第四話 

~吾は真実の葡萄(ぶどう)の樹にして、汝等はその枝なり~ 

わたしはわたしの平安をあなたたちにもたらす。    わたしの平安はあなたたちの許にとどまる。 

1 わたしは真の葡萄(ぶどう)の樹、わたしの父なる神は働き手である。常にわたしの中に留(とど)まり、わたしを通して働き給うのは父なる神である。なぜなら父なる神とわたしとは一体であり、決して離れてはいないからである。われわれは絶えず偕(とも)に働き、父なる神の為し給うことはわたしも又等しくこれを為すのである。

2 実をもっと成らせるために父神は実の成る枝を刈り込み給う。

3 実の成る枝を刈り込めば更に多くの実を結ぶことは周知の通りである。

4 枝はあなたたちである。わたしがあなたたちに与えた言葉の故にあなた達は刈り込まれる。その言葉とは太初(はじめ)にあった言葉であり、実にその言葉は神であった〔ヨハネ伝一章一節〕。

5 今こそあなた達は、父なる神、すべてのものの父なる神の他に生きている実存はないこと、父なる神のみ霊(たま)がすべての生ける魂の中に宿ってい給うこと、を悟るであろう。私はそのみ霊なのである。

6 神はみ霊である。一箇半箇の霊ではなく、普遍、絶対のみ霊である。み霊はそれ自身完全無欠であり、現象化する力、自己表現のための形態を創造する力を有(も)ち給う。実在を意識するにつれて、あなた達は実在と一体(ひとつ)となり、実在を表現するようになる。

7 認識や悟りは忽然(こつねん)としてやってくるものではない。それは次第に自分の中で成長していく〔ものであり、その成長の〕様子にあなた達は気付く筈である。認識に努め、不断に理解に努めることによって魂の中にある目覚めが起こり、吾が裡に宿り給うのが神のみ霊であり、それのみが天上天下における唯ひとつの創造力であることを、魂は認識し始める。

8 あなたたちは、私の与えた言葉の故にすでに刈り込まれたのである。故にあなた達は私の名においてこれまでより多くの実を結ぶであろう。

9 わたしはあなたたちに留(と)どまり、あなたたちはわたしに留どまる。葡萄(ぶどう)の木の幹に留どまらない限りその枝は自らの力では実を結べないように、あなたたちもわたしに留どまらぬ限り実を結ぶことは出来ない。

10 神我(キリスト)のみが実在において語ることが出来る。ではキリストの名において語るがよい。そうすればあなたたちの言葉は空(むな)しく還ることはないであろう。

11 神我(キリスト)は人間的感覚や外部のものに反応して語ることは決してなく、常に神より語る。外なるものを静めるには、このことを学び取らなければならない。

12 葡萄の木の枝に良き実をみのらすために父なる神は葡萄園で働き給う。わたしにとどまり、わたしも又当人達に留まる人々は豊かな実を結ぶであろう。

13 この故に、あなたたちがわたしに留まり、わたしの言葉があなたたちに留まるならば、あなたたちの求めるものは何でも叶えられるであろう。

14 わたしが話してきてきたことの重大な意味をあなたたちはまだ把握してはいない。神我(キリスト)は決して哀願はしないし、要求もせず、命令もしない。神我はただ顕現するだけである、なぜならみ業を為し給うのは神であることを知っているからである。

15 父なる神が御自身の中に生命を有(も)ち給うが故にその子も又自分自身の中に生命を有つ。父なる神は今や御自身の中に久遠に在る生命を等しく子にも又久遠に与え給う。父なる神の中のそのままの生命が子の中のそのままの生命である。

16 かくてあなたたちは豊かなる実を結び、わたしの弟子となり、父なる神を賛美するようになる。

17 父なる神がわたしを愛し続け給うように、わたしもあなたたちを愛し続けている、それはあなたたちがこの愛の中に留まるようにするためである。

18 わたしの愛に留まることが全ての幸福の秘訣である。それなくしてあなたたちの人生は不毛である。

19 神我(キリスト)が胸(ハート)の中に宿ると神の愛と智慧と力とが生まれ、あなたたちを悩ますものは消え滅びる。なぜならば神我は全てに打ち克つからである。

20 この故にあなたたちの悦びは一杯になる。あなたたちがわたしを撰んだのではなく、わたしがあなたたちを撰んだからである。

21 あなたたちの中に生き、あなたたちを導き、あなたたちの道撰びを援助しているのはわたしである。わたしがあなたたちを促して唯一無二の生ける神の真理を認めるようにさせているのである。

22 故にわたしがあなたたちを愛しているように、あなたたちも互いに愛し合うがよい。

23 この世にはわたしを知らないために、あなたたちを嫌い、あなたたちの悪口を云う人々がいる。わたしも又嫌われ、あなたたちの前で軽蔑されたことをよく知って欲しい。俗世の無知は今尚俗世の中に存続している。この無知を愛によって超克するのがキリストである。そのキリストはあなたたちの中に生きてい給う。キリスト吾が内に生く、とあなたたちが云えば、云うたが故に世の無知はあなたたちを嫌い、あなたたちを軽蔑するであろう。しかし誠にあなたたちに告げるが、恐れてはならない。なぜならば無知には何らの力もなく、魂とみ霊とを破壊することは出来ないからである。

24 無知は無知自身の見ることもできず知りもしないものを破壊することはできない。それはわたしを十字架につけてもわたしを破壊することは出来なかった、魂もみ霊も破壊することは出来なかった、無知自身の知らぬ光を破壊することも出来なかった。その故にこそわたしは今尚、神の生けるキリストとして、父なる神の一人子として、生きているのである。

25 あなたたちは今や自分が此の世に属する者ではなく、神霊(みたま)によって生まれ、キリストがあなたたち中にましますことを知った。しかし世は尚この真理に無知である。

26 しかし父なる神より発する真理の御霊(みたま)はわたしについて証(あか)しするであろう。あなたたちも又証しするであろう。なぜなら、あなたたちは世の太初(はじめ)からわたしと偕にいるからである。

27 もしあなたたちが自分自身を深く掘り下げて求めるならば、この真理を見い出すであろう。その真理はわたしについて証しをするであろう。その真理はあなたたちを解放するであろう。

28 あなたたちの裡(うち)なるわたしの言葉は、わたしを遣(つか)わし給うた神を讃(たた)え、あなたたちは神の大御前(おおみまえ)においてわたしによって讃えられるであろう。

29 もしもわたしの弟子たちが何時までもわたしと一緒にいようというのであれば、彼らは神なる神我(キリスト)を見失ってしまうであろう。なぜならわたしは父なる神を啓示するために地上にやってきたのであり、そうすることによってわたしは〔何時でも〕再臨してあなたたちと偕に永遠に留まることができるからである。

30 果敢(はか)なき感官世界の彼方に移籍してより大いなる生命意識に入ったあなたたち〔霊界に居る人々へ呼びかけている〕は神についての理解が前より増大している。

31 あなたたちは死の存在しないこと、自分が今なお生きていること、しかし嘗(かっ)ては地上において肉体の中に宿っていた――という大いなる真理を把握している。

32 あなたたちは生命である、あなたたちは全能者の生ける表現である。あなたたちの裡なるその生命はわたしの裡なる生命と全く同じである。これが神我(キリスト)であり、わたしは生命であるこの神我より語っているのである。

33 あなたたちの信仰が大きければ、あなたたちの望むものは何であれ、望んだその時に叶えられている。

34 以上の言葉は重要な意味に満ちて居り、わたしが神我の全能を具(そな)えて全ての人々の許に行けることをあなたたちが知ったとき、わたしの言葉は更に大いなるものとなる。

35 神霊(みたま)こそがわたしたちの最初にして唯一の真の礎石(いしずえ)であることを、わたしはあなたたちに示した。

36 神霊(みたま)には多くの表現方法や表現経路があるが、神霊御自身は唯一不二の生命、唯一不二の創造力である。

37 この力はあなたたちの意識を通して表現される。

38 あなたたちが今この様にしてわたしの講話を聞くようになった経過を説明しよう。

39 生命は唯一つあるのみであり、父なる神のみがあなたたちやわたしの裡なる意識であり、この様にして父なる神はその被造物を通して御自身を顕現しつつある。

40 創造主がその全ての被造物の中で御自身を顕(あらわ)し得る唯一の方法は、御自分の意識によるのであって、この意識によってご自分の創造物に気付き、かくして被造物内における神のこのお気付きがあなたやわたしの中にある意識となる――というこの真理を認めかつ完全に把握することによって、「次頁につづく」

41 わたしは、われわれの同胞 〔著者〕を通して表現されつつある生命意識の中に入り、丁度大きな光が小さな光に被(かぶ)さるように、わたしの意識が彼の意識に被さるのであるが、われわれ二人の中で光り輝いているのは同じ光源なのである。

42 これはまことに驚嘆すべき現象である。これを摩呵不思議な現象という者もいようが、実は摩呵不思議なるものは存在しないのであって、御自分を自覚する唯一無二の大生命が、他の者の神意識を通して顕現しているだけである。

43 この同胞(きょうだい・〔著者〕)はいつ何時(なんどき)でも自分の肉体から去ることができるのであるが、実際にはいわゆる去るのではなく、外側の意識から内側の意識に退行することによっていつ何時でもあなたたちに接触しうるようになるのである。

44 彼はあなたたちを扱い、援助することができる。彼は又更に多くの援助を人々にもたらすために、必要とあれば何時でもわたしを訪れることができる。

45 このようにして、聖所を通して癒しの業(わざ)が沈黙の裡に全世界に対して為されつつあるのである。人間の意識がこの裡なる巨大な力を自覚すればするほどその力を発現し始める。

46 無限、久遠にして完全なる愛が世界の中に実存している。なぜならば神は愛であり、愛は神であるからである。意識はこのことを自覚して本当の愛を発現しなければならぬ。これこそが聖なる至福の秘訣である。

47 この同胞(きようだい〔著者〕)の意識は今個人的なものから普遍的なものへと高揚しているが、そのために本人の本人たる所似(ゆえん)を失ったわけではなく、あらゆるものと渾一(こんいち)となり乍らしかも個性は一層増大しているのである。

48 神我(キリスト)は父なる神が個人と成って発現したものであり、両者一体となるが故に神我(キリスト)と父なる神との間には何らの分離もない。個人として現れつつある父なる神が今あなたたちの中にいます神我なのである。

49 しかしこの神我(キリスト)が到るところに宿っている大生命の意識の中に退行すると、わたしは父なる神の全能によってこのようにあなたたち一同の許(もと)に来ることができるのである。そして何人(なんびと)にせよわたしの名において何かを求めればそれは必ず成就(じょうじゅ)する、なぜならば父なる神とわたしとは一体であるからである。

50 あなたたちの意識も又このようにして高く揚(あ)げられるのである。人が身を以て神の意識を知るには本人の意識が高揚しなければならない。この一連(いちれん)の法話を通じてあなたたちの意識は現に自我意識から引き揚げられて神の意識即ち内在のキリストを体認しつつある。

51 主はその聖なる神殿、すなわち人の手もて造れる神殿ではなく、神の口より流れ出ずる言葉によって造られた神殿にこそ住み給う。「わたしはその言葉である。わたしに倚(よ)らずして生じたものはない」

52 あなたたちは自分自身の中にある神の意識をよく把握しなければならぬ、なぜならばそれによってのみあなたたちは存在するようになったからである。

53 果敢なき感官の世界にある人間はその限られた心で以て神の無限の智慧と愛とを説明しようとしてきた。

54 今や新しい知識を得たあなたたちは、聖なる御方〔神〕を限定して人間の水準にまで引き下げる愚を敢(あえ)て為すであろうか。おのれ自信をも知らぬ人間が神の一切(すべて)を敢えて説明しようとは何たることであるか。

55 あなたたちの信仰は人間智慧の中に安住してはならない、神の力と愛と英智との中にのみ安らぐべきである。

56 神の愛と智慧と力とは世の始まり以前より実存していたのであるが、世の支配者たちは誰もそれを知
らなかった。もし知っていたならわたしを十字架にはつけなかったであろう。


57 しかし又わたしの磔(はりつけ)によってすべての人々は、世界が形成される以前よりわたしが実存していたことを知るようになるであろう。神のみ霊は世界が形成される以前より実存し、このみ霊が肉の体と化(な)って地上に住み給う、しかし又同一のみ霊が依然として天にも住んでい給うのである。

58 なぜならば、世界が形を為すようになったのはわたしに依り、わたしを通じたからである。これがその子、実に生ける神の子を通じて表現される父なる神の英智であったのである。「そしてわたしはあなたの中に生きてまします彼〔神〕である」。

59 神が神を愛する人々のために備えたものを、人の目は見ず、耳は聞かず、胸(ハート)は理解しなかった、と〔聖書に〕書かれている。

60 しかし神はそのみ霊によってそれらをわたしに示し給うた、み霊はあらゆるものを、神の深淵(ふち〔複数〕)さえも、探りかつ示し給う。 

61 人の心を知るのは裡なる神我(キリスト)である。神のみ霊を除いては何人(なんびと)も神のみ心をしらない。

62 神我(キリスト)はあらゆる事物を弁別することを知るがよい。しかしキリストを描きうる者はいない。ニセモノを弁別するのは神我(キリスト)である。ホンモノを知るのは神我である。神我は力に満ちてるが故にこの世の無智を融(と)かし去る。

63 今この瞬間、あなたたちの周りにはおよそ二十五万にものぼる霊たちがわたしの話(複数)に聞き入っており(*9)、その多くがあなたたちの間に入り混じっている。

64 あなたたちはこの物質界でわたしの声を聞いているが、内界でも聞かれており、高級霊界でも、かつ又、うちなる神我(キリスト)という真理に丁度今目覚めつつある多くの人々によっても、わたしの声は聞かれている。

65 わたしは神の分霊(キリスト)、世の始まる前に実存した神のみ霊そのものである。存在するようになったものはすべてわたしを通して創造(つく)られたのである。

66 もしあなたたちが自分の中に深く求めるならば、柔和にしてしかもいと優(すぐ)れ、謙遜にしてしかもい高き存在者について学ぶところがあろう。

67 全体に対する自分の関係を学び知るにつれて、あなたたちの人格は澄みきるようになる。

68 あなたたちの心は、聖なる畏敬で満たされるにつれて澄みきり、心臓(ハート)中枢は光に満たされる。最(い)と弱き者、最(い)と低きもの、最(い)と柔和なる者が全宇宙を給源とし、吾がものとする。

69 人物、職業のいかんによらず、あなたたちの裡に神我(キリスト)のましますことを銘記するがよい。外側だけしか聞こえない卑俗なる感官の無智のために、神我(キリスト)が蔽いかくされることが屡々あるが、もしあなたたちが裡なる神我に目覚めるならば、全能なる、静かにして穏やかなる声が、あなたたちを通じて顕現する。この目覚めがあらゆるもの、そして又、あらゆるものである神、と自分との一体への悟りである。

70 なぜならば、それこそが、死して後蘇生(よみがえ)り、一時行方(ゆくえ)知れずにはなったが今や探しあてたわたしの息子だからである。

71 なぜならば、迷わなかった九十九の者よりも、一
時は見失ったものの今ようやく見つけ出した者を天は歓ぶからである。

72 父なる神が道に迷う羊の方を愛するからと云って怒る者が多い、しかしわたしはあなたたちに云っておく、迷った羊の方が父なる神の愛を一層必要とするのである。わたしを信じ、神の愛がわたしを通じて発現すること、わたしはすべての人々、わたしを軽蔑した人々でさえも愛することを知るがよい。

73 わたしに加えられた不当な行為によって神に対するわたしの自覚が曇らされることは決してない。父なる神の愛に対するわたしの自覚と悟りとは、「父よ、彼らを赦(ゆる)し給え、彼らは己が為すを知らざるが故なり」と云い得るあの真実の境地に入ることを得せしめるのである。

74 群れから迷い離れたことはないであろうが、神を愛するすべての人々のために父なる神が折角備えてい給う賜物(たまもの)に預かり得ない人々がいる。それは、自分が恒に神と偕に居ることを知らないからである。

75 そうすれば遙か遠くからお聞きになるであろうと思って、大声で神を呼び、神に叫ぶ人々がいる。しかしわたしはあなたたちに云っておくが、『わたしはあなたたちの中に生き、かつ住む者である。わたしは神の子である。わたしは世の光である。わたしは父なる神の真の個別化である。わたしが父なる神に求めるものは、何でも与えられる』のである。では、もしあなたたちがあなたたち自身の中にわたしのいることを認め、わたし名において求めることができるならば、それが何であっても叶えられるであろう。

76 あなたたちが聞く気にさえなれば、父なる神は常にあなたたちの胸(ハート)の中で云っておられる、『わが子よ、お前は常にわたしと偕(とも)にあり、わたしのものはお前のものだよ』と。

77 神が存在し給うが故にあなたたちは存在するのである。その故に神の有(も)ち給うものはすべてあなたたちのものなのである。

78 あなたたちの大多数が活力に欠けるようである。それはあなたたちが、霊、心、物質、即ち、霊、魂、体という三つの世界に釣り合いのとれていない生き方をしているからである。

79 この不釣合いの生存状態は、生命は何か知らぬが外界の根源から派生すると信じ込んでいるために、生じたものである。

80 あなたたちの大多数が、肉体の方にあまりにも多くの注意を払いすぎ、生命の本源には余りにも注意を向けなさ過ぎる。

81 神霊(かみのみたま)こそが生命と活力との唯一の本源であることを認めなければならぬ。先ず第一にこの本源より活力を引き出すことである。そうすれば魂も肉体もおのずと養われるようになる。

82 あなたたちを鼓吹(インスパイヤー)し、為(し)たいと思っている善事を実行する意志を働かせるのは神であり、その通り実行する力〔の程度〕はあなたたちの〔そのことに対する〕理解に対応する。なぜならば神は常にその御意志が行われるようにあなたたちを現に鼓吹(インスパイヤー)してい給うからである。

83 もしあなたたちがわたしを愛するならば、わたしの周りの人々も愛しなければならない。彼らも又わたしだからである。あなたたちはあなたたちに知られている法則に従って行為する自由意志を与えられている。しかし一旦神我(キリスト)が王座に即けば神我が完全に顕現する。あなたたちの裡なるこのキリストを、聖なる神殿、人の手によっては造られていない生ける神の神殿の中に即位(そくい)せしめよ。

84 成就(じょうじゅ)の秘訣は一切の物事を云い争わず疑わずに為(な)すことである。これが成就する創造力を発動する。

85 成就というこの大いなる業(わざ)をあなたたちは地上においてのみ為すことができる。しかも今努力することが如何に重大であるかをあなたたちはまだ理解していない。み霊(たま)をみ霊から引き離すことはできない。それは不可分である。

86 このわたしの講話(複数)が、あなたたちが自分自身のみ霊の中に這入(はい)る上での助けとなるようにわたしは望んでいる。

87 神我(キリスト)なるみ霊が全能、遍在、全智であることを悟ったのなら、何故あなたたちは鞭々(べんべん)として徒(いたずら)に待つのであるか。何時ともしれぬ未来にのみ神の恩寵(おんちょう)を望み期待するのは誤りである。

88 あなたたちの裡なるみ霊は神の分霊(キリスト)である。神霊が至高、至大、至強以下のものであることはありえない。では、あなたたちの裡なる神我(キリスト)にあなたたちの魂と肉体とを占領させるがよい。そうすればあなたたちが望んできたものはすべて実現するであろう。

89 銘記するがよい、太初(はじめ)に言葉があり、その言葉こそは神であり、神はその言葉であった。故にその言葉に忠実であれ、

90 銘記するがよい、太初(はじめ)に言葉があり、その言葉が肉となって吾々の中に宿ったのである。

91 あなたたちの想念はこの言葉の呼気であり、すべての第一原因である。『わたしは言葉であり、わたしの言葉がわたしに空虚(むな)しく還(かえ)ることはなく、その本来の目的を成就する』。

92 神霊(みたま)はわたしに常に神なる神我(キリスト)を啓示し給いつつある。神霊(みたま)はあなたたちを全ての真理に導き給う。あなたたちを解脱させるのは真理である。全能なる神の真理以外にあなたたちを解脱させ得るものはない。神我という真理、太初(はじめ)にあった言葉、肉となった言葉、があなたたちの中に定着すれば、一切の恐れも疑いもなくなるのである。

93 心と胸(ハート)との中に何時のまにか敵意を忍び込ませて神我(キリスト)の顕現を妨げる人々が沢山いる。

94 このキリストをあなたたちの胸(ハート)の中に安住せしめて魂の中に輝く光とするがよい。そうすればあなたたちの為(す)ることは口先だけのものではなく、あなたたちは神の中で働くようになる。あなたたちは枝である。あなたたちはもっと実を結ぶように刈り込まれつつあるのである。

95 「吾神なり(I am)」(*4)はあなたたちを刈り込む言葉である。

96 あなたたちはわたしの言葉の意味に、「ああそうだったのか」と、気づいただろうか。「わたしは果敢(はか)なき肉体人間としてではなく神の分霊(キリスト)として語っている。わたしはあなたたちを肉体感覚より霊的意識状態に高め、わたしの説くことが理解されるようにする」。

97 神がその聖なる神殿の中において語り給い、神の静謐(せいひつ)なる声の臨在によって一切の感覚が沈黙させられた時に、あなたたちの癒しは起こったのである。

98 内在の神我(キリスト)のこの祝福された状態に入ると、外側の凡(あら)ゆる現象我はあなたたちに触れないようになる、『わたしは太初(はじめ)に在り、今も在り未来永劫に在る者である』。

  (沈黙、天来の楽音と歌のみ聞ゆ)(*10)

99 曽(かっ)て地上で共に居住していたあなたたちの愛する人々は、その多くがより大いなる生命意識の界層に入り、今、此処にあなたたちと偕に居る。彼らはあなたたちの周りに集まっており、あなたたちがわたしに傾聴すれば一層あなたたちに近づくことができる。

100 彼らがどんなにあなたたちの近くにいるか、あなたたちはそのことを殆ど知っていない。彼らはあなたたちを見守り、あなたたちと共に祈っているのである。

101 わたしの言葉をよく聴くがよい、そうすればあなたたちは内なるみ声がよく解り、あなたたちの生命(ラ)、生活(イ)、生涯(フ)は満たされ、あなたたちの身体は完全に健やかとなるであろう。災禍厄難より免(まぬが)れるであろう。なぜならばわれわれを距(へだて)ている幕は極めて薄いからである。

102 その幕をあなたたちは自分の想念で貫きうるのであって、かくしてわれわれはあなたたちの許へやってくることができるのである。この事――そして更により多くの事――があなたたちに啓示されよう、『なぜならばわたしは常に、世の終りまでさえ、あなたたちと偕にいるからである』。

103 あなたたちがわたし〔の話しを〕傾聴して行くにつれてわたしはあなたたちにいろいろと教えていく。わたしが遙かにかけ離れた存在であると、あなたたちは思っているのであるか。われわれを引き離している区切りが宇宙に存在しているとでもあなたたちは考えているのか。

104 キリストの中には分離なるものはない。ありとしあらゆるものを通じて生きているかの〔唯一無二〕の生命には、いかなる分離も存在しないのである。神はおんみずからを分割し給うたことはない。只おんみずからを個別化し給うた丈である。しかしそれは分割ではない。それは渾一(ユニティー)の中における個体である。

105 神が御自身より分離して創造(つく)り給うたもの
は何ひとつない。神はわたしを通じて御自身を表現し給う。わたしは神の子なのである。もろもろの制約より解脱してわたしに傾聴する者はわたしの声を知るであろう。わたしは常に吾が裡にまします父なる神御自身を代弁しているからである。

106 音無き癒しの力の聖所に今入って行こうではないか。ずっと両眼を開き続けてわたしの方を見詰めるがよい。そうすればあなたたち全員の中に生きている神我(キリスト)を悟るであろう。

107 まず神の愛と智慧とを求めよ、そうすれば一切のものがあなたたちに加えられるであろう。

書記のことば 
静寂の中に燦然たる光りが講堂全体を照らし、主の御顔は余りにも眩(まぶ)しく見詰めることもできなくなった。やがて次の言葉を残して主は退去された。

わたしの平安とわたしの愛とをあなたたちに留(とど)める。