2013年に離婚した。
2012年5月
北国で暮らしたい。
という元夫について3人で引っ越した。
はじめての土地での生活。
知り合いのはじめる会社に雇ってもらう話が、来て早々になくなった。
失業保険をもらいながら、人脈だけ広げていく元夫。
あんなことしたい。
こんなことしたい。
子供達にアウトドアや自然の素晴らしさを教えたい。
と目標?が増えだしていた。
交際費でお金はどんどん無くなっていく。
わたしはパートをはじめた。
2013年4月
幼稚園に行っていた息子は、保育園に通わせることになる。
元夫、定職につく。
2013年5月
元夫は、どんなに帰りが遅くなっても家には帰ってきていた。
でも家にほとんど居ない。
何処で何をしているのか聞いても、『なんで?』という返事しか返って来なくなった。
わたしを好きかわからないと言われる。
いまを我慢すれば…
やりたい仕事が出来るようになれば…
余裕が出てくれば…
また前みたいに仲良しになれると思っていた。
2013年7月
海でイベントをする元夫。
親子に自然の素晴らしさを教えるのだと。
父親のカッコイイ姿を子供に見せる機会を作ってあげるのだと。
わたしのなかで、バランスが取れなくなってくる。
見知らぬ親子に関わるばっかりで、自分の息子の寝顔を見に来たこともない。
2013年8月
北国にまで連れてきて、息子を何処か遊びに連れていったこともない。
いまの生活スタイルのままでいくのか、どう考えてるのか投げかけた。
息子のことは好きだけど
『何かしてあげたいと思わない』
『家族で過ごしたいと思っていない』
『離婚したい』
と言われた。
わたしのことを嫌いになったのではないそうだ。
そんなに離婚したいなら、してあげようと思った。
『息子とは一緒に居たいから、暮らせるいい方法を考える』
と言われる。
ぞっとした。
自分勝手な生活をしていて、息子と一緒に暮らせると思うのか?
実父がずっと心配していた『義両親』のこと。
息子を義両親にとられるかも、と、ここで自覚した。
でも、わたしが息子だけは渡さない!と言ったら、元夫はあっさりと了承した。
ころころ言うことが変わる元夫。
調子のいいことや、かっこつけた発言をする。
気持ちの部分の認識のズレ。
誠意ある行動は期待出来ない、だから公正役場に行って書類を作った。
2013年9月
離婚届けを出した。
2013年10月
わたしと息子は関東の実家に帰ってきた。
それまでは一緒に住んでいた。
当たり前に洗濯もしていたし、ワイシャツにアイロンもかけていた。
わたしも嫌いになったわけではないのだ。
ただ、わたしと息子は捨てられた。
元夫と息子と3人で居られたらなんでもよかったのにな。
お金がないと愚痴りもしたし、文句も言ったけど。
それでも『一緒に楽しもう』と言ってもらえたら、よかったのに。
一緒に居られなくて寂しいと訴えても
『そっちはそっちで楽しみを見つけなよ』
と言われた。
わたしが居る意味が解らなくなっていた。
寂しい一年間だった。
息子と二人になって寂しくなるかと思った。
けど、
いつ帰るか解らない人を待ったり
一緒に過ごしたい人に、冷たくあしらわれたり
そんな種類の寂しさはなくなった。
北国に居た時もブログは書いていた。
元夫も読んでいたみたいだから、そっちは辞めた。
息子チビラと
母トウコの
これからを書いていきます。
離婚しようかどうしようか迷っていたとき、色んな人のブログを読んだ。
復縁に努力するひと
慰謝料とるために証拠を集めるひと
家庭内別居してるひと
離婚して困らないように準備するひと
いろんな人がいた。
悩んだ人に、こんな人もいるのか…と参考になるかな?と離婚した経緯を書いてみた。
思い出したり、書きたくなったら『離婚』のテーマで書くかもしれない。
けど、基本は楽しいブログにするつもり。
よろしくどーぞ♪
2012年5月
北国で暮らしたい。
という元夫について3人で引っ越した。
はじめての土地での生活。
知り合いのはじめる会社に雇ってもらう話が、来て早々になくなった。
失業保険をもらいながら、人脈だけ広げていく元夫。
あんなことしたい。
こんなことしたい。
子供達にアウトドアや自然の素晴らしさを教えたい。
と目標?が増えだしていた。
交際費でお金はどんどん無くなっていく。
わたしはパートをはじめた。
2013年4月
幼稚園に行っていた息子は、保育園に通わせることになる。
元夫、定職につく。
2013年5月
元夫は、どんなに帰りが遅くなっても家には帰ってきていた。
でも家にほとんど居ない。
何処で何をしているのか聞いても、『なんで?』という返事しか返って来なくなった。
わたしを好きかわからないと言われる。
いまを我慢すれば…
やりたい仕事が出来るようになれば…
余裕が出てくれば…
また前みたいに仲良しになれると思っていた。
2013年7月
海でイベントをする元夫。
親子に自然の素晴らしさを教えるのだと。
父親のカッコイイ姿を子供に見せる機会を作ってあげるのだと。
わたしのなかで、バランスが取れなくなってくる。
見知らぬ親子に関わるばっかりで、自分の息子の寝顔を見に来たこともない。
2013年8月
北国にまで連れてきて、息子を何処か遊びに連れていったこともない。
いまの生活スタイルのままでいくのか、どう考えてるのか投げかけた。
息子のことは好きだけど
『何かしてあげたいと思わない』
『家族で過ごしたいと思っていない』
『離婚したい』
と言われた。
わたしのことを嫌いになったのではないそうだ。
そんなに離婚したいなら、してあげようと思った。
『息子とは一緒に居たいから、暮らせるいい方法を考える』
と言われる。
ぞっとした。
自分勝手な生活をしていて、息子と一緒に暮らせると思うのか?
実父がずっと心配していた『義両親』のこと。
息子を義両親にとられるかも、と、ここで自覚した。
でも、わたしが息子だけは渡さない!と言ったら、元夫はあっさりと了承した。
ころころ言うことが変わる元夫。
調子のいいことや、かっこつけた発言をする。
気持ちの部分の認識のズレ。
誠意ある行動は期待出来ない、だから公正役場に行って書類を作った。
2013年9月
離婚届けを出した。
2013年10月
わたしと息子は関東の実家に帰ってきた。
それまでは一緒に住んでいた。
当たり前に洗濯もしていたし、ワイシャツにアイロンもかけていた。
わたしも嫌いになったわけではないのだ。
ただ、わたしと息子は捨てられた。
元夫と息子と3人で居られたらなんでもよかったのにな。
お金がないと愚痴りもしたし、文句も言ったけど。
それでも『一緒に楽しもう』と言ってもらえたら、よかったのに。
一緒に居られなくて寂しいと訴えても
『そっちはそっちで楽しみを見つけなよ』
と言われた。
わたしが居る意味が解らなくなっていた。
寂しい一年間だった。
息子と二人になって寂しくなるかと思った。
けど、
いつ帰るか解らない人を待ったり
一緒に過ごしたい人に、冷たくあしらわれたり
そんな種類の寂しさはなくなった。
北国に居た時もブログは書いていた。
元夫も読んでいたみたいだから、そっちは辞めた。
息子チビラと
母トウコの
これからを書いていきます。
離婚しようかどうしようか迷っていたとき、色んな人のブログを読んだ。
復縁に努力するひと
慰謝料とるために証拠を集めるひと
家庭内別居してるひと
離婚して困らないように準備するひと
いろんな人がいた。
悩んだ人に、こんな人もいるのか…と参考になるかな?と離婚した経緯を書いてみた。
思い出したり、書きたくなったら『離婚』のテーマで書くかもしれない。
けど、基本は楽しいブログにするつもり。
よろしくどーぞ♪