どうも皆さん、こんばんは!

ASADANこと浅草のダンナでございます。

 

■今日のランチはカレー

べねぜら@水天宮

https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13028709/

 

実は、カレーパンのテイクアウトが有名な店なのだけど、今日はカレーパンはやってない日なんだとか。

舌がカレーを欲していたので、本命ではないけどカツカレーを店内で。

 

ネパールのカシミールカレーを髣髴とさせる味わい。

米が日本米(中粒米)なのが残念。

カレーは長粒米が最強。

 

■本題について

さて。

今日は「右翼と左翼の違い」と言うタイトルにしました。

昨今では、ネトウヨ・パヨクと言う「右翼・左翼」ではない、変な人達が沢山いるのですが、これも含めて上手に話す事ができるか。

チャレンジです。

 

■元々の違い

細かく書くとキリがなくなってしまうので、今回はざっくりと説明します。

 

■現代では

・右翼=日本を守ろうとする人たち

・左翼=在日的な発想する人たちというイメージを持っている人が多いかと思います

でも、これは右翼・左翼ではなく「ネトウヨ・パヨク」の思想です。

 

しかし、右翼とネトウヨ、左翼とパヨクの境界線が曖昧になってきているのも厳然たる事実だと思います。

まず、これは大前提ですね。

 

■右翼と左翼の人間的(と言うよりも性別的)な違い

 ネトウヨ・パヨクの話を一旦忘れて、本質的な右翼・左翼の違いはどこから生まれるのか。

ルーツをたどると、性別にあると私は考えてます。

 

 大前提として、人間の思考は「理論的か感情的か」でベクトルがある程度きまってしまいます。

 一般的に男性には全体主義で理論派な考えの人が多く女性には個人主義で感情派の人が多いと認識されていると思いますが、その理由は。

(長い歴史の中での話なので、どちらが優れていると言う事ではなく、感情・理論すら、性別に役割分担があったと言う事)

 

 遠い昔から生物っていうのはだいたいオスが家族を支えその中で一番強いものが群れを統率してリーダーとなっていたわけです。

つまり、自分の家族だけでなく群れという大きな集団を守る必要があった。

上記に対し、女性の場合は、最優先事項っていうのは我が子をいかにして守るかに主眼が置かれている。

 

 自分の父・母を見ていれば分かりますよね。

ウチの母親なんて、モロでした。

「世界が滅びても、子供たちを守る」って公言してはばからない人でしたね。

 

今考えれば、なんと言う器量の狭さか。

…と思いもするが、そういう考え方も必要なのは理解してます。

 

■しかし、ややこしい事に

女性の場合は「家族を何より大事にする」傾向が強いので、「シレっと集団を見捨てるか」といえばそうでもない。

何故ならば、本来的に女性の身体能力は男性に劣るため、「心理的には個人主義だが、便宜上周りと仲良くする必要性があるから」ですね。

 

しかし「全体主義ではない」「あくまで便宜的に仲良くしようとする」

ここが違いを見極めるポイントだと思ってます。

 

例えば私の場合で言えば「個人主義」「全体主義的な考えもできる」「リーダーシップを取れる」ですが

上記の典型で言えば「女性の場合」「個人主義」「全体主義は便宜上」「リーダーシップを取る判断能力に欠ける傾向が強い」

でしょうね。

 

■全体利益の理論、個別利益の感情

 

【まずは右派から】

 上記の歴史を鑑みるに、リーダーシップを発揮できる人は、その人格もさることながら。

「全体を守る、つまり、一部の犠牲は切り捨てるリスクと、それによって得られるリターン」を明確に把握している。

 これが本来的な「右派」です。

手段としては「必ずとは言わないが、しばしばシビアな切捨て発言」を伴うため、「感情派」から批判を浴びることが多いですね。

 

【そして左派】

左派の目線は、全体論ではなく、むしろ「集団はどうなっても良いから身の回りのことを最優先」

所属する国・地方などの集団からは「個人として最大限のメリットを享受しようとするが、その一方、平気で集団を見捨てるところがある」

 

■「一部切捨て」と「見限り・裏切り」は

リーダーシップを取る人の「切り捨て」と、左翼による「集団全体に対する裏切り・見限り」

これは明確に違いますね。

 

しかし、これも「どちらが正しいか」ではないです。

個人の選択肢、思考のベクトルの問題です。

 

もっとも?

左翼がリーダーシップを持ってはならない証左である気もしますが。

まだ、これについては私としても結論出てません。

 

■元々日本は

 集団の事を考える「全体主義」が多かったのです。

所謂「伝統的な保守・右翼」ですね。

 

 ところが、行き過ぎた全体主義の結果、デメリットが目立つようになった。

そして「伝統的な保守・右翼」は、彼ら自身のやり方を反省し、政策の方向性としてはむしろメンバー各自が「経済的自由」を求める様に促し。

且つ集団主義からの脱却を目指すようになったのですね。

 

そう。

本来、左派が主張するべき事を右派が主張するような社会に変化したのです。

これが「現代日本の右翼・保守」の思想です。

 

 対照的に左翼は、右翼と逆の行動を取ろうとしてます。

「元々は個人の自由を尊重してきた左翼」

だが、現代の左翼は、自由主義というよりもむしろ集団主義的である。

 

何故ならば。。。ですね。

「日本の右翼・保守の考える自由」って。

左派の考える「集団から得られる恩恵を受けつつも、こっそりと自由主義」ができないんです。

 

ここで先ほどの話に戻ると

「女性は便宜上仲良くするが、本質的には自由主義で、集団をそれほど重視してない」

ほら。全部つながりましたね?

 

 現代の左翼が「リベラル」ではない理由は、結局のところ「個人の自由では経済的な勝者になれなかった【敗者】」が、本来的な意味では左⇒右へと転換している事に起因してるのではないでしょうか。

 

■かくして

本来の右翼・左翼と、「自由主義」「集産主義」の紐付けが、日本においては逆転してしまったのだ。

 

結局のところ、右翼・左翼と説明なしに語ってしまうと「何がなんだか分からなくなる」のが現代日本。

自由主義か、集産主義(社会・共産含む)かで区別するのが現代では正しいだろう。

 

■ネトウヨとパヨクは

 どちらともいえないが、彼らの場合は概ね、経済的敗者である場合が多い。

従って「集産主義(社会・共産含む)」である場合が多いだろう。

ただし、ネヨウヨは自虐史に対して極めて反感を持つ。

ここが最大の違いでしょうね。

 

■長文になってしまった。

 最後まで読んでくれてありがとう。

「右・左の定義のネジれ」に悶々としてきた方々。

 

これで結構スッキリしたのではないでしょうか。

 

ではでは!