現代の経営者と株主は、労働者がいなければ事業が成り立たない事を、十分に理解している。

理解しているからこそ、労働者に対して可能な限り、篤い待遇をしたいと思っているのが普通。

 

「労働者から搾取したい」株主・経営者は、きっと存在するだろう。

だけど「その様な株主・経営者・幹部」の存在する会社に入った事、それ自体が「労働者の能力」を端的に表しているともいえる。

 

その様な会社は「長期経営計画を持たぬ、搾取による自滅企業」に過ぎない。

つまり、その様な会社の社員になる判断をした事自体が間違っているので…。

 

労働系の法律に触れない限り、ブラック企業は「ありとあらゆる場面で」労働者に負担を強いるだろう。

だが、それもこれも「そういう会社にしか入れなかった」自分の問題でもある。

 

・待遇(というよりも労働環境)は、労働者自身で変えられる

・ブラック企業は、淘汰される

・まともな会社の多くは社員を大事にする

・しかし、資本主義社会とは、時にリストラや減給を強いられるものだ

・だから個人として社会の波に飲まれないような実力を持つ必要があ

 

これが普通の人の考え方だと思う。

労組は、この点、キチガイめいてる

 

 

■最適解なんて簡単

個人として自力を向上すれば、社会に負けない。

シンプルな答えである。

 

資本主義・自由主義社会に生きる人間は

 ①「経済的に」社会に負けない個人を自ら作る

 ②個人なりの満足感は経済に限らないので、他の生き方を選ぶ

 ③①②に該当しなければ行政に頼る

大雑把にこの3択しかないわけで。

③にならない事こそが「資本主義・自由主義」に生まれた人間として、「義務とまではいわないが、正常に生きるために必要な最低限の基準」である。

 

それすら出来ない人は…まあぶっちゃけ、私は出来るだけ「それらの人たちとは遠ざかって生きたい」

境遇が主張を生み、主張は対立を生む。

この場合の対立は、不毛なだけ。

何しろ「社会不適合者と適合者の会話」はどこまで言っても適合者による不適合者への迎合・妥協にしかすぎないのだから。

 

■結論

我々は政治家ではないのだから、何もわざわざ社会不適合者へ「迎合・妥協」する必要は無い。

自然な優しさで接すれば良く、「主張をぶつけあう」のは基本的に「適合者による不適合者への迎合・妥協」へのプロセスと考えるべき。

 

…我々は政治家ではない。

何故、迎合・妥協するのか。

 

■繰り返すが

③の立場にならない事自体が、資本主義・自由主義国家に生まれた人間として、最大の課題なのだ。