第九話
~吾を見し者は父を見たるなり~
わたしの祝福、わたしの平安はあなたたち一同の許に留まる。わたしを信ずる者はわたしではなく、わたしを遺わし給うた方を信じているのである。わたしを観る者はわたしを遺わし給うた方を観ているのである。
1 この言葉は意義深く真実である。しかし分離を超越した者にしか理解はできない。
2 わたしを見た者は父を見たのである。真理のこの驚くべき表現を理解する人のいかに少いことか。この真理の表現が理解されると父なる神が啓示され、理解した魂は、本人を取り巻く外側の闇の〔届かぬ〕彼方に置かれるようになる。
3 あらゆることのうち最も重大なのは、神のみが生きてい給うのであり、その神が今の今御自身を顕現(あらわ)しつつあるのを認めることである。わたしの中に常に留まっておられるのは父であり、父が父御自身の業をしていらっしゃるのである。この事も又あなたたちは悟らなければならない。
4 父により、父を通して、わたしが生きているのは、父を完全に認知し、何ものにもこの悟りの邪魔をさせなかったからである。わたしが父をあなたたちに現わし示している間、父がわたしに代ってい給うのである。
5 これまでこの真理をわたしは幾度となくあなたたちに繰り返してきたので、あなたたちはようやくそれを理解し出してきた。真理はくり返しによってのみ心の中に根づき、成長し、成熟する。
6 目では見ることのできない真理を、わたしはくり返しによってあなたたちに与えることができる、内なる霊覚(ヴィジョン)によってのみ真理は啓示されうるからである。
7 外に隠されているものは肉眼では見えない。内なる霊覚によってのみ理解される。この内なる霊覚が天(インスピレーション)啓によって真理を知るのである。
8 魂が高揚するにつれて真理即ち神の意識が、あなたたちの中に生きているみ霊としての御自身を啓示する。
9 身体を生動させているみ霊のみが唯一の生ける力である。天上天下にそれ以外の力はないのである。天上天下のあらゆる力がわたしには与えられているとわたしが云ったのは、この認識があればこそである。
10 われわれはすべて久遠なる全一体の中に生存している。あなたたちの意識がこの久遠なる全一体を自覚するようになれば、あなたたちはわたしのこの言葉の持つ巨大なる力を把握することができる。即、曰く、「わたしを見た者は父を見たのである」。今ならあなたたちにもそれが理解できるか、今ならその意味を完全に把握することができるか。あなたたちはわたしを見た時父を見たのである。
11 神の他に生存しているものはない。従って神が無限なるためには神は無限の空間に充ち満ちていなければならない。故に神はわたしの中に生き、わたしは神の中に生き、又神はあなたたちの中に生き、あなたたちはわたしの中に生きていなければならない。かくてわたしたちは無限なる神の中において共に一体なのである。
12 これらの条件なくしては神がその本性において無限なることはできないのである。故に何処(どこ)にも分離はないのである。これが今あなたたちにわたしの告げる真理である。わたしを見た者は父なる神を見たのである。
13 あなたたちは今の今父なる神の中に在(あ)り、父は又あなたたちの中にまします。そしてわたしと同じようにこの真理の中に意識的に入ることができるのである。このことを告げるためにこそわたしは再びやってきたのである。まことにあなたたちに告げるが、「わたしと父とは一体(ひとつ)である」。
14 わたしが同胞(きょうだい)〔原著者〕を通してあなたたちに話しているこれらの言葉は、注意深く学習できるように、書き取られつつある。わたしはこれらの言葉をその奥義が啓示(わか)るように語っている。あなたたちに理解させるには多くの繰り返しが必要である。
15 これらの言葉について深く瞑想することによってあなたたちはその奥の意味を悟り、かくして真理、あなたたちの内部の中心の力である真理を外に現すことができ、従って外におけるあなたたちの身体の全細胞が真理を宣言(あかし)するであろう。
16 世界には独力でこの〔真理の〕発見をした男女が居り、それ以来〔彼らにとって〕すべては順調に行っている。彼らは急がなくなった。〔人生の〕旅は終っ〔て、ゴールに達し〕たからである。
17 自分が父の家の中に居り、その家の中にはあらゆる人々のためにすべてのものが豊かに備えられていることを認識した時、あなたたちは父の食卓の前に坐り、その饗宴に与(あずか)るのである。
18 これが真の理解(さとり)の秘訣、即、意識が意識自身に気付く、意識がすべてのものを創造(つく)り、太初(はじめ)にそうであったように今もなお〔万物万象として〕顕現しつつあり、未来永恒に変わらぬ神のみ霊(たま)であったことを自覚するようになること、である。
19 あなたたちも又このことを発見した以上、もう父の家では他所者(よそもの)ではないのである、父の家においてわたしがあなたたちと〔一体(ひとつ)〕であり、あなたたちの為に証(あかし)をするからである。
20 わたしはあなたたちと〔一体〕である。神の分霊(キリスト)は父の一人子、天上ならびに地上における唯一無二の生ける神の意識、智慧、英智そして愛なるみ霊であることを、あなたたちは知らないのか。父のあらゆる特質が子を通して現れる。父が御自身の中に生命を持ち給うように、子にも子自身の中に同じ生命を持つことを許し給うたのである。
21 わたし(神我〔アイ・アム〕)はあなたたちの魂の中に宿るみ霊である。わたしがあなたたちと偕(とも)にあることをあなたたちは知らないのか。この事を認めればあなたたちはすぐにわたしの許(もと)に来ることができるのである。遙か離れた処にいる誰かに祈ることをやめよ、わたしが手や足よりも近くにいるからである。
22 わたしは又、あなたたちがわたしの名で求めるものは何であろうと父はそれをあなたたちに与え給うと、云ったことがある。わたしはあなたたちより離れているのではなく、あなたたちと偕にあることを知るがよい。祈る時、わたしの云ったことを信ぜよ、そうすればあなたたちは見い出すであろう、得たりと信ずれば求めるものを得るであろう。
23 あなたたちは、もはや、見よ、それは此処にある、見よそれは其処にある、と云う〔て右往左往する〕ことはないであろう、天国が自分の中にあることを知っているからである。
24 あなたたちは久遠の家(ホーム)の中にいる、それはまさしくあなたたちがこれまでもずっと常にいた処なのである。ただそれを意識しなかった大である。あなたたちの愛する人々との別離というものはないのである。
25 霊的なるもの、真実なるものの中には分離はない、あなたたちが肉体の状態で感ずるような別離はないのである。霊的なものの中には、より大いなる一体があり、それが実在を更に一層多く啓示する。
26 肉体の状態の中に無智は住みついているのであって、その無智のために魂が恐怖にとり憑(つ)かれている。世を照らす光りが肉体意識の中で輝かなければならない。その光りは自己が実在になることを知っている意識の中に永住する。
27 父は子の中にまします、父と子の裡(うち)なる生命は同一の生命だからである。
28 わたしがあなたたちのところにやってくると、あなたたちの抱(だ)いている分離感が感じられる、しかしそのような分離のないこと、空間と時間の観念には何らの真実性のないこと、をあなたたちに告げるためにわたしはやって来たのである。
29 これを把握することが、各人に顕現(あらわ)れているみ霊に与えられたあらゆる力の秘訣である。
書記の註 目には見えない〔霊〕人達に向かって―
30 キリストの話しを聴くために此処に集ってきているあなたたちの多くが、此処地上でわたしの廻りに集ってきているこれらのわたしの弟子達の知人なのであるが、この弟子達も又あなたたちが嘗(かつて)は地上に住んでいたことを知っている。〔霊界たると現界たるとを問わず〕生命は〔一貫して〕同じであることを今ではあなたたちも知っている。あなたたちは多くの人々が信じ込んでいるように死んだのではない。
31 嘗(かつ)てあなたたちは死への肉体的恐怖の中に住(じゅう)していたが〔実際には〕死ななかった、反ってこれまで以上に遙かに元気であり、且又、あなたたち一人々々の中に宿る神我(キリスト)の生命力に意識的に目覚めるにつれて今後も更に一層元気であり続けるであろう。
32 前にも話したように、わたしの話はこの界層〔地上〕で聞かれているだけではなく、意識のあらゆる界層でも聞かれている。しかし〔意識の各界層といっても実は〕それは一つの意識〔神の意識〕であり、一つの意識がすべての中に顕現(あらわ)れているのである。悉皆(すべて)がつながり合って一体となっているのである。なぜなら、み霊、即、父はあらゆる界層に顕現してい給うからである。
33 今わたしの廻りにいる人々は死という経過を体験してはいないがあなたたちと同様にやはり重要な人物であることがあなたたちにも解るであろう。わたしとわたしを遣わし給うた方を信ずることによって彼らは既に死より久遠の生命に移ったのである。
34 このことを明確に把握すれば、あなたたちはもはや制約という誤った考え方にしがみつくことはない。観よわたしは生きている者、死を通過した者である、観よ、わたしは更に永遠に生きている者である。
35 肉を信ずる者はすでに死んでいるのである。しかし神のみ霊が自分の中に宿っていることを真に信ずる者は久遠の生命と平安との中にある。これが神我であり、その神我が、わたしを見た時は父を見たのである、と語るのである。
36 再び云う、わたしを死者より挙げ給うた父はあなたたちの裡にも宿り給い、わたしを挙げ給うたようにあなたたちを挙げ給うであろう。
37 あなたたちは肉に負うのではなく、神のみ霊によって生きているのである。故にあなたたちは神の息子であり、娘なのである。
38 今や人類の意識が掻き立てられつつある。至る所で真理が、あらゆる幹や枝に生命を送る樹液のように、湧き上りつつある。
39 全人類に浸透しつつあるこの真理という樹液は、すべての生ける魂の中に生存する神我なる生命という真理であり、それは分離のないことを啓示している。
40 宇宙における生きとし生けるものはすべて愛(ラブ)と生命(ライフ)という唯一無二の源泉より発し、ありとしあらゆるものすべてがその存在をこの本源に負う。
41 古き絆(きずな)は破れ、古き死せる教条は崩れ行く。樹の枝にも似て、それは樹液すなわち生命なくしては生きていることはできない。
42 全人類がより高き思想の界層に挙げられつつある。わたしはあなたたちの中に在って、これまでもろもろの無益な言葉や独断の造り成せる虚空を満たす。故にあなたたちはもはや虚妄にしがみつくことはない。
43 もはや遙かなる神なるものを説く者達に聴くことをやめよ、吾が裡(うち)なるみ霊に耳を傾けよ、そこにこそ真理は宿る。
44 もしあなたたちが他人の信じていることによって縛られているならば、すでにその繋縛(けばく)は否定のしようもない。わたしはその繋縛を解くため、あなたたちを自由にするために来たのである。わたしは唯一無二の生ける神という真理、あなたたちの中にいます生ける神という真理、を与えることによってあなたたちを自由にする。神生き給うが故にわたしは生きている。神はおんみずからの中に生命を宿し給うが故に子の中にも生命を宿すことを許し給う。
45 自分が神と一体であるとの知識、それを意識し自覚することが、あなたたちの全面的救いである。これが自由への開かれた扉(ドアー)である。
46 これまでのあなたたちの心は外からの誤った考えを詰め込まれ、かくて聖なる内奥、即、唯一の実在を閉ざしていたのである。
47 あなたたちが他人の云うことを闇雲(やみくも)に信じたり、他人の信じていることを丸呑みすれば、模倣者にはなっても考える人にはなれない、従ってあなたたちは束縛されているのである。
48 像を拝めばもはや自主的に考える力を失っており、自分の拝んでいるものが自分の思考を破壊する。なぜならば、その人は無智の中に迷い、自己の裡に宿る唯一無二の生ける神という真理を見ることができないからである。
49 あなたたちは気づいていないが、わたしからの、そしてお互い同志の、更にまた神からの分離感がこれまでのあなたたちの大きな敵なのである。
50 これまで多くの人達が――人間は神の家の外にいるのであって、その中に入るには何か或る〔特別の〕ことをしなければならない、とあなたたちを信じ込ませてきた。しかし、わたしはあなたたちに告げるが、あなたたちは既に神の家の中に居るのである。あなたたちはこの真理に目覚めなければならないのである。
51 悟りによって、扉(ドアー)を開きうる者が唯一人いる。それがあなたたち一人々々なのである。神我(キリスト)があなたたちの中で〔その神性を〕展開するにつれて、あなたたちは自分が既に父の家の中に在り、あらゆる善き物事の満裁されているその豊かな食卓(テーブル)より満喫することができるのである。
52 これが、その中に於いてわれわれが生き、動き、かつわれわれの存在を保っている唯一無二の久遠の全能者という真理の栄光である。この真理があなたたちを自由にする。
53 わたしは神の愛と英智である、故にあなたたちの胸(ハート)の中にいるわたしの云うことに耳を傾けるがよい、そこにわたしは住まいしているからである。
54 わたしの心臓(ハート)とあなたたちの心臓を一つのもののように鼓動せしめよ。そうすれば肉体を始め外なるもの全体が生命の光りによって点火されるであろう。なぜなら、主にして王なる方が語り給うからである。かくてあなたたちの肉体の全細胞が、あなたたちの裡なる生ける臨在という真理に目覚め、あなたたちのすることなすことすべて成功するであろう。
55 わたしの心臓(ハート)とあなたたちの心臓とは一つになって鼓動しなければならない。このことを軽く聞き流してはならない。その意味を胸(ハート)内深く感じなければならない。
56 銘記するがよい、神我があなたたちの生命である、死を始めすべての敵が屈服する。キリストの中に生きることが永遠に生きることである。
57 あなたたちは肉体の感官の中にいるが、もし目を挙げて自分の周りにあるものを見ることができさえすれば、わたしがこれまで話してきたことをもはや信じないわけには行かないであろう。あなたたち自身の愛する故人が今、此処にあなたたちと共にいるのである。
58 彼らの大多数は、自分たちが地上にいる間受けることができなかった真理をあなたたちが受けつつあることを知って喜びにみたされている。彼らは〔その生存中〕この真理を受けなかったために久遠の生命に対して無智のままで内なる世界に入ったのである。
59 あなたたちが死のないこと、死がやってきても個生命は何ら中断しないことを明確に悟って内なる世界に入るならば、〔外界(地上界)より内界(霊界)に移ることに対して〕あなたたちの受ける代償は実に驚嘆すべきものである。死とは、地上の体の中に蒔かれていたみ霊が霊の体に入って行く時に起きる一変化に過ぎない。あなたたちの地上状態の中で今生きているのは神我(キリスト)である、そして又未来永恒(えいごう)に生きるのも神我である。
60 その故に堅信、剛毅(ごうき)、不動であれ、そうすればあなたたちは日毎に生長するであろう。その結果がすぐには見えなくても、闇の中にあってさえ生長は着実にしているのである。
61 あなたたちの中には、「自分は少しも生長していない、少しでも進歩した様子がない」とボヤいている人も多いが、自分の成長ぶりについて自分自身を判定することはできないものである――花は自分の生長していることを知らないが、実際には間違いなく生長している。
62 中には、「しめたッ、自分は他の連中よりもずっと大きく生長しているぞ」と云う人もいるであろう。しかしこれ丈は断っておく――自己誇脹には何の価値もない、幼児(おさなご)が天国を造るからである。
63 花が咲き、その香りが空中を満たす――人はその美しさを賞(め)でるが、花自体はそれを自覚しない。これが、あなたたちの涵養(かんよう)しなければならない在り方である。
64 あなたたちが天に植える種子は速かに伸びる、あなたたちの父が世話し給うからである。
65 裡なる天国は、あらゆる種子のうちでも最少でありながら、いったん肥えた土に蒔(ま)かれると、野の鳥たちがやってきてはその枝々に巣を造るほどの大木になる芥子種子のようなものである。休息を必要とする人々はわたしの許に来るがよい。あなたたちはわたしについての真理を知っているが故にわたしの中で休らぐことができるであろう。
66 一旦(いったん)この真理という種子が植えられれば、その生長は速い。しかしそれは神性のみを意識する人の中で知らず々々のうちに生長して行くのである。この神性の中では最(い)と大いなるものと最と小さきものとは一体(ひとつ)である。
67 最(い)と高きものも最と賤(いや)しきものも共に唯ひとつの聖霊の表現(あらわ)れであることを知るがよい。そうすれば最と賤しき者も最と大いなる者となり、最と大いなる者も謙遜(へりくだ)るようになるであろう。
68 これ〔この心境〕がわたしの平安である。これがわたしの愛である。これがあらゆる魂の中に宿る神我(キリスト)の力である。あなたたちも又その通りに成るがよい。
69 一粒の種子(たね)が暗い土の中に蒔かれると、その裡なる力の故に生長し、自らに似せて再生し、かくて百倍にも増殖する。
70 あなたたち一同も又その通りである。神我という種子が世の闇の中に蒔かれる。この種子は世の光りである。闇は光りに勝てなかった。
71 土の闇はその胸の中に植えられた種子には勝てなかった。世の闇もまたあなたたちの中に植えられる神我(キリスト)という種子には勝てないのである。
72 自分自身が神我、父の一人子と一体なることをあなたたちが自覚するようになるならば、まこと、それが生長する種子であり、何時の間にか気付かぬうちにすべての人々にその聖なる神性を啓示する。
73 心臓(ハート)の中に平安と愛とがある。あなたたちみんながそうなのである。神我なる種子が世の闇の中に蒔かれており、この種子が世の光りである。
74 世の闇は〔実は〕土の中の闇のように、良い方に役立つ悪なのである。それは解脱(げだつ)への途上にあるすべての人の道を照らす世の光りの成長を速めてくれる。
75 いわゆる悪は〔実は〕種子を刺戟し、神我の力と栄光とを出させるものである。それは、わたしが世に克ったからである。
76 悪を何かしら圧倒するもの、否定できない存在と見なすならば、あなたたちは自分自身のその意識によって、本来無い力を悪なるものに与えてしまうのである。この〔悪という〕闇が実は役に立っているのであって、〔それは〕神我の種子が勝利から勝利へと生長していくことを可能ならしめるものであることを把握するがよい。
77 このことは保証済みである。それはすでに偉大なる全能者によってそのように定められているからである。それは時間が始まる前より存在していた真理であり、この真理は今もこれから後も永久に不変である。
78 あなたたちが世に生れ出たのもこの為であって、裡なる神の分霊(キリスト)が勝利することによって世に打ち克たんがためである。しかもこの勝利は保証されている。なぜならば万軍の主がそう定め給うからである。
79 あなたたちの裡なる神我(キリスト)が生長することは保証ずみである。神我はそれ自身完全であり、これまで常に完全であったし、今後も常に完全である。それは太初(はじめ)から世の光りであったからである。しかし次第に生長していって遂に自己の不滅の真我を完全に把握することが個人としてのあなたたちにとっては、必要であるために、あなたたちはこの地上界に生まれてきたのである。
80 あなたたち〔の真我〕が無限なる空間の中に拡大して行くにつれて、もろもろの体験を経て次第々々に偉大なる存在者となっていく。「無限なる空間」と云うこの真理をあなたたちは〔今のところ〕まだ掴(つか)んではいないであろうが、もしもあなたたちが心の中で、〔実は〕空間なるものが何処にもなく、すべては神の心で満たされていることを観取するならば、神の心以外には何にもなく、神の心が無限の空間を満たしていることを悟るであろう。
81 現象化した宇宙は不断に拡大しており、無限なる宇宙の中で永遠に止むことなく拡大しつづけるであろう。あなたたちはこの行為の世界において自分の体験を通じてこの拡大を助けることができるのである。
82 今は地球上に生きているあなたたちも、いずれはわたしの居る内界に来るようになる。あなたたちはこの惑星〔地球〕上で為されつつある業(わざ)を見るだけでなく、他の惑星でも作用しているもろもろの力、即ち霊的力にも接するようになるであろう。そしてわれわれは内界において互いに面と向かって会い、かつ語り合うようになるであろう。
83 これらはすべて全能者の表現(あらわれ)であって、しかもそれは全能者御自身とは別の存在ではなく、全能者御自身の中にあり、全能者を通じて拡大し、全能者を通して次々と世界を、宇宙を絶えず創造して行く。これがあなたたちの無限を志向する永遠の進化である。
84 ここであなたたちの肉体の感覚について考えてみるがよい、何とその倭小(わいしょう)なることか。〔これまで〕吾と吾が心身をいかに制約し、肉体の感覚状態に局限されるがままにしてきたことか。
85 肉体の感覚にまどわされ、いかに自分の意識が制限されるままにしてきたことか。あなたたちが内界に来れば、自分がこれまで真理について如何に無智であったかが解るであろう。しかし、あなたたちに告げるが、今あなたたちの中で働きつつあるのは父なのである。
86 この故にわたしの兄弟姉妹よ、信念を堅持せよ、世に打ち克つ仕事に没頭せよ。あなたたちの労苦が無駄になることはない。わたしが常にあなたたちと偕(とも)にいるからである。
87 目に見える外界のものはすべてが自然自身の中に存在する。創造の過程は実に内界にあるのである。目に見える外界のもので内界の表現(あらわれ)でないものはひとつもない。内なるものが原因であって、外なるものは結果なのである。
88 在(あ)るべきでないと思っている様相(すがた)を自然が呈しているからといって暗い気持ちになってはいけない、なぜならすべては一切皆善(いっさいかいぜい)の方向に働きつつあるからである。
89 且(かつ)また存在するもの〔で完全なるもの〕はすべて先ず実在の世界に存在し、あなたたちの世界は影にすぎないからである。
90 わたしの使命が成就すれば、地球はもはや外の世界ではなく、羊とライオンとが共に臥(ふ)す神我(キリスト)の王国となっているであろう。
91 ライオンとは肉体の象徴、小羊とは神の小羊、即ち神我(キリスト)の象徴である。かくて外なるものは内となり、内なるものは外となる。ライオンが小羊に勝つのではなく、小羊がライオンに勝つのである。
92 〔かくて〕肉体というライオンは消え去り、神の愛のみが生き、無礙(むげ)自在となる。わたしが地上に生きていた間中わたしの意識に極めて強烈に響いたのが此のことであった。その時、力ずくで生じさせたものは、力に頼ってのみ存続しうるが故に、力は決して平安と幸福とを世にもたらすものではないことを悟ったのである。
93 ひとたび愛が世に出れば、愛はもはや確固不動のものとなる。愛はその支配力を維持するのに何の努力も要らぬ。神我のこの愛、神の愛についてあなたたちに語るためにわたしは再びやってきたのである。あなたたちに内在しているこの愛を自覚することによって、あなたたちはこの愛を世に出すことを手伝うようになる。
94 その時、新しき天と新しき地〔イザヤ書六五章十七節ペテロ後書三章十三節黙示録二十一章一節〕とはあたかも一体のものの如くとなり、至高者(いとたかきもの)の住み所(どころ)となるであろう。
95 更にその時、すべての旧(ふる)きものは過ぎ逝(ゆ)き、神と人とは意識的に結ばれて「一体」となるであろう。かくてわたしを見た時あなたたちは父を見たのである。
96 わたしは人々に唯一共通の心臓(ハート)を与える。そして唯一共通のみ霊が人々の中に宿るであろう。わたしは彼らのかたくなな性質を除き、情に感ずる性質を与える。それは彼らがわたしの律法(おきて)〔複数〕によって生きるためである。こうして彼らはわたしの民(たみ)となり、わたしは彼らの神と成る。
97 そのことは約束であり、それが現に成就されつつあり、又今後も成就されていくであろう、万軍の主によって定められたことは必ずその通りになるのである。
98 内在の神我(キリスト)という種子は神性を充分かつ完全に含有している。
99 わたしはあなたたちと偕にいる。わたしの仕事はあなたたちの中に神の分霊(キリスト)の〔本来の〕完全さを余すところなく完全にすることである。故に、あなたたちは自分では気付いていなくても常に生長しているのである。
100 銘記するがよい、常に生長していなければならないのである。しかしそれを〔意識的に〕求めてはならない、ただ真理の中で自然に生長するようにするがよい。すべてのものに平安をもたらすのは愛の美しき調和である。この平安を通じて生長はなされる。
101 わたしがあなたたちの間を廻っていると、あなたたちがわたしの愛の霊気に感応するのが手にとるようによく解る。わたしは又あなたたちがあなたたち自身の魂の裡なる神我の霊気にも感応するようになることを望む。そうすればあなたたちもわたしに備わっているこの平安、この愛、この力を自分のものとするようになるであろう。
102 霊的なものは常に完全である。肉的なものは屡々調和を失い、迷妄より生ずる多くの不完全なものを持ち、しかも世代から世代へと何時までたっても迷妄〔を本物と誤信してそれ〕に反応していく。
103 それにも拘わらず、世の光りの種子が闇を貫いて多くの〔人々の〕心臓(ハート)と心の中に進入しつつある。その為に父はわたしを世に遣し給うたのである。
104 およそ二千年このかた起ってきたこと――当時の人々の間に存在していた粗雑な精神状態――考えてみるがよい。真理を知っているのは極めてわずかな人々だけであった。それは真理を理解しうるのが極めて僅かしかいなかったからである。
105 わたし自身の弟子達でさえ、〔始めのうちは〕彼らに〔真理を〕教えるのは困難であった。しかし、内在の神我を通して彼らに与えられた力によって偉大なる真理の意味を把握した時始めて彼らは丁度今のあなたたちのように、わたしの弟子になったのである。
106 み霊の火が彼らの上に留まり〔マタイ三章十一節、ルカ三章一六節、使徒行伝二章三節〕神の分霊(キリスト)の力に火を点じた――これと同じことがあなたたちの上にも起こるであろう。
107 種子が自分に似たものを引きつけて速かに生長していくように、神我という種子があなたたちの中で生長し、似たものを引きつけてあなたたちの魂の中で生長し、かつ又自分自身を表現して行く。これがおよそあなたたちの活用しうる唯一の力である。
108 自分がみ霊によって生まれ、み霊の肖像(にすがた)として生まれたことを知っている人々にわたしは真理を啓示し、彼らを、今は知られる者にすぎないがやがては知る者とする。
109 あなたたちの多くが外からの助けを求めてきた、中には或いはこの教師、或いはあの教師という風に追随してきた人もいる。そのためにあなたたちは心惑乱し、〔自分自身の〕内からのみ為されうる本当の業〔の発揮〕が妨げられてきたのである。
110 次から次と本を読み漁(あさ)ってはこの考え方あの考え方に合わそうとするのがどんなに難しいことか。この独断(ドグマ)的考え方、あの信条、この宗派、あの教派と渡り歩いてはそれらの相異る宗旨に合はそうとやってみる。しかしそれは魂にとって何と迷惑なことであるか。
111 しかしわたしはあなたたちに告げるが、あなたたちの中にこそ神我は宿り、その神我のみが生きており、その神我が父の一人子なのである。あなたたちがこの真理を把握し、自分自身をみ霊より生まれた神の息子、娘として自覚し始めたならば(なぜならすでに話したように天に在(ま)しますあなたたちの父のみがあなたたちの唯一人の父だからである。)地上の何人をも父と呼んではならぬ、天に在します方のみがあなたたちの父だからである。
112 これまで〔他人の〕援助を求めてきた多くのあなたたちは、今や自分自身の裡なる神我に耳を傾けなければならない。
113 あなたたちの裡なるキリストのみ霊こそがあなたたちの生命(ラ)、生活(イ)、生涯(フ)における正当な統治者であることを学び取らねばならない。盲者(めくら)を導く盲者(めくら)に心を留めてはならぬ。今やあなたたちは唯「一」の生ける神という真理を会得し始めたからである。
114 神我(キリスト)は生(なま)パンの中の発酵素である。生パンは人類であり、みんなが、みんなの中で繋(つな)がっている神我によって発酵するためには、この発酵素を必要とする。
115 あなたたちがわたしを念じながら求めるならば、空がたとえ晴れ渡っていようと、わたしの父は野のすべての草のために雨を滝のように降らすであろう。
116 あなたたちがわたしの言葉を心に留めることのできるように、わたしはそのつもりで話しをすすめてきた。草のひとつひとつの葉身(ようしん)も又ひとつひとつの魂にたとえることができる。ひとつひとつの魂が神の夕立(シャワー)、愛と英智と真理というみ霊の夕立(シャワー)に潤(うるお)される。こうして草々のあらゆる葉身が天から降ってくる雨によって洗われるであろう。
117 これらのことを為し給うのは父のみであることをあなたたちは知らないのか、神の中に於てのみすべての物事は具象化する。神なくして、そして又、神の外部で、具象化しうるものはひとつもないのである。
118 あなたたちは空を眺(なが)めて雲の集まるのを見ると今に雨が降るという。特に云うておくが、たとえ晴天であっても、わたしを念じつつ父に雨乞いをするならば、父はわたしを信じ給うて雨を降らし給うであろう。
119 わたしが水の上を歩くため、又、僅かばかりの手許のパン屑と魚とで数千人の人々を給食するために、わたしが用いたのもこの力である。
120 こういう事は奇蹟ではなく、わたし自身は父がその羊の群を養う媒体である――との悟りだったのである。「わたしの民を養え」〔と聖書にあるが〕、わたしもまた彼らを生命というみ霊で養ったのである。
121 わたしは彼らを生かし得る真理の言葉を与えたのであるが、彼らは食べ物、物質的食べ物の方を望んだ。そうして物質的な食べ物で満ち足りると奇蹟がおこったという。彼らはこの力が彼ら自身の中にもあるという真理を理解しなかったのである。
122 一般大衆に霊的食べ物を与えることの何と難しいことか。多くの人々が霊的食糧を捨てて省りみない。彼らは霊的なものよりも物質的なものを求める。しかし、もしあなたたちが霊的食糧の方を求めるならば、わたしはあなたたちに告げるが、今後はあらゆるものがあなたたちに与えられるであろう。先ず天国を求め、それを正しく用いよ、そうすればすべてのものがあなたたちに加えられるであろう。
123 あなたたちの胸(ハート)は万軍の主の体の中で合一して一つの胸(ハート)にならなければならない。
124 あなたたちのかくも多数の苦悩は、〔実は〕外部から惹き寄せたものでありながらそれを取り除こうと藻掻(もが)くために生じたものであって、〔そのような苦悩など〕元来は必要(いら)ないのである。
125 いかなるものでも神の御意志に背き得るものではないことを銘記するがよい。案じて身を横え、主の中に休らぐがよい。そうすれば神我(キリスト)があなたたちの軍人(いくさびと)となるであろう。神我のみがあなたたちを解放する。
126 あらゆる体験があなたたちに更に多くの力を与えるであろう。朝日の美しさは夜の闇の後に来ることを学び知るがよい。
127 光を見てそれを悟った者は闇の中にあってさえ信念を堅持する。なぜなら彼らは悟ったからである。これは真(まこと)に驚くべきことである。
128 夜の闇の後に朝日の美しさは輝く。わたしはわたしの平安をあなたたちと偕ならしめる。神我のこの力があなたたちの中で働かんことを。
129 悲みはあなたたちをわたしに一層近づかしめ、わたしについて学ばしめる。かくしてあなたたちの悲みは歓びに変るのである。
130 今日の此の日より後、あなたたちはわたしの父の子である。夜になると父はあなたたちを横にして寝かしつけ、朝になるとあなたたちを目覚めさす。母がその嬰児(みどりご)を愛するように父はあなたたちを愛し給うからである。
131 嬰児の胸(ハート)はその母のこと以外には何も無い空(くう)である。そのようにあなたたちの心も天にましますあなたたちの父の外には何も無い空にすることである。そうすれば父はあなたたちの心を全面的に占領し給うからである。
132 この栄光輝く真理があなたたちを神の愛に、そして又強大なる臨在の平安と調和と剛毅と力とに開く。この平安の中に力と自由とはある。
133 あなたたちは波浪(なみ)に対して「静まれ」と云うこともできる。すると波浪は静まるであろう。しかし先ず父を認めることによってあなたたちの胸(ハート)の中に静謐(しずけさ)がなければならないのである。なぜならば、あなたたちの胸(ハート)と心とが父のみ霊によって満たされなければならないからである。
134 四六時中自分の胸(ハート)を父に開け放して始めて、あなたたちは父の歓び給うことをすることができるのである。
135 あなたたちを愛し給うあなたたちの父と絶えず語り合うことほど甘美な、愉悦(たのし)いものはない。このことがよく理解(わか)る人々だけがそれを実行し、それを体験することができる。
136 それをただの慰みや練習のためではなく、愛に満ちた胸の底より行うことである。真理をただ練習や、体験や、それより生ずる慰みや、それからものにしうる利得のために行っている人々が、あなたたちの中になんと多いことか。
137 わたしの云うことを銘記するがよい、あなたたちの胸(ハート)を万軍の主の胸(ハート)の中で合一させよ。この意味をよくよく考えるがよい。じっくりと考えるがよい。それについて深く思いを致すにつれてそれは次第々々に〔魂深く〕沈潜し、遂にあなたたちは万軍の主に肖せて造られたわたしのようになる時が来る。わたしは万軍の主の子であり、その御命令を行い、父の御意志がわたしにおいて為されるからである。わたしは神の愛、愛なる父の一人子である。
では至高者の聖所に入ろう。
沈 黙
わたしの平安とわたしの愛とをあなたたちの許にとどめる。
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書記のことば
この御教訓(みおしえ)の間中天楽の音(ね)が微(かす)かに聞え、それが主のみ言葉に巨大(おおい)なる力を加えるのであった。