伝説の人 正徳帝(せいとくてい 1491年 - 1521年 在位1505年 - 1521年)

さて、徳川吉宗をモデルにした暴れん坊将軍というドラマがあります。

これは皆さんご存知のとおり、江戸幕府の将軍、徳川吉宗が貧乏旗本の三男坊・徳田新之助に変装して、
お忍びで江戸の町を闊歩して、悪人をやっつける時代劇です。これはもちろんフィクションですが、
中国の皇帝でもっと破天荒なことをやっちゃってる皇帝がいるのです、しかも事実で。。。

そのお方が、明の第11代皇帝の正徳帝です。

まず、この正徳帝はじめは宗教(チベット仏教)にはまったそうで、豹房と称す建築物を宮中に造り、
大慶法王と名乗って自己満足してたそうです。そこでは、店を経営したり、珍獣を調教したりと
とにかく遊びまくってたようです。

そのとき、使えている宦官が、皇位を簒奪しようとした事件があったときは、よっぱらって
「別にいいんじゃない」的なことをいってたそうです。

その後、趣味はさらにエスカレートし、軍事ヲタになります。最初は宮中で軍事演習をしていたようですが
これにあきたらず、お忍びで軍人に変装して、関(国境)まで一人で行ってしまうという傍若無人っぷりを発揮。
明は北虜南倭といって、ずっと北の遊牧民族に悩まされてたし、過去には土木の変で皇帝が連れ去られる
事件もあり、当時としては超無法地帯なのです。

そこでの問答も面白く、追っかけてきた側近に「総兵官(将軍)」になりたいと言うと、側近は「皇帝は皇帝、総兵官とは違います」と、そこで考えたのは、3文字の上に文字をつけて「総督軍務威武大将軍総兵官」ってすればよくないっと認めさせてしまうのです。

ただ、正徳帝はすごいのは軍事センスがあり、あっさりと異民族の侵入を退けてしまいます。
宜しくないのは、行軍先で美女を誘拐し陣中で淫楽にふけっていたようで、とても皇帝とは思えない行動をしています。

さらには、お忍びで、おいしいものを食べに行ったり、居酒屋にいって働いている女にちょっかいを出したりと
自由に振舞われています。

最後は舟遊び中に舟が転覆しそれが原因で、病気になるようですが、死の間際にいった自らを罪する言葉、

「これまでの政事はただ朕ひとりの間違いであった。卿らは何事にも干渉するな。特に宦官の君らは 謹慎しなさい。妄りな行動は謹むように。」
*宦官は、去勢し宮中に仕える役人で彼の遊び相手であった。

って、わかっててやってんだから、こらまた凄い。

中国では、
正徳帝は小説となっていたり、ドラマになったり、京劇で演じられたりと、非常に人気があるようです。

関連リンク

wikipedia
『正徳演義』 DVD 16枚組
小説で学ぶ世界史と中国歴史>正德王朝