昨日、実家へ行くと法語が吊り下げられていた


その法語を見て、いろいろ考えてみた

まずは、煩悩

煩悩には数えきれないものがあるが

身近に感じるのは怒り

怒りの本質を辿っていくと

自分の思い通りにならない時に露(あらわ)にする

それは、自分の小さな器で人を動かそうとするからだと思う

自分の思いが伝わらない

それは、相手がわかる口調や言葉で伝えていないから

語彙が足らないのかもしれない

釈尊は、人を見て法を説けとおっしゃった

人に言ったことがすんなりと伝われば、心の安定(涅槃)につながる

人の失敗を諭す時にも

怒っているか叱っているかで明暗が別れる

感情で怒るか

理性で叱るか

もし、前者の方であれば、人は離れていく

後者であれば、人は付いて来ると思う

それは、自分の体裁かその人のことを思って言っているのかでわかってしまう!

人に怒りをぶつけて、相手が堪えなかったら

自分の怒りがそのまま自分に返ってきて

イライラ感が募るという悪循環に陥る

やはり、涅槃を得る為には

人を赦し、大きな器で人を包み込むことのできる人でなければ、いつまでもその苦しみから逃れることができないのではないか

法語を見ながら、そんなことを思い描きながら自問自答を繰り返してた