ブログで専門的な事を書くのは結構難しいです。
一番難しいのは「どういう層に向けて書く記事なのか」という事です。
今回、話題にしようとしている「二分探索」は、現代ではIT分野でよく使われる手法です。
二分探索とは「大量データからどの様に目的とするデータを探すかをある程度、効率的に突き詰めた手段」です。
IT分野での「データ」とは曖昧なものではなく、殆どの場合(必ずと言っても差し支えないだろうけど一応ね)、ナニカを突き詰める為の材料たりえます。
社会科学、例えば経済の様な学問に適用するにはかなり難しいです。
(にも係らず、経済学でも二分探索は利用されていますが)
しかし無駄か?と言えば、あながちそうでもないだろうと考えてます。
社会科学を政治・経済政策に持ち込む為に必要な技量とは「思想」だけではない。
むしろ「思想」は理論を歪めるバイアスであるとの認識は、今や一般的だろう。
結局のところ、社会科学も政治手法に落とし込む場合には
・計画(つまり今後の方向性)
・計画内の時間軸優先順位
・計画内の予算的優先順位
上記3点が必要である。
そして…手法に落とし込む段階で、「社会科学」と言う純粋な理論も、思想優先・理論優先の何れであれ「現実が何か」を知りながら修正するものである。
つまり、思想とは
・思想自体がもつ方向性を示すのは良い
・しかしその方向性が政策として考慮が足りない場合には、勿論、計画を変更する余地が生まれるわけである。
・政策は、基本的に思想の変化に伴う「朝改暮令」であってはならない。思想そのものは手段以上に熟慮されるべきものであり、頻繁に朝改暮令を繰り返す政権下では、政治・経済・軍事は安定しないだろう。⇒裏を返せば「手段の変更」に過ぎない朝改暮令ならば吝かではないと言う答えが出てくる。
■まずは基本
①思想⇒政治的ベクトル目的(例えば経世救民)
②手段⇒例えば財政政策・金融政策、その他軍事的・経済的な国際関係など
政治・経済を語る際、上記①>②と言う階層構造を把握する事は、最優先の課題であろう。
「何を目的として」はブレてはならない、ブレるならば党を辞めなければならない。
手段の変更に於いては、その限りではない。目的がブレない限りは。
ちなみに、この階層構造を知らず、同一視、或いは逆転視してる人たちも多い。
まずは、その勘違いをなくす事からが思考のスタートですね。
昨今、よくいる「MMTer」とか「手段」から始まる思想ですが、本当に大丈夫なのでしょうかと、懸念しておりますね。。。
続く