入ってきても、わたしは依然としてあなたたちと偕であり、あなたたちは〔地上におけるものよりも〕更に大いなる理解と悟りと〔の存在〕に気づき、更に大いなる愛、あらゆる敵意が融解する愛〔の存在〕に気づくであろう。

87 わたしの父の家には聖なる愛があり、悔い改めて父に向かう者はその愛を受け、父は彼らをその恵で圧倒し給うであろう。

88 父の家には多くの邸(やかた)がある。邸とは意識の程度である。聖なるものを表現する最大の障害は自己内在の神我(キリスト)に対する無智である。

89 一体罪人のうち最悪なる者は誰なのか。あなたたちは人を咎めていながら自分は咎めずにいることができるのか。よく考えるがよい!

90 自分の力を誤解し、無智のまま地上に生きてきた人々は、神の無限の愛を理解しなかったために、その力を誤用してきた。しかし今や彼らは悟りと愛とによって生長し、かつ〔神我を〕展開して自由を得つつある。

91 過去の記憶はすべて融け去りつつある。しかしこれらの経験を通して、人々は神の愛を知るようになった。胸(ハート)が善美なる父の愛の中において歓喜するが如くに、魂もまたその全栄光を花咲かす。

92 人の裡なる神のみ霊(たま)が御自身の愛と至福の聖なる久遠不滅の生命に目覚め、その御本性たる愛を歓喜(よろこび)ながら表現し給いつつある。

93 本性に関する真理が人の心の中に展開されるにつれて、人は制約されたさまざまの宗教形式におけるさまざまの隔壁を、捨て去るようになるであろう。その時そこにはただ一つの真理、ただ一つの神の民(たみ)、ただ一つの群(むれ)と羊飼いとがいるのみとなり、すべてのものがわたしの声に傾聴するようになるであろう。

94 あなたたちを取り囲み、あなたたちに抵抗するように見える闇は、あなたたちの中でわたしが生長する手段なのである。恐れるな、わたしは征服者だからである。

95 悲しみや困難に遭っても、喜んでそれに挨拶するがよい。それらを通じ、それらを克服することによって、あなたたちはわたしの中で生長するからである。

96 神のみ言葉は神のお考えである。わたしはそのみ言葉。肉の中に生まれ、肉の中で花咲、肉の中より生長して父と共に永遠(とわ)に生きる。これが全人類の行く道である。

97 故にわたしは、何時もそうしてきたように、本性という最奥の面に顕現(あらわ)れる。わたしの根は神の久遠なる心の中にある。

98 言葉が太初(はじめ)にあった――言葉は神と偕(とも)にあった。その言葉こそは神であった。その言葉が肉となった。それは肉の中より勝利のうちに生長し肉を克服し世に勝った。この神我(キリスト)は神の肖像(にすがた)として生長し、花開く、神我は世に打ち勝たんがために世に植えられた神の種子だからである。

99 此の故にわたしは本性という最奥の面に顕現(あらわ)れる。其処には何ら死の如きものの存在しえないことをわたしは知っていた、それは人間の制約された心の中にしか存在しないからである。この驚くべき久遠生命の真理をあなたたちが把握しえた時、この生命自身はいわゆる死に影響されることはない。

100 いわゆる死の体験によって生命が中断されることはないが、み霊の展開による、肉の障害からの解放がある。

101 自分の兄弟姉妹たちを嫌悪(けんお)しながら地上界より〔霊界へ〕やって来た人々もいる。その嫌悪も理解と悟りとによって融け、無の中へと消え去る。み霊は益々神の生命となり、種々の低い現象界は、生命現象化の場である意識の低い界層に過ぎなかったことが、直ちに認識される。そこで〔地上界にいる〕あなたたちの使命は地上に天国をもたらすことである。

102 あなたたちは〔神性の〕生長と開顕とを妨げるものに気付き、よくそれを見分けなければならない。あらゆるものの中に存在する「唯一無二」の意識を意識し自覚して始めて自由は来るのである。これを知るようになるまでは低きものより高きものへ移ることはできないのである。

103 わたしの父はあなたたちに対して何も含むものはない。又あなたたちも自分の兄弟姉妹に対して含むことはなくなるであろう。故に心を安んずるがよい、「今」が久遠だからである。

104 神人(ゴッド・マン)は神の中において完全である。彼は、生長のあらゆる段階を通過し、遂に彼の意識はその本源を悟るに至る。

105 その時始めてこの神人は神という実在の中における自分が全能であることを悟る。

106 地上で生長しつつある人々をわたしとともに見ている〔霊〕人達は、父の御意志が成就されるようにという熱望でみたされている。

107 いろいろの体験によってあなたたちは種々の困難を克服し、世におけるあなたたちの様々の信仰、嫌悪、無智のためにどれだけ多くの力が堰き止められているかが分かるようになる。われわれは神の御意志が人間の中に成就し、愛の驚くべき力が表現されるのが見られるようになるのを切に望んでいる。

108 終りは始めの中にあり、始めは終りの中にある。あらゆる分離の終りは神の中にある、〔すなわち〕神の本性を悟り、その無限の聖愛を表現することによって(あらゆる分離は終焉する)。

109 あなたたちの中に、百匹の羊を有(も)っていて、その中の一匹が道に迷った場合、九十九匹はそのままにしてでも道に迷った一匹が見つかるまでそれを探しに行かないものがいるだろうか。

110 そしてみつかると歓んでそれを元の群に連れ帰り、全部を揃えないだろうか。

111 特に云うておくが、懺悔の必要もない九十九名よりも悔い改める一人に対する方が天における歓喜(よろこび)も大きいのである。

112 わたしの父は完全無欠である。一人でも迷ったままに棄て置くことはなく、みんな見つけ出し、群に、連れ戻して歓喜(よろこ)ぶのである。それは群れが揃って完全となるからである。これが神の御意志――お互いの愛し合い、完全なる幸福と平安――とである。

113 この平安は実現する、すでにそうなるように定められているからである。

114 世に対する父のお考えはまさしく完全そのものである。神のみ霊が神我としてあなたたちの中に個別化しているからには、神我が栄光の中に君臨する。この栄光の中に父は神我を創造し給うたのである。

115 物質が物質として実在であるという誤った考えに今尚しがみついたまま地上より〔霊界に〕移ってしまった人々が多い。この累世(るいせい)にわたる感覚信仰が多くの非常に敬虔(けいけん)かつ高尚な魂たちの進歩をおくらしてきたのである。彼らは今尚物質感覚の中に生きている。それは彼らにとっては依然として実在ということになっているからである。

116 よくよく銘記するがよい、あなたたちの目に見えるものは実在ではないのである。それは裡なる或物の反映にすぎない。表面に見えるものは変化し、過ぎ去り、やがては無の中へと融け去る。しかし本物(ほんもの)は存続する。

117 物質を実在と見てはならぬ。それは見えざるものの効果にすぎない。物質が堅固である、或いは実在であるという考えを以て内界〔霊界〕へやってきている人々が多い。

118 高尚な魂たちは信仰を持ってはいるが、神我(キリスト)の中に寝入っていて目覚めず、神我の力と神我生活の無礙、自在さを悟らない。これらの魂たちは、その制約された信仰と物の本性に対する理解の欠除のために妨害されている。

119 このことが、彼らの前途に備えられているもろもろのより高き体験へと〔神我〕を開顕することを妨げている。

120 〔万物の〕唯一の実質は神である。すべては神の心の中にあり、すべては神の創造物である。目に見えるものは神の御考えの反映にすぎず、本物はすべて神の永遠なる実在の中に久遠、氷恒に根差しているのである。

121 このことがあなたたち自身の意識の中で現実のものになるまで、それについて深く瞑想するがよい。

122 この瞑想を真剣にすぐ始めるがよい。この為すべき瞑想をなすならば、必ずやあなたたちはその効果を生命、生活(ライフ)の中に見い出すであろう。

123 このようにして神我は昇天するのである。

わたしの平安、わたしの愛をあなたたちの許に残し、あなたたちと偕に氷続させる。

 では共に聖所に入ろう。
 みんなわたしの方を向くがよい。

           沈   黙 

わたしの平安、わたしの愛があなたたちと偕に氷続する。

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書記のことば
主は何時ものやり方でわたくし共一同を御祝福になり、わたくし共の心は永く主の平安と愛とにみたされた。