プログラムを「思考能力的に」作れる人とそうではない人の差は、現代では大きいと思う。
■「プログラム」を作れる作れない、そのロジックの理解有無の大前提として
「プログラム」をコンピュータープログラムと思うか否かの時点で、必ず「物事を俯瞰する能力の差」あ発生します。
この点、多くの人が勘違いしてると思いますが「プログラマー・SEとは」コンピュータープログラム・システムを作る為に特化されている訳ではない。
「世の中の事象を人より優れて分析できてこそのプログラマー・SEという存在」であるといっておきましょう。
これ「プログラム難しくて全然分からん」っていうアプローチの仕方をする人は、そもそも「プログラマー・SE」を職種として考えすぎです。
全然違うんですよね。
実際は「分析屋であり、建築家である」が答えです。
プログラムとは「結局何がしたいのか」「その為にどの様な解析が必要で」「どう組みなおし」「どう出力するか」
これに尽きます。
言語自体は、ぶっちゃけどうでもいいのです(規則性さえ分かれば、サルでも理解できるレベル)
敢えて抽象的な表現を使うのであれば「物事には起承転結、ストーリー」がある⇒物事を事の始めから最後まで把握し、最適化する、これがPG・SEと言う職種の「本当の能力である」。なのですが。
プログラマー、SEとは、事象の分解・再構築のスペシャリストであって、「プログラムを作る人」「システムを設計する人」と言うのは、副次的産物であるというのは、ある程度年次が進んだPG・SEならば「当然理解」していると思います。
例えば、それは、例えば政治的・経済的・軍事的思考(思想ではない)に現れ、また、「日頃の生活習慣・日頃の行動の指針決定」にも大きな影響を及ぼします。
だけど…。
そして、世の中の人の殆どは「この事実」が理解できない。
PG・SEと言う存在を「職業」と言う範疇に閉じ込めようとする。
それではダメなんですけどね。
…あるいは。
「かれらはあまり詳しく真実を知りたくない・あまり詳しく分解・解析したくないのかもしれないね」
色々バレるから。。。
思えば、私が色々反論してきた相手は全て、そういう類の人なのかもしれないなって思うのは、聊か早合点だとは思うものの。
彼らは基本的に「自分自身の思想の正しさ」を分解してこなかった履歴がある。
彼らは、常に私に対してこう答えてきた「何故、その思想が正しいのか」⇒「正しいから正しいのだ」
・・・これは、自分至上主義に過ぎない。
例えば「経世救民」と言う言葉。いい響きですね。
多くの人は「経世救民」と言う言葉に騙され、その言葉を信じるだろう。
何故ならば「経世救民」とは、彼らにとって至上・これ以上にないキーワードだからだ。
…実際は、「経世救民」するための手段があり、その手段は多岐にわたる。
1つに絞る事は不可能だ。
それは、複雑系である経済な故に。
結局、彼らは「自分なりの正義を貫きたいという思想」に偏っているのは、どうしても否めないのだ。
しかし、それでも彼らはシンプルに「自分たちは悪くない」「悪いのは他人、つまりお上だ」と言う。
言うしかないのだ。
多分、それでしか「一時的なストレス解消」はできないのだから。
そう思えば、悲しい存在ではある。
許しはしないがね。