親父だ
別に大企業に勤めていたわけでも、高年収で裕福だったわけでも、何か歴史的な偉業を成し遂げたわけでももちろんない。でも、誰よりも親父を尊敬している。
どうして親父を尊敬しているのか?
本当に端から見れば普通のどこにでもいるおっさん?じいちゃん?だが、心の底から尊敬している。
それには親父のバックボーンが大きく影響しているし、要所要所で親父に言われた言葉が刺さりすぎているからだ。
親父のバックボーン
もともと親父は三重では比較的裕福な商売人の家庭に生まれたらしい。
オヤジの親父(じいちゃん)が相当の切れ者で精肉業で大きな財産を築いていたらしい。
親父が幼い時にじいちゃんは若くして他界してしまう。親父はじいちゃんの記憶皆無らしい。
じいちゃんが商売についても財産についても何もかも管理していたので、ばあちゃんはなにも知らない。
ばあちゃんは相当にお嬢様だったらしく、世間を知らなかった。人を疑うこともできなかったようで、親戚に資産の管理などを任せたらしい。
結果的にその親戚が財産を横取りしてしまい、親父の家族は貧しい生活を強いられたそうだ。
だから親父は、中学卒業とともに、大阪に出稼ぎというか住み込みで働ける会社に就職。高校は卒業した方がよいということで、定時制の高校に自分で稼いだお金で通学し、卒業した。
そんな話を聞いたのは、おそらく僕が中学か高校くらいの時だった。
超えられない壁
これだけでも尊敬に値するが、ここからが親父のさらに凄いところで、親父は営業でメキメキ結果を出していたようで大きな会社ではないが、中卒で入社した会社で、営業部の次長まで昇進した。
その理由は学歴の壁を超えられないという現実に直面し、次長以上にはなれないということがわかった日があった。
かすかな記憶だが、親父が不満を母ちゃんにぶつけている日があった、自分の方が上にいけるはずなのに、学歴で負けていけなかったと・・・・本当に会社の評価が学歴だったのかどうかはわからないが、親父がそれで学歴のハンデを子供にはさせたくないと強く思ったのは事実だった。
高校受験の受験校は無理矢理決めた
僕は3人兄弟の末っ子
長男は私立高校を卒業、1浪して、大阪で最も学費が高かった大学の一つに入学。
次男は学区内で一番頭の良い公立高校を卒業、ストレートで関西一流大学に進学(しかも奨学金ももらっていた返さなくていいやつ)
次男が公立を選んだのは、家計が苦しかったからだ。だから、私立の大学に行くこともすごく悩んでいた。
僕が高校受験をする時に第一志望に選んだのは、「高専」だった。
理由は簡単、5年通えば、ほぼ大卒と同じ扱いで給与がもらえるからだ。現実は少し違ったかもしれないが、その時は本気でそう思っていた。
滑り止めに私立高校を受験しろと言われたが、受験したところで私立高校に通う金がもったいないし、そんな負担を親にかけたくなかった。ちょうど2番目の兄貴が私立大学に入学していたタイミングだった。
高専に落ちたら、滑り止めを受けずに、地元のバカ高校に行く潔さをとった。今振り返れば、何をそんなに頑なにお金のことを考えていたのかはよくわからないが、負担をかけたくないという一心だった。
結局、高専に落ち、滑り止めを受けていなかったので、地元のバカ高校に行くことになった。
地元高校の受験当日の朝、優秀な兄貴が僕に
「俺の弟やねんから、トップで入学してこいよ」
僕は「当たり前やん」と返した。
本当に首席で入学し、入学式の時に何か読まされたのを覚えている。
ただ僕は2番目の兄貴に「お前はアホや」とよく言われていたし、片や超エリートコース、僕は落ちこぼれコース。劣等感しかなかった。
大学には絶対に行かない!
地元のバカ高校に通っていたが、成績は良かったのは当たり前だが、親はやはり大学に行かせたかった。高校2年生の時に、就職か、進学かの選択の時に僕はあっさり就職を選んでいた。
大卒のやつよりも4年長く社会人をやれば、生涯年収はその分増えるはずだと本気で思っていた。そんな時、親父に
「お前がほんまにアホで大学に行かれへんくらいなら、何も言わんけど、ちょっと頑張ったら大学に行けるんやから、行け!社会勉強や、大学で遊んでこい!」
と言われた。その時には兄貴も大学を卒業して就職するタイミングだったので家計も余裕ができていたのかもしれない。
僕はその言葉に甘えて、大学に行くことにした。そこでも結局関西1流私立大学を目指して、2流で着地してしまったが、まあ良し。
勝手に賃貸契約
大阪から、京都の大学まで片道約2時間かかった、通学がしんどかったのと遊びに行っているから友達の家に泊まりまくる生活になっていた。
自分の時間も欲しくて、下宿しようと思ったが、親に言ったら絶対反対されるし、金くれとは言えない。
定期代とバイト代で家賃と生活費はなんとかなるだろうと思って、勝手に安い下宿を契約した。親父の署名と判子はもちろん適当に自分で書いた。
絶対バレない自信があったが、大家さんが引越し予定前日に実家に最終確認で電話してしまった。そんなことを知らない僕は、帰ったら、めっちゃ怒りながら、呆れながらも泣いているおかんがいた。
もろもろあったが、親父はその時何一つ言わなかった。でも、下宿を始めると何ヶ月かに1回はおかんと親父で会いに来て、ファミレスでいいもん食わしてもらった。
自分にも子供がいる今となっては、泣けてくるぐらい親父の心が広かったと思う。
超就職氷河期
バブルが崩壊し、まだITバブルが始まっていない、本当の超氷河期だった。そのタイミングで就職活動をせざる終えなかった。大学時代はバンドとお酒に浸っていたので、周りの仲間も就活には苦戦していた。結局就職できないやつもいた。
受けても受けても全然受からない。そんな時、車の運転の練習に付き合ってくれていた親父にドライブが終わって、駐車場で相談をしたら、親父が
「自分を良く見せようと思って、ええカッコしてるんやろ?本当の自分でそのまま出してこい、よく見せようとするから受からんねん。そういう人間に育てたはずや」
情けないのと、嬉しいのと、愛情となんかよくわからないが、涙がこぼれたことを覚えている。
そして、その後すぐに受けた企業で最終的に内定をもらい就職できた。
あの親父の言葉がなければ、僕の人生は全く違うものになっていただろう。
泣いたら痛くなくなるのか?
話はさかのぼるが、僕が明確に覚えている親父の言葉は
泣いたら痛くなくなるのか?
小学生に入学する前に、学習机を買ってもらった、その机が嬉しくて、段ボールをカッターで切って工作をしていた。その時、左の人差し指の間接の皮というか身を思い切り切ってブランブランしている状態になってしまった。
僕は号泣していた、多分泣いている時間が長く、相当うるさかったんだろう。親父がデカイ声で、そう言った子供ながらに、号泣しながら、「確かにそれはそうだな」と思うようになった。
自分の親父を知らない親父が理想の親父
親父は早くにじいちゃんが死んだので、親父がいない状態で育っている、それなのに僕ら兄弟にとっては最高の親父だった。
愛情深く、好奇心を大切に、興味を持つことはできるだけやらせ、些細なことに口を出さず、夏にはキャンプ、よく釣りにも連れて行ってもらった。その時にも手際がよくて段取りを教わったと思う。
最終的には会社役員に
そんな親父は結局、取引先からヘッドハンティングされて、取締役にまで上り詰めてしまった。親父を超える!これが僕ら兄弟のスローガンのようになっている。
大学まで出してもらったのに、親父を越えないといけない!という気持ちが異常に強い。
時代も価値観も違い、比較できないからいつまでも勝てないことはわかっているけど、努力し続け、成長し続けていなければ、親父に申し訳なく、親父の子供である以上はそうであり続けたいと思っている。