今日、ラジオを聴いていると
自己愛について話していた
番組の内容と私の持論で
自己愛について考えてみたいと思う
みなさんは、考えたことはありますか?
私達が生まれてお腹が空いた 排出物を処理してほしい欲求を満たす為に泣いて親に満たしてもらう
それが自己愛の始まり
自己愛は教えられなくても本能で備わっているもの
自己愛の逆は利他愛
人に施すことを利他愛
利他愛は、人から教えられ、見よう見まねで学んでいくもの
子供の時分は、その自己愛が可愛らしく映るが
大人になるとみっともなく映る
それはどういうことか!
大人になっても自分の思い通りにならないと怒り散らす人 不満をもらす人
そういう人は、どういう心理に基づいてそうなっているのかを考えてみると
自分が思っていることは当然人もそう思っているのだからわかっているのは当たり前と思っているからこそ、思い通りに動いてくれない人をみると腹が立つ、大きな声を出す
しかし、人は考えていることも能力も違う
だけど、そこには、ちゃんとしっかり動いてできる人になってほしいと思う愛があるからこそ怒ってくれる
愛がなければ相手にしないはず
そこには愛が込められてる
でもそこには利他愛より自己愛の比率が高い
じゃあ、利他愛とはどういうことをいうのか
先ほどの例を当てはめると
思うように動いてくれない
それは、自分の思っていることと相手が思っていることが違うか、私よりも考えが足りないからと考え
自分の言葉でわからなければ、相手の立場に立って、相手がわかる言葉で紳士に伝えること
つまり、相手本意なのが利他愛
そう考えた時
怒るは自己愛
叱るは利他愛
叱るとはどういうものか
何かを諭す時に、人が聴く耳を持たない時に大きな声を出して、相手に聴く姿勢をとらせ
あとは、穏やかな口調で諭すのが叱る
学生の時分は、クラスにヤンキー不良がいたものだが
本人は人にバカにされたくないと虚勢を張ってるつもりだが
まわりでは、殴られたくないと大人しくしているが腹の中では逆にバカにしている
そういう形でしか自分を表現できない不器用な人でもあるといえる
自己愛の塊
弱さを隠す保身的な人でもある
年齢問わず、やたらに騒ぐ人は精神的に幼い
大人(おとな)は大人(おと)しいと書く
静かな人ほど成熟した大人と言える
番組では、こういうことも言っていた
西洋は、自我を確立し自立していくことが良しとされる文化だが、下手をすると言い争いに発展し、戦争の引き金となる可能性があるが
日本は、仏教伝来で無我の文化
人を立て、謙虚にふるまう
かつてのガンジーのように自分を捨て、人に奉仕をする
そういう人格者が大成をおさめると語っていた
私はまだまだ、自分のことしか考えられない自己愛から抜け出せない未熟者
利他愛には程遠い
人の気持ちに気がつき施していけるように精進努力していきたいと思う