第十話

~胸(ハート)の清純(きよ)きものは幸いなり、彼らは、神を知るべければなり~

わたしはわたしの平安とわたしの愛をもたらしてあなたたちの許にとどめる。

1 知的な智識では不十分である。悟りを伴った胸(ハート)を以てしてのみ直接父を知ることができるのである。

2 〔成る程〕心は論理的に考えることができる。論理的思考はよいことではある。しかし前に述べた直接知が論理的思考に先行しなければならないのである。すなわち、あなたたちは感じなければならない。自分の胸の中で知らなければならないのである。

3 ほんとうに感じ得る前に、胸(ハート)もまた愛で満たさなければならない。それが神我(キリスト)である、世に現れた力、人類全体を支える力である。

4 この力が個人々々に別々に独立してあるのではなく、人類全体の中に全一体として内在していることを認めた時、それはあなたたち一人々々のために個別的な働きをするのである。あなたたちの裡(うち)にあるこの力の全体性かつ完全性に気付くにつれて、あなたたちはそれを実感し、それを直接に知り、遂には愛そのものとなる。

5 胸(ハート)が神の英智への門口である。このことは自分自身の胸の中でのみ理解しうる。

6 心は人を論理的思考に導く、間違っているものを知り、正しいことを知りかつ理解することに導く。しかしその心は胸への道なのである。胸(ハート)が神我(キリスト)の愛で満たされていなければ、神我の力は(もはや)あなたたちの中にはないのである。

7 心は有効な論理的思考をすることができる。しかしわたしの云う悟りは論理的思考に先行する、それは心の背後にそして又心を超えて存在する一切の創造の究極因について直接知ることである。

8 唯一つの真理があるのみである。わたしは自分の知っていることを多くの方法で繰り返す。これがわたしの知っている一番易しく一番良い方法である。わたしはそれ以外の方法を用いない。

9 さまざまな考え方や言葉や語句を拾い上げてはそれを鸚鵡(おうむ)返しに喋(しゃべ)る人が多い。悟りを伴わぬお喋りやくり返しは、愛であり英智である神我力を発達させるのに、極く極く僅少(わずか)な値打ちしかない。

10 わたしの云わんとするところはこうである。あなたたちが自分自身の胸(ハート)の中で悟り始めて、胸が清純となれば、神我がそこに宿るようになる。ただ喋るだけのことや観念〔かんがえ〕(複数)は心の領域にすぎない。さまざまの単なる観念を超えて本当に感ずるのは胸(ハート)である。観念(複数)は真理ではない。お喋りは真理ではない、信仰(複数)は真理ではない。真理はすべてこれらのものの彼方(かなた)にあるのである。

11 論理的な思考以上の直接知、お喋りや観念(かんがえ)以上の直接知がある。観念やお喋りは、悟りを伴わなければ只の言葉の形骸に過ぎない。

12 わたしは実在、生きている実在を啓示している。人は単なる観念で以て実在を創造(つく)り出すことはできない。又、観念や口先だけの言葉で実在を悟ることもできない。自分の心を実在に全開した時、実在でないものをすべて識別した時、始めてそれを悟ることができるのである。

13 それは人に自由、真実なるものを表現する自由を与える。故にその為にこそわたしはやって来たのである。あなたたちを一切の虚妄から解放するためである。

14 それは観念(かんがえ)ではない。それは口先だけの文句ではない、それは信仰ではない、それはあなたたちの想像の産物ではない、それは心の中で造り出せるようなものではない(25)。それは既に完全であり、生きており、今の今、それ自身を表現しつつある。それはおよそ存在する力のすべてである。それは常在の生命であり、その中には過去も未来もなく、ただ久遠の今があるのみである。

15 愛なる父を知るためにはその愛なる父について度々思いを致さなければならない。すると、心臓(ハート)は宝の蔵となる。

16 神について深く考えたり論じたりすることを一種の時間の浪費と想像する人がいる。しかしわたしはあなたたちに、一切の被造物の背後にある強大なる力について考え、それを実感し、それとは相対的な関係にあるものはすべてこれを判別することによって、それを把握するように強く勧める。

17 その愛の温(ぬく)もりとその創造力の英智とを感じ始めるにつれて、あなたたちは自分が実在に属することを実感し始め、やがてその愛と英智とを表現するようになる。

18 であるからには、神について、そして又、神がわたしたちの中においてわたしたちを通して、かつ又、すべての被造物の中において、神御自身を顕現されるあらゆる驚くべき方法について、深く考えかつ論ずるのは価値あることではないか。

19 このことはあなたたちにとって非常に重大である。それは深い瞑想に価する。わたしは道を知っている。故にこそわたしは、わたしの足跡に従え、というのである。

20 聖なる愛の心臓(ハート)はあなたたち自身の心臓と一致して鼓動している。父はそれ程近くにいらっしゃるのである。本当の啓示はこのような聖なる愛の心臓(ハート)より展開するものでなければならない。わたしの中に常に留まり給うのは父であり、父が御自身を啓示し給うのである。

21 あなたたちが自分自身の裡で聖なる神の心臓(ハート)が自分自身の心臓とひとつになって鼓動しているのを感じて始めて、神の心臓(ハート)はあなたたち自身の心臓と一つとなって鼓動する。

22 愛はあらゆる非行の上に覆(ベール)をかける。しかし憎しみは闘いをかきたてる。心の二重性〔善悪、美醜など〕に住むことなく、み霊の一体性〔み霊において万物、万人一体〕を求めよ。

23 あなたたちは非行の上に愛の覆(ベール)をかければならぬ。そうすれば憎しみが心に入ることはない。愛のこの強大なる力はあらゆる物事に打ち克つ。愛は神のもの、善・悪は人の心のものである。

24 たとえどんなことをされても、たとえまたどんなことを云われようとも、仕返しを求めてはならぬ。あなたたちの胸が愛に満たされなければ、愛の現れようがないからである。あなたたちの胸(ハート)を神我(キリスト)に与え切り、かくて神我があなたたちの胸を完全に占領して始めて自由は実現するのである。

25 これが唯ひとつの生きている力、唯ひとつの生きている実在である。ニセモノを一切識別した時、あなたたちはもはやホンモノの表現を妨げることはないであろう。

26 心の清純(きよ)き者の唇には常に品がある。これに反して品なき者の話は愚かである。

27 胸(ハート)の清純き者は真実なるものを現し、品なき者は、真理を知らざるが故に、愚かなる話をする。

28 愚者のお喋りは常に禍(わざわい)をもたらし、沈黙と英智とは荒れ狂う波濤(なみ)の上に油を注ぐ。

29 あなたたちは或る目的、すなわち、あなたたちの又一層の深い理解を得てわたしの弟子となるために、此処にやってくる、〔それなら〕自分自身を知ることが先ず最初に為すべきことである。そうすればあらゆる状況を克服しうる力が現れ出るようになるであろう。自我を知るには自我の行き方(複数)に気づかなければならない(25)。これが無礎自在の自由へ導くのである。自我の中にこそすべての苦悩の原因がある。

30 あなたたちは隣人を自分自身のように愛する、という本当のキリスト原理を世に示す模範とならなければならない。

31 神我(キリスト)の言葉は多くの人を賢明にするが、無智の者の意見には殆ど価値はない。

32 あなたたちへのわたしの言葉は稀有(けう)の白銀(しろがね)のようなものである。そしてまた最も稀なる黄金(こがね)のように純粋である。わたしの言葉によく注意しそれを自分自身に適用するがよい。

33 富と幸(さいわい)とをもたらすのは父の祝福である。それが禍をもたらすことは決してない。

34  あなたたちがわたしの名において父に求めるものは何であれ、父はそれで以てあなたたちを祝福し給う。これは約束である。神我(キリスト)が神の一人子、あなたたちの中にある唯一無二の存在する力、であることを知った上で求めるがよい。それはあなたたちの中で御自身を顕現(あらわ)し給う父御自身である。わたしはあなたたちの中に、あなたたちはわたしの中に、そしてわれわれは父の中に、ありとしあらゆるものが父の中に、而(しか)してまた父がありとしあらゆるものの中にいます。

35 父の祝福はわれわれの理解の及ぶところではない。父の愛は、悉皆(あらゆるもの)の為になるように、常にその強大なる力を発現しておられる。

36 嵐が来ると愚かなる人々は嵐の渦によって吹き飛ばされるが、胸(ハート)の清純(きよ)らかな人々は父の一人子たるキリストの中に深く根を下ろしている〔から安全である〕。

37 わたしはこれらの真理を声に出してあなたたちに話しているが、それは、わたしの話を記録し、それをあなたたちが熟読玩味して更に一層啓蒙されんがためである。

38 〔わたしの〕声を聞けばあなたたちの魂は掻き立てられ、わたしが生きているという真理を認めるようになる。わたしは生命である。あなたたちが今生きているように、わたしもあなたたちと偕に生きていることも、あなたたちは知るであろう。そうしてあなたたちも又わたしのように成るであろう。

39 わたしは、多くの人々があなたたちに信じて貰いたがっているように、あなたたちから離れているのではない。わたしに至る道はあなたたち自身の胸(ハート)を通ずるものである。わたしはあなたたちの中に宿っているからである。

40 世は外界の妄想によって目を眩(くら)まされ、多くの人々が混乱している。彼らは自分の中にある生来の力によって自分自身の混乱を造り出してしまっている。

41 人は五官の妄想に目を眩まされている。しかし内在のみ霊(たま)の内なる働きが内在の神の分霊(キリスト)を展開しつつある。五官の妄想が消え去るのも遠くはないであろう。

42 今日世界で起きている出来事は人類の裡(うち)なるみ霊の湧き上がる動きによるものである(26)。

43 み霊が休息されることはなく、〔不断にそのお働きを〕展開しておられる。しかし多くの人々が折角のみ霊〔の力〕を無智のままに展開して自他共に傷つけているのが見受けられる(27)。もしすべての人々が裡からの〔催しによる〕展開という真理を知るならば平和が来るであろう。しかし断っておくが、平和は〔実は〕すでに此処に実存(あ)るのである。なぜならば、神の愛が世の礎だからである。

44 太初(はじめ)にあったことは今でもある。太初に発出したものは今でも存在している。しかし人類は生命の樹(28)をまだ掴んでいない。人類はまだ善悪の樹の実を喰べている。この善悪の樹の根は実は彼自身の中にあるのである。

45 あなたたちはわたしの中に入ることによってあなたたちの状態から挙げられる。わたしはあなたたちの中で王座に就いているのに、あなたたちはわたしを外にばかり求めて遂に見い出さずにしまった。自分の裡を観よ、そうすればそこに神を見い出す。心の清純(きよ)き者は神を直知する。

46 心が惑乱していると平安はありえない。わたしに惑乱はない。わたしは自分が生命であることを知っている。もしもあなたたちの心が、お互いを分離させ合っているいろいろな観念や信仰のために惑(まど)い乱れているならば、あなたたちは決して「唯一、無二」の久遠の神を知ることはできないのである。

47 心情(ハート)の清純(きよ)き者はあらゆる人々の中に神を見る。さまざまな信仰、観念(かんがえ)、心象など、これらは心の産物に過ぎないのであって、実在そのものは久遠であり、「今」の中において実在自身を絶えず表現しつつある。

48 人類は聖なる悟りと愛〔の実践〕とによって自分自身の聖なる支配力を、深く知るようになり、それによって挙げられる。かくて心情(ハート)の清純(きよ)き者は神を直知する。

49 曽てわたしはこれらのことについて〔当時の〕弟子たちに話したが、全く同じ事をあなたたちにも話しをする次第である。あなたたちも今の世におけるわたしの弟子であり、わたしはあなたたちの中で働いているからである。

50 人間が神の意識に到達するまでは、〔人間の〕智識は、苦悩から生まれる。唯一無二の真実かつ実在する力が自分の中に顕現しているという自覚に達するならば、苦悩はこの自覚が展開するための手段であったことがわかり、そのとき苦悩は止む。

51 次の数年の間に、科学上の大進歩が世界でなされるであろう。その多くは人類を向上させるであろうが、又多くが地上の人間を傷つけるために用いられるであろう(27)。

52 此処に再び又知性がみ霊(たま)――心の清純(きよ)き者――の導きなしに濫用(らんよう)されつつある。

53 世はまだ善悪の智慧の木の実を喰べつつある。人類が生命の樹――裡なる神我(キリスト)――をしっかり掴んで始めて人類の救いは来るのである。

54 わたしはこの問題を前にも扱った〔本章四四〕ので、その事はあなたたちの多くがすでに理解している。善といい悪といい、いずれも実在ではない。実在は善でもなければ悪でもないのである。実在はそれ自身で完全であり、無欠である。或る人にとっての悪の標準は他の人には善であり、他の人の善の標準は別の人には悪である。それは相対的であり、人間の考え出したものである。

55 あなたたちがいろいろな物事についての自分の考えをくわしく調べてみるならば、それらが実は自分にとっては外部の〔影響を受けた〕ものであり、従って自分にとっては相対的であることが解るであろう。あなたたちは、あなたたち自身の中にある或る力、善でも悪でもなく、それ自身で完全である或る力によって統御されていることを知るがよい。その或る力がすなわち神の分霊(キリスト)である。

56 善といい悪といい、いずれもあなたたちの心の産物、いろいろな物事についてあなたたちが考え出したものである。これが善悪の智慧の木の実である。あなたたちは無智のままに死にたくないのであれば、その実を食べてはならない。生命の樹をしっかりと掴んだ時、すなわち、真理を心の底から把握した時、それがあなたたちの救いとなるのである。

57 神我(キリスト)が体得されると、あなたたちの心は善とか悪とかにわずらわされなくなり、あなたたち自身が神の愛と英智と力とを表現する力となる。

58 わたしは世の救いである。わたしを信ずる者は誰でも永久に生きる。

59 わたしは父が世を救うために遣(つか)わし給うた神の生ける分霊(キリスト)である。このキリストは裡に宿る。わたしの中に宿り給うその神のみ霊があなたたちの中に宿ってい給うのである。

60 今わたしの話に聞き入っている人達は、その多くが地上より去ってしまった人々である。彼らは曽てはあなたたちと同じ意識を持って生きていた人々であり、〔現在でも〕一層精妙な性質の体を纏(まと)っている点を除いては、今のあなたたちと同じである。しかし彼らのその〔霊〕体にしても裡なる意識にとっては相対的なものであって、それはあなたたちの〔肉〕体があなたたちにとって相対的なものであり、一旦(いったん)神我(キリスト)の力を知解(ちげ)すれば、あなたたちの指揮通りに動くようなものである。

61 手を伸ばしてこの生命の樹をしっかりと掴むがよい、なぜならばそれは湧き上がっては久遠の生命となる生ける水の泉であるからである。

62 世にある多くの人々は成る程〔色々の面で〕発展はしたものの、元々それは迷妄より発したものであり、偏(かたよ)りのない万遍なき、完全な発展ではない。それが世における多くの病患の原因となっている。

63 しかしまた苦悩を通じ、体験を経て始めて自分の霊的真我を把握するようになる方が、そうでない行き方よりも良いのである、なぜならその方がこの世における親切な「悪」であり、それがあなたたちの悟りを助け、あらゆる虚妄をよく観察することによって神我(キリスト)力を発達させてくれるからである。

64 何があなたたちを苦しめようと、どういう境遇にあろうと、恐れるべきものは何ひとつないのである――神我(キリスト)はすべてに打ち勝つ。これがあなたたちの力、あなたたちの中に在る神の力である。それは太初(はじめ)からあなたたちの中に在り、かつ身体の中にあっても、外にあっても常に変らぬ創造力である。かくて天上天下のあらゆる力が〔すでに〕あなたたちに与えられているのである。

65 あなたたちは身体によって束縛されているのではなく、悪の力を信ずることによって自分の心の中で縛られているのである。生命の樹を杷(つか)め、それがあなたたちを自由にする。

66 生命の樹によって、未発達の人も目覚め、「神我(アイ・アム)」即、神と人とに内在する唯一の創造力について学ぶようになるであろう。「わたしは生命である」。

67 あらゆる者が真理に目覚めるようにはなる。しかし真理は心情(ハート)が清純(きよ)くなるまでは全面的には啓示されない方がよいのである(27)。

68 聖なる愛の心臓(ハート)があなたたち自身のそれと一致して鼓動するようにならなければならない。

69 あなたたちが真理を自覚すれば、格別の努力をしなくても真理が真理自体を啓示するようになる。多くの人々は一応発展はしたものの真理には無智であり、そのために自分自身でさまざまの病や災禍厄難を造り出してしまったのである。

70 真理を知り、これらの疾病(しっぺい)、災禍厄難が相対的なものであることを見究めた時、神我はそれら一切を超克し、あらゆる逆境や逆調の排除者となる。

71 あなたたちには、あなたたちに内在する神我(キリスト)の偉大さを把握しつくすことはできない。神我は人の魂の中に宿り給う神の臨在を絶える間もなく展開しつつあるからである。

72 世に在るすべての魂の中に神の臨在が宿っておられ、神我はこの臨在を不断に展開している。

73 神我は間違っているものと正しいものとを見分け、かつ知り尽くしている。神我はまた誤りを直す。誤りが直されると誤っている状態は消滅する。神我は神と人との間の仲介者である。彼は神をよく理解し人をよく理解している。神我は神御自身のみ霊が個別化して顕現(あらわ)れたものである。

74 あなたたちの中に個別化した父があなたたちの裡なる神我(キリスト)となったのである。従って神我は神をよく知り人間をよく知っている。神我は肉の弱さを理解しており、世の苦悩を理解している。あなたたち一人々々が自分自身に内在する無我の神我状態に到達しない限り、人類全体が等しく神我であることはついに理解しえないままに終わる。

75 このことについてあなたたちはなお多くの学ぶべきことがある。無我なる神我の状態に入って始めて人類の十字架の犠牲の意義全体を理解することができるのである。

76 わたし(神我・アイ・アム)は普遍的人間である。すべての人はわたしの中に〔人間相互の在るべき〕本当の関係を見出すであろう。

77 われわれはすべて一柱(ひとはしら)の父より生まれ出たのである。このことを次第に把握するにつれてあなたたちは自己内在の神我の完全なる状態に到達する。こうしてあなたたちは迷妄の世界から解放されるのである。

78 わたしの話している声、この知識、この真理は、あなたたち丈ではなく、あなたたちには見えないがここに出席している多くの〔霊〕人達も聞いている(9)。それは別離というものが本来無いからである。別離は人間の心の中にある丈である。実在の中には別離はないからである。

79 わたしは葡萄(ぶどう)の木、父は葡萄の木の中の樹液、人類全体はその枝である。

80 一本の木に多くの枝がついてはいるが、その枝すべての中にあるのは唯一つの生命である。あなたたちがいわゆる電気に関して比喩(たとえばなし)をするように、わたしも又このようにして比喩(たとえ)て話しをする。

81 電気は大生命が或る程度まで具体化したものであるが、それは至る処に存在する――その存在しない処といってはない。そのためにあなたたちはそれを抽き出して動力、光、その他多くの用途に供しているのである。

82 われわれは現在世界で為されている多くの発明をよく承知している。人間の科学精神は媒体であって、それを通じて神の智慧が表現されつつあるのである。なぜならば、地上の人類はあらゆることを知らなければならないからである。こうしてあなたたちは事の背後にあるものを見、かつ理解し、かくて、それ自身完全なる自己自身の神性を次第に自覚するようになるであろう。

83 この認識に到達すると、わたし即ち普遍人間(内在の神我)と、この普遍人間を通じてあらゆる人種とがお互いを理解し合うようになる。それは相互間の関係が同胞関係となるからである。

84 わたしは真実神の子である、そして又人の子である。故に神と人との偉大な合一が十字架に啓示されているのである。死は決して神の子には触れなかったのである。彼は神我であり、死に勝利しているからである。

85 神我が肉において死ぬのはただみ霊において生きんがためである。わたしは永遠に父とともに生きる者であり、わたしを信ずる者もまた然りである。

86 父とともに生きるには死ななければならない、などと思ってはならぬ。なぜなら、あなたたちは今の今現に父とともに、そして又父の中において生きているのであり、父はあなたたちの中に生きているからである。

87 父はその御本性において無限であり、無限なるがためにはあらゆるものを包含していなければならない。そうでなければ父は無限ではありえないのである。父はあなたたちの中にも生存し、あなたたちは父の中に生存していなければならない、さもなければあなたたちは生きることはできないのである、それは父の外には何もないからである。父は父御自身だけで完全なのである。

88 あなたたちは父によって父の中でつくられている。そして父の中に生きている。あなたたちの内なる生命は、父の生命なるが故に、久遠である。わたしと父とは一つなのである。

89 あなたたちの意志に反してあなたたちを害し得る力など何ひとつありはしない。

90 多くの魂がおのれ自信の無智の闇の中に生きている。幽界の木立の中にわたしが入って行ったのもこの為だったのである。

91 彼らを解放し、彼らを神から引き離しているものを投げ捨て、みんなが神我という実在の中に住めるようにする為であったのである。

92 今、この時わたしの話を聞いている多くの人々は幽界の木立から天国に入るべく解放されつつある。彼らを闇の中に包み込んだのはもともと彼ら自身の無智だけであり、〔従って〕その闇も彼ら自身が造り出したものだからである。

93 実在は久遠なるものであるが故に、自分達の信仰が実は単なる〔観念的な〕信仰であって、実在の中には何らそのようなものの存在しないことに多くの人々が気付いている。実在は唯一の存在たる生ける創造原理である。この永遠無窮の実在を悟った時、あなたたちは解脱したのである。

94 わたしは幽界の木立の中に入っていった時のことを話したが、そのような木立に入って、闇の中にいる人々を解放するためにわたしが見に引き受けなければならなかった条件は、あなたたちには殆ど理解もできない。わたしが人類全体とともに苦しんでいることをあなたたちが解って始めてそのことも理解できよう。わたしが人類全体とともに苦しんでいるのは、わたしが人類そのものであるからであり、だからこそわたしは人類を解放するために来たのである。

95 現在その木立の中で働き、闇にいる人々を解放している人々(29)が沢山いる。それは、あらゆる者が「一つ」となり、神我の十全さの通りに完全にならなければならないからである。

96 故に今後は、キリストの中に在り乍ら人々を分離させる虚偽(いつわり)の教えに欺(あざむ)かれてはならぬ。キリストを説き乍らしかも同時に分離を説く者は虚偽(いつわり)の教師だからである。

97 身体は〔全部の生理機能〕が「唯一者」によって統制されているように、各関節も夫々離れてはいるが、身体全体を完全に管理している「唯一者」によって統制されている。

98 この故に、すべての人々は天にましますわたしの父の子であるからには、わたしが唯一ヶ所の国民(くにたみ)のため丈ではなく、あらゆる国民のために生きていることを、あなたたちは知らないのか。

99 では、あなたたちの同胞(きょうだい)に対するあらゆる嫌な思いや怒りを捨て去るがよい。

100 復讐しようと思ってはならぬ。自分自身の胸(ハート)の中にあるもの(即ち思い)は自分の上に振りかかってくるからである。

101 人は自分の胸(ハート)の中で考えている通りの存在である。

102 肉体より移り去った人々の多くは、肉体を纏っている他の人々を見守り、助け、導いているのである。あなたたち一人々々に守護霊がついている。あなたたちは一瞬の間も決して孤独ではないのである。

103 あなたたちが一ヶの赤児としてこの世に生まれ出る時、然り、一ヶの嬰児としてこの世に入る前に、すでにあなたたちには守護霊がついており、その者はあなたたちが肉体を去った後でさえ、あなたたちが霊的意味で成熟するまであなたたちにずっとついている。

104 あなたたちも何時の日にかは、自分の愛する誰かの守護霊の一人となる。あなたたちの守護霊になる者は、必ずしも地上で最もあなたたちに近かった者、或いはあなたたちに最も愛しい者とは限らない。その人が現界に生存していた時は全く知りもしなかったのに、み霊においてあなたたちに結ばれている人の場合もよくある(30)。

105 復讐してやろうと思ってはならぬ。あなたたち自身の胸(ハート)の中にあるもの〔思い〕はいずれあなたたちに又振りかかってくるからである。この言葉が理解できれば、双刃(もろば)の剣の意味も分るであろう。他人に対して自分自身の胸の中で思っていることは何にせよその通りのものを自分自身の中に造り出してしまうのである。

106 互いに親切に、情深くあれ、そして互いに赦(ゆる)し合え。神があなたたちを赦し給うが如くに、あなたたちも又わたしに為に互いに赦し合わねばならない。

107 胸(ハート)が清純(きよ)いということは、わたしの父の愛(め)ぐし児として神のようになることである。

108 なぜなら、神は一柱(ひとはしら)、神の中のキリストは一柱、キリストの中の神は一柱しかいらっしゃらないからである。このキリストはあなたたちの中に宿り、あなたたちの唯一の実在――あなたたちの真我――である。では真の自分であれ、天にましますあなたたちの父が完全であり給うようにあなたたちもまた完全であれ。

109 この言葉の本当の意味をあなたたちは理解しうるであろうか。真の自分であれ。天にましますあなたたちの父が完全であり給うようにあなたたちも完全であれ。

110 人間の〔自我の〕内部の貧しさは、この偉大なる真理に対する彼の無智から来ている。それが彼に、自分では大事なものと思っているさまざまなものを、自分自身の外に求めさせている。それにも拘らず彼の貧しさは依然として元のままである。

111 これが、人間が自分自身で造っている地獄なのである。なぜならば、彼は、自分が大事なものとしているもろもろの此の世のものには、〔結局は真の〕慰めはないことにいずれは気づくからである。たとえそれにしがみついたところで、いずれはそれも失われてしまう。〔死後の世界にまで〕それを持っていくことはできないからである。

112 わたしは永久に生きる久遠の幸、富そして力である。わたしが与える飲み水の故にあなたたちはもはや渇(かわ)くことはない、それはわたしを知った上で求める人々にはあらゆるものを与える生命の永遠の泉であるからである。

113 ではいかにしてわたしを知るか。それはあなたたちが自分の存在の本源を悟ることにある。なぜなら創造する力があなたたちの中にあるからである。

114 裡に完全なる平静を保ちつづけ、外部の影響が心の奥に入り込んで自分を掻き乱すことを決して許してはならない。

115 人を援助する場合、彼らの裡に宿る神我(キリスト)の創造力によって自分で自分自身を助ける行き方を示してあげるのが〔他のいかなる方法よりも〕遙かに良いのである。

116 あなたたち自身が直接に相手を助けてやるのは神の経綸ではない。たとえ困っている人々に衣食を与えたところで神我(キリスト)魂という真の賜物(たまもの)、あらゆる境遇の支配者、あらゆる魂の中に宿る勝利者に触れないで放ったのでは、殆ど助けたことにはならないのである。

117 あなたたちがあらゆる魂に手渡してやらなければならない大いなる真理は、彼らに内在する神我(キリスト)の力である。これこそが神の大いなる賜物である。

118 すべての人々が悟りによって内在の神我を把握するようにしてあげるがよい。勝利は元々格人自身の中にあるからである。与えることは尊い。しかし、神我力に対する悟りを与えることはあらゆる真の幸福の背後にある秘訣である。それが神の英智である。

119 あなたたちとわたしとを引き離している扉(ドアー)を開くためにわたしは来たのである。

120 それは外なる感覚という扉である。あなたたちはこの外なるものの中に住んできたために、内なるものが分らなかったのである。

121 しかし外なるものは内なるものの反映(うつし)にすぎない。銘記するがよい。肉の望むものでも裡から供されるのである。しかし肉のもの(複数)にはすべて終わりがあるが、み霊(たま)の物は久遠である。

122 わたしは肉のものを拒否せよと要求するのではない。肉体の中に宿っている間はそれも必要ではある、しかしみ霊のもの(複数)は更に一層重要である。

123 また肉のもの(複数)を軽蔑してもならない、その代わりその値打ちを認め、よく知り、それに応じた用い方をするがよい。

124 それはそれ自身としての実在ではない。それは目的に対する手段であって、目的そのものではない。その故にこそわたしは肉の望むもの(複数)と肉のもの(複数)には終わりが来るが、み霊のもの(複数)は存続すると、いうのである。

125 現象我(パーソナリティー)は感覚の幻影である。しかし真の現象我は聖なるみ霊が日常の行為に現れた相(すがた)である。

126 わたしが弟子たちの間から身を引いて始めて、イエスの現象我という幻影から解放されたわたしは彼らの許へ行くことができたのである。

127 わたしの弟子たちを文字通りに大使徒たらしめたのは、この内部感覚だったのである。なぜならば、この内部感覚があるからこそ、かつ又、この内部感覚によってのみわたしは今啓示している真理がいかに重要であるかをあなたたちにも悟らせることができるからである。

128 あなたたちはイエスという現象我(パーソナリティー)を考えてはならない、またこのような現象我を想像してもならない。そうすることは神我という真理についてあなたたちを盲目にするからである。神我(キリスト)は父の一人子、あらゆる現象の背後にある力である。

129 言葉が太初(はじめ)にあった。その言葉は神とともにあった。その言葉とは即ち神という言葉であり、肉となった言葉であった、あらゆる現象我があなたたちの心から消え始めてあなたたちは神我という実在を見ることができるのである。このことが、わたしの云った「あなたたちがやって来て見たのは何か。ただの人間である!」という言葉の意味なのである。

130 普遍的神我の中に入って始めてあなたたちは、「唯一無二」の神の真理を啓示する神我なるみ霊の真の個別化した存在となることができるのである。

131 わたしはあなたたちの中に、あなたたちはわたしの中に、わたしたちは彼らの中に、そしてすべては父の中に在る。

132 かくてわれわれ一同はわれわれの父たる神の聖霊に満たされて此処に集ったのである。その故にわれわれは神とともにあった言葉、そしてまた神であるかの言葉、すなわち愛、を鳴り響かさなければならないのである。

133 今こそわれわれはありとしあらゆるものに対するわれわれの父の愛を実感しようではないか。

わたしの平安とわたしの愛をあなたたちに残しあなたたちの許にとどめる。

では、神の心臓(ハート)がすべての心臓の中で膊動しているこの愛の真の状態に入って行こう。

目を閉じずにわたしを見るがよい。

           沈    黙 

わたしの平安、わたしの愛をあなたたちの許に残す。

      ――――――――――――

書記のことば
この沈黙の間、大いなる光が同胞(きょうだい)〔原著者〕を包み込み、目の眩(くら)む光の外(ほか)には何も見えなかった。やがて主は去られ、同胞(きょうだい)〔原著者〕は立ったままでいた。まこと、これはみ霊の力の驚くべき実演であった。